第13話『夢の中の君は、いつも泣いていた』


朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。


綺羅星ルナは、また同じ夢から目覚めた。枕が涙で濡れている。もう何度目だろう。この一週間、毎晩同じ夢を見る。


黒髪の少年が、暗闇の中でじっと自分を見つめている夢。


「どうして……どうして泣いてるの?」


夢の中で問いかけても、少年は何も答えない。ただ、哀しそうな瞳で見つめるだけ。その表情があまりにも切なくて、ルナは目覚めるたびに胸が締め付けられる。


「またその夢かい?」


窓辺で毛づくろいをしていた黒猫のナクが、心配そうに尾を揺らした。


「うん……でも、顔がぼやけてて誰なのか分からないの」


「ふーん。まあ、契約で失った記憶が夢に出てくることもあるけどね」


ナクの言葉に、ルナはベッドから起き上がった。左胸の薔薇時計を見る。黒い花びらは、もう12枚散っていた。


12人との契約。12人分の記憶を失った。


でも、夢の中の少年は、その誰とも違う気がする。


「ねえ、ナク。私、まだ会ってない人の夢を見ることってある?」


「さあね。君の契約は特殊だから、何が起きても不思議じゃない」


学園への道すがら、ルナは夢のことを考え続けた。少年の瞳の色、髪の長さ、背格好……思い出そうとすればするほど、記憶は霞んでいく。


「おはよう、ルナちゃん!」


親友の花園さくらが、いつもの笑顔で手を振った。


「今日も元気ないね。また契約のこと?」


「ううん、ちょっと変な夢を見てて」


「夢かぁ。そういえば、今日転校生が来るって聞いたよ。夢を操る魔法が使えるんだって!」


さくらの言葉に、ルナは足を止めた。


夢を、操る?


教室に入ると、すでに生徒たちがざわついていた。教壇の横に、見慣れない男子生徒が立っている。


紺色の髪に、どこか浮世離れした雰囲気。瞳は深い藍色で、まるで夜空を閉じ込めたようだった。


「転校生の月城ソラです。よろしく」


簡潔な自己紹介。でも、その視線はまっすぐルナに向けられていた。


「君が、綺羅星ルナさん?」


休み時間、ソラは迷うことなくルナの席にやってきた。


「契約の聖姫の噂は聞いてる。僕も、君の13人目の候補らしい」


「えっ……」


「でも安心して。僕は契約を急がない。ただ、君の夢が気になってね」


ルナは息を呑んだ。どうして、夢のことを?


「僕の能力は、他人の夢に介入すること。君の夢から、強い哀しみの波動を感じる」


「私の夢を……見てたの?」


「見てたわけじゃない。感じただけ。でも、その夢の主は相当君を想ってる」


ソラは窓の外を見つめた。青い空に、綿雲がゆっくりと流れていく。


「夢は心の鏡。抑圧された記憶や感情が形を変えて現れる。君の場合は……」


「私の場合は?」


「失った記憶の中に、特別な誰かがいるんじゃないかな」


放課後、ルナは屋上でソラと向き合っていた。


「君の夢に入らせてもらっていい?」


「でも、それって……」


「契約とは別。ただ、君の夢の謎を解きたいだけ」


ソラは手を差し出した。


「もしかしたら、大切な何かを思い出せるかもしれない」


ルナは迷った。失った記憶を取り戻すことは、契約の掟に反するのではないか。でも、毎晩泣いている少年の正体を知りたい気持ちも強い。


「分かった。お願い」


ソラの手が、そっとルナの額に触れた。途端に、意識が深い闇に沈んでいく。


夢の世界は、いつもより鮮明だった。


黒薔薇が咲き乱れる庭園。その中央に、あの少年が立っている。


「また来たんだね」


初めて、少年が口を開いた。ソラの力で、夢がより具体的になったらしい。


「あなたは……誰?」


「君が忘れた誰か、かもしれない」


少年は哀しそうに微笑んだ。黒髪が風に揺れ、整った顔立ちがはっきりと見える。深紅の瞳が、月明かりに濡れていた。


「でも、まだ時じゃない。君が全てを思い出すのは、もう少し先」


「待って! 名前だけでも……」


「セ……」


少年の姿が霞み始めた。ルナは必死に手を伸ばすが、指先は虚空を掴むだけ。


「大丈夫。いつか必ず、また会える」


最後に見えたのは、少年の優しい笑顔だった。


現実に戻ると、ソラが青ざめた顔でルナを見つめていた。


「すごい……あんなに強い想念は初めてだ」


「ソラくん?」


「あの夢の主は、ただ者じゃない。君との繋がりが、普通の契約とは次元が違う」


ナクが心配そうに二人の間に入った。


「おい、大丈夫か? 何を見た?」


「黒髪の少年……名前は『セ』まで聞こえた」


その瞬間、ナクの表情が凍りついた。


「セ、だって? まさか……いや、そんなはずは」


「ナク、何か知ってるの?」


黒猫は口を閉ざし、困ったように尾を巻いた。


夕暮れ時、ソラはルナに向き直った。


「僕と契約すれば、もっと深く夢を探れる。あの少年の正体も分かるかもしれない」


「でも、ソラくんとの記憶も……」


「構わない。僕は夢の中で生きてるようなものだから。現実の記憶なんて、さほど重要じゃない」


ソラの瞳に、決意の光が宿った。


「それより、君があんなに哀しい夢を見続けるのが耐えられない。僕の力で、少しでも楽にしてあげたい」


学園の時計台が、午後6時を告げた。


オレンジ色の空に、黒い鳥が一羽横切っていく。


「僕はずっと、悪夢に苦しんできた。人の恐怖や絶望が、勝手に夢に入り込んでくる。だから、誰とも深く関わらないようにしてた」


ソラは自嘲的に笑った。


「でも、君の夢は違う。哀しいけど、美しい。あの少年の想いが、純粋すぎて眩しいくらい」


「ソラくん……」


「だから、僕にも夢を見させて。君と過ごす、幸せな夢を」


薔薇時計が、微かに脈動した。13枚目の花びらが、散る準備をしている。


ルナは目を閉じた。また一人、大切な人を忘れることになる。でも、ソラの優しさは、きっと心のどこかに残るはず。


「ありがとう、ソラくん」


契約のキスは、夢のように儚く、そして甘かった。


翌朝、ルナは不思議な感覚で目覚めた。


いつもの哀しい夢ではなく、誰かと手を繋いで星空を見上げる夢を見た。相手の顔は思い出せないけれど、とても温かい気持ちになった。


「よく眠れたみたいだね」


ナクが安心したように呟いた。


「うん。なんだか、守られてる感じがした」


教室に入ると、紺色の髪の男子生徒が窓際の席に座っていた。


「おはよう」


彼は優しく微笑んだ。ルナは会釈を返したが、どこかで会ったような、そうでないような……。


「あれ? ルナちゃん、月城くんと仲良くなったの?」


さくらの言葉に首を傾げる。月城……ソラ?


「えっと……」


「昨日転校してきたばかりなのに、もう契約済み? さすが聖姫様!」


ルナは左胸を押さえた。薔薇時計の花びらは、確かに13枚散っている。


ソラは静かに微笑みながら、空を見上げていた。その横顔が、なぜか守護天使のように見えた。


昼休み、ルナはまた眠気に襲われた。保健室のベッドで横になると、すぐに夢の世界へ。


黒髪の少年が、今日も庭園にいた。でも、その表情は以前より穏やかだった。


「やっと、良い夢を見られるようになったね」


「え?」


「君を守る者が増えた。それは良いことだ」


少年は薔薇の花を一輪、ルナに差し出した。


「次に会うときは、もっとはっきり顔を見せてあげる。約束するよ、ルナ」


「待って、あなたの名前は……」


「もうすぐだよ。もうすぐ、全てが明らかになる」


夢から覚めると、手の中に薔薇の花びらが一枚、握られていた。


現実のはずなのに。


「これは……」


ナクが驚愕の表情で花びらを見つめた。


「夢と現実が、繋がり始めてる。やはり、あの少年は……」


「ナク?」


「いや、なんでもない。ただ、もうすぐ大きな転機が来る気がする」


放課後の帰り道、ルナはソラとすれ違った。


「今日は良い夢を見られた?」


彼の問いかけに、ルナは戸惑いながら頷いた。なぜ、この人は私の夢のことを知っているのだろう?


「それは良かった。君には、幸せな夢を見る権利がある」


ソラは微笑んで立ち去った。その後ろ姿を見送りながら、ルナは手の中の花びらを見つめた。


夢の少年、消えた記憶、そして新たな謎。


契約の運命は、より複雑に絡み合い始めていた。


月が昇る頃、ルナは日記にこう記した。


『今日、不思議な転校生に会った。なぜか懐かしい感じがする。そして、夢の少年の顔が少しはっきりした。セ……で始まる名前。いつか、すべてを思い出せる日が来るのかな』


窓の外で、流れ星が一つ、夜空を横切っていった。

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