黒薔薇の聖姫学園 〜契約のキスと20人の運命〜

ソコニ

第1話『契約のキスと黒薔薇の姫』



 四月の朝。桜の花びらが舞う中、私は黒薔薇の聖姫学園の門をくぐった。


「綺羅星ルナ、16歳。今日から、ここが私の新しい学校……」


 胸に手を当てる。制服の下、左胸のあたりがじんわりと熱い。転校前日から始まったこの違和感。まるで何かが目覚めようとしているような——。


「にゃあ」


 足元で黒猫が鳴いた。つい三日前から私についてまわる、人懐っこい猫。なぜか離れようとしない。


「あなたも一緒に来たの? 困ったな、学校に動物は……」


 その時だった。


 左胸に、激痛が走った。


「っ……!」


 思わずしゃがみ込む。制服の胸元から、黒い光が漏れ出した。光は次第に形を成し、私の胸に黒い薔薇の刻印を刻んでいく。


「な、なに、これ……」


『やっと目覚めたね、ルナ』


 声がした。見下ろすと、さっきまでただの黒猫だったはずの子が、金色の瞳で私を見上げていた。


『僕はナク。君の使い魔さ。そして君は——黒薔薇の聖姫』


「しゃ、喋った!?」


『今更驚くなよ。君の胸に刻まれた薔薇の刻印、見えるだろ?』


 恐る恐る制服の第一ボタンを外す。そこには、精緻な黒薔薇の紋様が浮かび上がっていた。よく見ると、薔薇の花びらは時計のように円形に配置されていて、ちょうど20枚。


『それが薔薇時計。君の運命を示すものだ』


「運命……?」


『君は18歳までに、20人と契約のキスを交わす運命にある。相手は必ず幸福を手に入れる。でも代償として——』


 ナクの瞳が、少し翳った。


『君は、その人との記憶をすべて失う』


 意味が分からなかった。キス? 契約? 記憶を失う?


「ちょ、ちょっと待って! 何それ、意味分かんない! つーか、なんで私が!?」


『100年に一度、黒薔薇の聖姫が生まれる。それが君だ。理由なんてない。運命ってのは、そういうものさ』


 立ち上がろうとした瞬間、めまいがした。


「きゃっ!」


 バランスを崩し、後ろに倒れそうになる。このまま石段に頭をぶつけたら——


「危ない!」


 誰かが私を抱き止めた。柔らかな金色の髪が、朝日を受けて輝いている。


「大丈夫? 怪我はない?」


 顔を上げると、天使のような美少年が心配そうに私を見つめていた。透き通るような青い瞳。でも、なぜか彼の周りには、どんよりとした黒い靄のようなものが——。


『へえ、いきなり一人目が来たか』


 ナクが面白そうに言った。


『その子、見えるだろ? 不運の星の下に生まれた子だ。何をやっても裏目に出る。努力は報われず、いつも貧乏くじを引く運命』


「え……」


 改めて見ると、確かに彼の制服は所々ほつれていて、靴も片方の紐が切れかけていた。


「あ、ごめん! いきなり抱きついちゃって」


 彼は慌てて私から離れた。その拍子に、持っていた教科書が全部地面に落ちる。


「あーあ、またやっちゃった。俺、本当にドジで……」


 苦笑いを浮かべながら、教科書を拾い始める彼。見ていて、胸が痛くなった。


『どうする? 彼を幸せにしてあげる?』


 ナクの言葉に、私は彼を見つめた。優しそうな人。私を助けようとしてくれた人。なのに、不運の星の下に生まれたなんて——。


「あの……」


「ん?」


 彼が顔を上げた。その瞬間、朝日が雲に隠れ、彼の顔が陰った。本当に、運が悪いんだ。


「お名前、教えてもらえますか?」


「俺? 天嶺アオイ。君と同じ1年生だよ。あ、君は転校生だよね? 朝礼で紹介があるって聞いたから」


「綺羅星ルナです」


「ルナちゃんか。綺麗な名前だね」


 アオイくんは優しく微笑んだ。その笑顔を見て、私の中で何かが決まった。


 立ち上がり、彼の頬にそっと手を添える。


「え? ルナちゃん?」


「アオイくん。あなたを——幸せにしてあげる」


 背伸びをして、唇を重ねた。


 契約のキス。


 触れた瞬間、私の左胸が熱く輝いた。黒薔薇の刻印から光が溢れ、二人を包み込む。アオイくんの瞳が大きく見開かれ——


 そして。


 薔薇時計の花びらが、一枚、音もなく散った。


「っ……!」


 頭の中に、激流のように何かが流れ込んでくる。同時に、何かが流れ出していく。まるで、心に穴が開いたような——。


「ルナちゃん!? 大丈夫!?」


 アオイくんが私を支えてくれた。その瞬間、彼の周りを覆っていた黒い靄が、きれいに晴れていくのが見えた。


『契約成立。彼の不運は消えた。これから彼には、幸運が訪れるだろう』


 ナクの言葉通り、曇っていた空から再び朝日が差し込んだ。アオイくんの金髪が、まるで後光のように輝いて見える。


「あれ? なんか、体が軽い……」


 アオイくんが不思議そうに自分の手を見つめた。さっきまでのどんよりとした雰囲気が嘘のよう。


「ルナちゃん、本当に大丈夫? 顔色悪いよ」


「う、うん。ちょっとめまいがして……」


 本当は違う。今、目の前にいるこの優しい人の名前が、思い出せなくなりかけている。さっきキスをしたはずなのに、どうして——


「あ、もうこんな時間! 朝礼に遅れちゃう。ルナちゃん、一緒に行こう!」


 彼が私の手を取った。温かい手。でも、この人誰だっけ——


「保健室、後で一緒に行こうね。転校初日から倒れたら大変だから」


 そう言って笑う彼の顔が、まるで光の中に溶けていくように、ぼやけて見えた。


 ううん、大丈夫。この人は……この人は……


 ——誰?


「ほら、行こう!」


 手を引かれて走り出す。桜の花びらが舞う中、私は必死に記憶を手繰り寄せようとした。でも、もう思い出せない。


 ただ、胸の奥が、とても温かかった。



 朝礼での自己紹介を終え、1年3組の教室に入った。


「綺羅星さん、こっちの席が空いてるよ!」


 声をかけてくれたのは、朝、一緒に教室まで来た金髪の——


 誰だっけ。


「あ、ありがとうございます」


「ございますって、さっきまでタメ口だったじゃん」


 彼は楽しそうに笑った。キラキラして、まるで幸運の星の下に生まれたような人。


『19人分、あと19人分の契約が残ってる』


 ナクが私の肩に飛び乗ってきた。クラスメイトには見えないらしい。


『でも覚えておきな。20人全員と契約を終えたとき、君には二つの道がある』


「二つの道?」


『真実の恋を知るか——存在そのものが消えるか』


 窓の外で、桜の花びらが風に舞っていた。私の薔薇時計も、いつか全ての花びらを散らすのだろうか。


「綺羅星さん? 大丈夫?」


 金髪の彼が心配そうに覗き込んできた。


「あ、はい。なんでもないです」


「そう? じゃあ、俺の席、ルナちゃんの隣だから。分からないことがあったら何でも聞いて!」


 彼はそう言って、窓際の席についた。朝日が差し込んで、まるで天使みたい。


 どうして、こんなに優しくしてくれるんだろう。


 私、この人のこと、知ってるような気がするのに——。


『それが契約の代償さ』


 ナクが小さくつぶやいた。


『でも、完全に忘れることはない。心は覚えてる。だから切ないんだ』


 授業が始まった。黒板を見つめながら、私は左胸にそっと手を当てた。


 薔薇時計は、静かに時を刻んでいた。


 あと19人。


 私は、あと何人の記憶を失うのだろう。そして、最後に何が待っているのだろう。


 窓の外を見る。桜の木の下で、上級生たちが楽しそうに話していた。その中に、ひときわ目を引く生徒がいた。


 黒髪で、眼鏡をかけた——


『お、早速二人目のお出ましか』


 ナクが面白そうに言った。


『如月レイジ。この学園きっての天才。でも彼には、誰にも言えない秘密がある』


「秘密……?」


『それは、会ってからのお楽しみ』


 上級生と目が合った。彼は一瞬、まるで私を待っていたかのような表情を見せ——すぐに視線をそらした。


 胸騒ぎがした。


 これから私は、どんな運命を辿るのだろう。


 薔薇時計の花びらが、かすかに震えた気がした。

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