第11話 冷たい影

放課後の訪れを沙音はどこか心のどこかで待ち構えていた。


休み時間、教室のドアがひそやかに開いた。

「沙音、ちょっとこっち来てくれない?」


振り返ると、一人の女の子が声をかけていた。

親しげな笑顔に、沙音は警戒心を忘れてしまい、ついその声に従って廊下へ出た。女の子について行くと、だんだん人気の少ない奥まった場所に来ていた。


どこまで行くのだろう……?

そう疑問を抱いた時にはもう遅かった。


その先に冷たい影が潜んでいた。


次の瞬間、背後から鋭い手が沙音の腕を掴み、暗い影の中へと引きずり込まれた。


「いやっ……!」


沙音の叫びは静寂の中に飲み込まれ、誰にも届くことはなかった。


腕をつかまれたまま、彼女の体は力強く引き寄せられた。

抵抗しようにも、相手の力は人間のそれとは思えないほど異様に重く、硬かった。


「離してっ……!」


声にならない声を絞り出したその瞬間、沙音の耳元で低く、冷たい声が響いた。


「お前が……神牙夜翔と親しい“人間”か」


その声を聞いた瞬間、背筋がぞくりと震えた。

目の前に現れたのは、赤い瞳と牙を持つ、異形の存在──ヴァンパイヤだった。


明らかに、目の前のその存在は、教室にいる“ヴァンパイヤ”たちとは、何かが違っていた。


整った鼻筋。フードの奥で静かに光る赤い瞳。

彼の気配は、生き物というよりも、何かもっと“底のないもの”を感じさせた。

悪寒がして、鳥肌が立つ。


教室で見かけるヴァンパイヤたちが理性を保った生徒だとすれば――

目の前にいるこのヴァンパイヤは──まるで……まるで“本能だけで動く者”だった


「こいつを連れて帰れば、“神牙”も動くに違いない……そうだろ?」


その言葉とともに、沙音の視界は闇に包まれていった。


◇◇◇◇◇◇


やがて、目覚めたのは薄暗い場所だった。

冷たい床の感触と、鼻を突くような鉄と埃の混ざった匂い。体が重く、頭がぼんやりと痛む。


「目が覚めたか…?」


そんな声が聞こえ、ビックっと体が反応する。


――ここはどこ? どうして私は…。


いつ、どうやってこの場所に運ばれたのかまるで思い出せない。体に力が入らない。きっと、薬か何かで眠らされていたのだろう。


体を起こそうとするが、両手は背後で縛られ、足も動かない。布かロープか……とにかく、がっちりと固定されている。


視界が徐々にクリアになっていく。


目の前に立っていたのは――影牙学園の制服を着た、整った顔立ちの少年。だが目は赤く光っていた。


……だれ?…なんで影牙学園の制服…?


「手荒い真似して悪かったね。


彼がそう言いながら一歩、また一歩と近づいてくる。

その長い髪――漆黒の中に血のような赤いメッシュが揺れ、どこか現実離れした存在感を放っていた。


──その姿を…どこかで見たことがある気がした……。


「え…?なんで…私の名前……」

「ああ、これだと分かんないのかな?」


彼は自分の髪に触れながら、ぼそりと呟く。

次の瞬間、赤いメッシュは染みるように消え、髪全体が黒に近い深紅へと変わっていった。長かった髪もみるみる短くなり、目の色も赤から黒に戻っていく。


普通の――少なくとも“普通そうに見える”少年の姿。


だが、沙音にはもう分かっていた。


「……あなたは……」


──影森


「ようやく分かった?あなたの隣の席の影森だよ」


そう言った影森は、まるで朝の挨拶でもするように、あっけらかんと清々しい笑みを浮かべていた。


「おとなしくしていれば、痛い思いはしないから」


そう言い放つと、彼はくるりと背を向け、革靴の音を響かせながら部屋の奥へ歩いていく。

やがてソファのようなものにドサッと腰を下ろし、こちらをじっと見つめる位置に収まった。


その視線に背筋がゾクリとする。冷や汗が頬を伝い落ちる。


誰か、助けて――


沙音の瞳に、恐怖と混乱が浮かぶ。だがその中に、かすかに宿った光――あきらめないという意志も、確かにあった。


夜翔が必ず助けに来てくれる──そんな気がした。

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