第45話 小清水VSふじ

 郷土博物館の外の林の中では、小清水とふじが拮抗状態でにらみあっていた。彼女の瞳が紅く光っている。服には汚れや傷が目立ち、肩で息をしている。それはふじとて同様である。

「一発クリーンヒットが入れば、正気に戻るだろうけど」

 ――あいつは元々知性が高いからな、何か理由があるんだろう。こうなったのにも

 ふじが飛びかかってくる。前足を振り下ろしてくるが、それを軽やかに後方へかわす。

 ――思ったより速いし

「思案している場合じゃないぞ」

 横殴りに前足が風を作った。寸ででかわすもののレザージャケットの一部が切れてしまった。

「さすがにまたちびっこの術で直してもらうってのもなあ」

「ひとりごつなどしている暇はないぞ」

 さらに襲い掛かって来るふじに、今度は前方に跳躍して小清水は応戦する。振って来た前足を片手で払い、隙のできた喉元に拳を突きたてる。苦悶の表情で地上に降りるふじ。

「思ったより硬いし」

 手に残る感触はふじの皮膚がまるで板のようだった。

 ――これも、キレたせいか

「行くぞ! キツネ!」

 ――君もそうだろ。あれ?

 小清水は一瞬疑問を浮かべた。しかしそれが隙になった。ふじのカウンターをもろに受け弾かれた。足の裏をブレーキにして飛ばされないようにするものの、十メートルは後方に流れた。

 ――ふじって確か、容姿はキツネのままで継承をしようとしている属でなかったっけ? それがこんなにでかくて……てことは

「集中しておらんぞ」

 今度は尻尾によって横殴りにされてしまった。吹き飛ばされて一本の杉の幹にぶつかる。

「どうした? それがそなたらの属が選んだ道か? 弱いな。もう息が上がっているではないか」

「そうだね。弱いかもしれない。けれどね、引けないんだよ」

「ぬかせ」

 襲ってくるふじに対して、小清水は跳躍で避ける。空中で反転し、そのままふじの頭部目がけてかかと落としを見舞った。地面に落ち横になるふじ。

「妖力弱くなったのは、山の開発で清涼な空気を食べられなくなったからだけじゃないみたいだね」

 ふじが住んでいた山は開発され、道路がつくられ、さらには鉄塔が置かれた。その強力な電力が山の磁界を見出し、ふじの思考に影響を与えたと彼女は推理した。

「ああ、人の手によって山が削られ、我らが生きる食源が少なくなった。しかし、信仰があれば、永らえるもの。けれど、人はそうせぬ。そんな中、あの娘は事珍しく手を合わせる。我とて理解しているのだ。そなたらのように半分妖怪、半分人間となるのも手段の一つだと。しかし、皆がそうしてしまうと、種の多様性がなくなり、突発的なことで種全体の滅亡にもなりかねん。だから」

「だから、動物でもあやかしでもない姿で、荒ぶる魂の状態になったってわけ」

「ああ、この姿は妖力を使うからな。それに邪念に障られやすい。けれども」

「あの子のことが気になった」

「いかんか?」

「いけなくはないよ。ただ結果的に悪影響になっているよね。身体がでかくなったりして」

「それも致し方のないこと。しかし、ムジナもオオカミもいるではないか、なんとかしてくれるだろう」

「なんとかねえ。ボクはそういうの好きじゃないんだ」

「我には……」

「できることがあるだろ、何か」

「そなたらは人間になったから……」

「けど、キツネの血は流れている。だからボクは誇りを捨てない。君はどうだ?」

「誇りなど」

「あの子が君に、君を祀る場所に来ていたのはどんな理由からだい?」

「それは祈願を……」

「その場所が好きだからじゃないか」

「削られているのだぞ、山が」

「それでも彼女にとっては、心安らぐ場所だったんじゃないか?」

 ふじは時折来ては独り言で学校のことや塾のことを話す羽多優のことを思い出していた。

「それなら削られていこうが、その山を、君の社を美しく保つことが大切なんじゃないか?」

「青いことを」

「そうだね、青いね。そんな青いのと出会ったばかりでね、柄にもなく感化されつつあるようなんだ」

「ムジナを抱えていた男のことか」

「ああ、都筑志喜っていうんだ」

「ツヅキ……」

 ふじは、その名に聞き覚えがあった。羽多がしきりに言っていた、都筑という青年のことを。勉強を教えてもらったとか、励ましてもらったとか。

「あの者か。オオカミとムジナと、そしてそなたと。あんな優男が」

「そう普通の男子。強情で意地っ張りで、そして分け隔てなく優しいね」

「……」

「君もこれが片付いたら、彼と話してみるといい」

「話す? 我は……」

「消さないよ、志喜に約束したんだ。君を正気に戻すってね」

「ならばやってみるといい。決着がなければ何も始まらんからな」

「同意」

 互いに距離を詰める。ふじが大きな口を開いた。噛み殺そうといわんばかりである。

「チャーンス」

 その口に小清水は小さな袋の中の白い粉をぶちまけた。

「ム、これは」

「そう塩。さっき茅野から渡されてたんだ」

「これくらいで」

「はいはい、そこまでね」

 苦虫を噛んだような表情のふじの口を、これまた茅野から渡された注連縄で縛った。

「で、後は」

 さらに瓶の口を開いて、中の液体をふじの身体にかけた。

「酒か」

「そう言うこと。お浄めのオンパレードだね。まあ、ボクはお経とかは唱えられないけどね」

 日本酒がふじの身体の隅々を濡らすと、ふじの身体から黒い煙が揺らめき上がって来た。

「ふうん、それか」

 黒い煙は編むように一本の縄のようになるとふじの身体から飛び出て、どこかに飛行していこうとする。

「甘かないよ」

 そう言って、小清水は胸元から鉤状の手裏剣を取出し、それに向かって投げつけた。見事命中し、木を背に打ち付けられた格好になった。身もだえをした黒い煙はほどなく雲散霧消した。

「おしまいっと。ふじ?」

 ふじの身体は見る見ると小さくなり、通常のキツネを同じくらいの大きさになった。

「やっぱりね。正気を失うとか言ってたけど、嘘だったんだね。思考が君のままだった。ということは、体力とか妖力だけを増長させられてたってことだろ?」

 起き上がり、身体を振る。

「酒は効くわい」

 声の調子も先程までの興奮した感じはない。小清水の質問にはちゃんと答えようとしないが、それが彼女には何よりの明確な返答に聞こえた。

 それを見て、小清水はほっとした表情を浮かべた後、膝から地面に落ちた。瞳は黒色へと戻っている。

「どうした?」

「体力使うんだよ、このモード。すでに限界」

「ならば、私に乗れ」

「乗れって。小っさいんだけど」

「いいから乗れ、そして行くぞ」

「どこに?」

「あの娘の治療だ。すでに行っているのだろう?」

「すでにかどうかは知らないけど、まああのメンバーならね」

「ほら乗れ」

「いや、歩くよ」

 立ちくらみのようにふらつく。

「乗ればいいものを」

「乗って何て行ったら、どっかの誰かさんに何言われるか」

 ――そなたも十分強情だ

 とはふじは言わなかった。

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