第11話 怒れる尼子党と届かぬ言葉
砂丘を後にした尼子党は方針を転じ、鳥取より南へと目を向けた。
そして、国衆・毛利豊元の居城・
ただ、城は鳥取城から三里あまり(約12km)。さほど離れていない。
茲矩は、その距離に引っ掛かりを覚えていた。
——この近さは、いずれ禍を呼ぶのではないか、と。
※ ※ ※
翌天正二年(1574)、因幡は実りの秋を迎えていた。
私部城周辺でも、頭を垂れた稲穂が風に波打っている。
新たに増えた藁ぶきの屋根には、柔らかな日差しが降り注いでいる。
その中を、茲矩は信吉を連れて、集落の巡察に当たっていた。
「一年は早いのう、信吉。ここに来た時は、刈り終わった田ばかりだったが、もう刈り入れの時期を迎えておる」
「おやおや、まるで郷の長老のようなお言葉ですな」
「長老はよせ。わしはまだ十八だぞ。幸盛さまがあれこれ仕事を押し付けてくるゆえ、四季を味わう暇がなかっただけだ」
「それはご愁傷にございます。ですが、雪が降れば、いくらでもお休みいただけましょう」
「つまり、冬までは蟻のように働き続けよ、と申したいのか。慰めになっておらんぞ、それは」
笑い合う二人のそばでは、百姓たちが稲刈りに精を出していた。
この穏やかな秋空も、あとわずかであろう。
因幡は雪深い。旧暦十一月にもなれば雪が舞い、やがてあたりを閉ざしてしまう。
それを承知の上で、茲矩の胸には拭いきれないざわつきがあった。
「実はな、幸盛さまから昨日、じかに伺ったのだ。足元が固まった今こそ、因幡南部の諸城を攻めるおつもりらしい」
「それがしは何も聞かされておりませぬが、どこを攻められるのでしょう」
「有力視されているのは、
「なるほど。確かにあそこを押さえれば、但馬にも播磨にも道が開けます。悪い手ではございませぬな」
「ああ。筋は通っている」
そこまで告げて、茲矩は稲穂の向こう、南の山々へと目をやった。
「だからこそ、腑に落ちぬのだ」
「何のことでございますか」
「本当に若桜を求めるのなら、一年前に動いてもよかったはずだ。幸盛さまにしては、妙に動きが鈍いと思ってな」
「それは、豊国への復讐を諦めていないように、見せておられるのでしょう」
「見せている、だと」
「豊国から受けた屈辱に、将兵たちはいまだ憤っております。豊国に対して逃げ腰と見られれば、誰も従わなくなりますゆえ」
「いや、そうだとしてもだな──」
頭を切り替え、より優れた方針に舵を切るべきではないか。
茲矩は口に出そうとして、ふと耳を疑った。
稲穂が揺れるのとは違う、硬く乾いた響き。
振り向いてみれば、田の向こうに土埃を上げ、一騎が迫ってくる。
その者は茲矩たちの目の前で馬を止めると、息も整えないまま切り出した。
「茲矩さま、信吉さま、こちらにおられましたか。幸盛さまより火急の命にございます」
「何があった」
「すぐに軍議を開くゆえ、城まで戻るように、と。鳥取にて異変が起きているらしいのです」
※ ※ ※
私部城の広間は、重い空気に包まれていた。
主君・勝久を上座に控え、家臣たちは腕組みをしたまま沈黙している。
そこへ信吉を伴って駆けつけた茲矩は、末席に座るや否や頭を下げた。
「遅くなって申し訳ございませぬ。して、火急の用件とは」
「気にするな、今しがた始めたばかりだ」
進行を預かる幸盛は、隣の文机に置かれた二通の書状を指さした。
一つは昨夜、豊国のもとへ潜り込ませていた、忍びから届いたもの。
もう一つは叔父・立原久綱から、先ほど送られてきたものだという。
「まず、忍びからの報せについてだ。手短に申せば、豊国が一族と重臣たちの家族を、鹿野城に送ったらしい」
「何と。鹿野城は、伯耆との境にある毛利の拠点。鳥取を奪って日が浅いのに、なぜ受け入れてもらえたのでしょう」
「分からぬ。いや、分からなかった、だな」
「どういう意味でございますか」
「理由が、こちらの書状にあったのだ。そなたから説明してくれ」
幸盛が促すと、そばに控えていた武士が、茲矩と信吉へ頭を下げた。
久綱から遣わされた使者であった。
「実は昨日、懇意にしている但馬山名家の家臣から、久綱さまのところに密書が届きました。それによりますと、但馬山名家と毛利との間で、和睦の話が進んでいるらしいのです」
「それは本当なのか⁉」
「はい。かの家の威勢は地に墜ちております。もはや、毛利と対立し続ける余力はありませぬ。惣領・祐豊をはじめ、多くの家臣・国衆たちが賛同に傾いているとのこと」
「ううむ……」
そのまま場は沈黙に包まれた。
茲矩も腕を組み、重苦しい空気に溶け込んでいた。
(ただ、両家が和睦するには手引きがいる……)
茲矩の思考は、そこで止まった。
山名と毛利、両方に手が届く者。
そんな者は、一人しかいない。
名を思い浮かべた瞬間、胸の奥に焼けつくような敗北感が走った。
「まさか、背後で動いていたのは豊国では……」
「はい。鹿野城に送った者たちは、おそらく人質でしょう。加えて、和睦斡旋を果たすことで、奴は毛利に赦しを乞うたものと思われます」
「では、和睦が成れば、我らはここで孤立する……」
茲矩の拳は、わなわなと震えていた。
再興への道が開けたはずが、一転、滅亡の淵に立たされている。誰がそのようなことを予想できただろう。
茲矩の胸のざわつきを感じ取ったように、幸盛は深く頷いた。
「しかも冬が迫っている。雪に覆われてしまえば、逃げ場を失う。毛利にとって、これ以上の好機はあるまい」
「ならば、早急に守りを固めねばなりませぬ!」
報せが届くまでに、すでに日が過ぎてしまっている。
今から対応策を講じても、手遅れかもしれない。
ゆえに、茲矩は声を張り上げた。居並ぶ者すべてに、危機を悟らせるために。
ところが、場は静寂に包まれたまま。
誰かの身じろぎで、板間の軋む音が響くだけ。
一人ひとりと目を合わそうとしても、多くの者に逸らされてしまう。
何人かは、幸盛の顔色をちらちらと窺っていた。
皆と同じ場に座っているはずが、囲まれているかのよう。
茲矩は咄嗟に悟った。己一人だけが浮いている、と。
そんな中、神西元通の声が静寂を切り裂いた。
「守りを固める前に、豊国と一戦交えるべし!」
「えっ……」
「我らを弄んだ罪は万死に値する。やはり鳥取を追い出された際に、討ち果たしておくべきだったのだ!」
元通の声が落ちた瞬間、場は水を打ったように静まり返った。
誰もが周囲の呼吸を探り、身じろぎすらしない。
しかし、やがて一人が「確かに討つべきかもしれぬ」と、呟くと、隣の者がわずかに頷いた。
波紋は周囲に広がり、同意する声が重なってゆく。
囁きはざわめきへ、そして叫びへ。広間の梁に反響するほどになってゆく。
「舐められたままでは武士の名折れよ。奴の素っ首を刎ねるのが先じゃ!」
「そうじゃ、毛利との戦に先立ち、景気づけに蹴散らしてくれよう!」
反対の者もいたはずだが、高揚に呑まれ、声は上がらない。
茲矩の背筋に、冷たい汗が流れてゆく。
それでも彼は進み出た。理を説けば分かってくれるはず、との期待を込めて。
「お待ちくださりませ、元通さま──」
私情を挟まず、切々と訴え、頭を下げた。
だが、誰も何も返さない。視線だけが、逸れてゆく。
白けた雰囲気を裂いたのは、別の声だった。
「やはり討つべきだ……」
その呟きが、流れを決めた。
賛同の声がふたたび重なり、やがて一つの熱となった。
彼らは、同じ紅い仮面を被っていた。
いや、顔などもう見えていない。
茲矩は、視界が暗くなる感覚に襲われていた。
振り払おうとして、幸盛にすがるような視線を向けた。
ただ、幸盛は目を閉じて黙したまま。
それは、冷静な判断をするべく、熱狂を遠ざけようとしているかのようだった。
周囲の視線が、自然と幸盛へ集まってゆく。
ひりついた空気の中、やがて幸盛は眼を見開くと、茲矩に向き合った。
「礼を申すぞ、茲矩。そなたの諫言は、我らの未来を案じてのもの。何一つ間違っておらぬ」
優しい眼差しと声音だった。
心底欲していたものを贈られた気がして、茲矩はわずかに頬を緩めた。
だが──
「ゆえに、今の皆には届かぬ」
「えっ……」
告げて、一瞬の静寂。
意が理解できず、茲矩の視線は宙を彷徨う。
その間に幸盛は旗頭の顔となって、上座の勝久に向き直った。
「殿。もはや皆の思いは一つにございます。御下知を」
腹の据わった声とともに、静かに頭を下げた。
促された勝久は小さく息を吐き、目を伏せる。
だが、それも一時のこと。やがて刮目すると、拳を握りしめて告げた。
「本意ではない。だが──」
ゆっくりと立ち上がり、一同を見渡した。
双眸には、迷いが見られなかった。
「皆の憤りはもっともだ。豊国を討つ!」
刹那、広間が爆ぜた。
歓声と怒号が渦を巻き、城の外まで轟いてゆく。
その喧騒の中、茲矩の胸の奥では、何かがぽきりと折れる音がした。
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