クローディアの物語

雨之宵闇

第1話

 後妻というものがどんな存在なのかを、クローディアは知っているつもりだった。

 八歳の年に母を亡くして、喪が明けきらぬうちに迎えられた父の妻は、後妻という立場であった。


 自分と十一歳しか違わない若い義母は、「母」というより歳の離れた姉のように思えた。実際は一人娘であったクローディアには姉はいなかったが、もし父がこれほど早く後添いを迎え入れなければ、もう少しクローディアも彼女との距離を押し測ることができたのかもしれない。


 父が後妻の義母を得た十年後に、真逆、自分が後妻となって義母という立場になるのだとは思いもしなかった。


 クローディアがローレンスに嫁いだのは、彼女が学園を卒業して直ぐのことだった。ローレンスにとっては二度目の妻で、彼には既に十歳の娘がいた。


 生家に義母が嫁いだ時に彼女は十九歳、クローディアは八歳だった。十八で十歳の少女の母となった今の自分と変わらない。


 義母も、こんな気持ちだったのだろうか。これから暮らすフォーウッド伯爵邸に初めて足を踏み入れた時に、クローディアはそんなことを考えた。



 クローディア・バイロン・フォーウッドは、先月まではバークリー伯爵家の長女であったが、今はフォーウッド伯爵夫人として生きている。

 本当なら今頃は、ローレンスとは違う男性の妻となり子爵夫人となっているところだった。

 クローディアには元々、夫ではない婚約者がいた。


「クローディア」


 名を呼ばれて、手元に落としていた視線を声のしたほうに向ければ、幼い少女が開かれた扉の側に立ってこちらを見ていた。


 漆黒の髪に真っ青な瞳。癖のない艷やかな直毛が彼女をほんの少し大人びた表情に見せている。


「どうしたの?」


 クローディアは義娘に訊ねた。

 呼びかけたのはそちらのほうなのに、義娘は微かに眉をしかめたような顔をした。その腕には本を一冊抱えている。


 それは先日ローレンスが買い与えた異国の絵本で、アンネマリー、義娘は「もう十歳なのにこんな子供の読むような絵本は嫌だ」と言ってゴネていた。

 だが、帝国語で書かれた絵本はそれほど優しいものではなかったのだろう。


「こちらへいらっしゃい。私にも読ませてくれる?」


 クローディアがそう言えば、アンネマリーは子供らしく頬の強張りを緩めた。


 侍女がかさず椅子を一脚窓辺に寄せる。

 今日は雨が降っていて、室内は少しばかり暗かった。クローディアは明りを求めて窓辺で刺繍をしていたのを途中にして、アンネマリーが抱き締めて仄かに温かな熱を残した絵本を受け取った。そのまま静かにページを開き、1ページ目から音読する。


 年若の女性にしては少し低い声が部屋に響く。雨音とクローディアの声とが混じり合って、そうだ、遠い昔に自分もこんな経験をしたと思い出した。

 あの日も雨が降っていた。

 こんな風に窓の外は鼠色の雲が広がり、室内は薄っすら暗くて昼からランプをつけていた。


 あの日、クローディアに絵本を読んでくれたのは、亡くなった母だったろうか、それとも嫁いだばかりの義母だったか。

 思い出は優しくて、その時のクローディアが決して孤独でも不幸せでもなかったことを教えてくれる。


 今日の出来事を、今、自分の声に耳を傾け絵本を見入る少女もまた、懐かしく思い出す日が来るのだろうか。そんなことを考えながら、少しだけ声音に感情を乗せて読んでみた。



 絵本であるから、読み終えるのにそれほど時間は掛からなかった。本を閉じながらアンネマリーの小さな旋毛つむじを見下ろした。


「おしまい。もう一度読む?」

「いいえ、ありがとう、クローディア」


 母を知らないアンネマリーは、同じ年齢の子より少しばかり大人びている。口調もそうで、甘えベタなことがひと目でわかる。


 彼女はクローディアを義母ははとは呼ばない。

 父親のローレンスも無理なことはさせないし、何よりクローディア自身がそれを望んではいなかった。


 クローディアが義母に初めて会った時、父は彼女の名前ではなくて、「今日からお前の母だ」と紹介した。

 幼いクローディアは義母のことを「母」としか知ることができなかったから、「お義母様」と呼んだのだが、果たして義母はそれをどんな思いで聞いたのか。


「何を刺繍しているの?」


 再び本を胸の前で抱き締めたアンネマリーが、クローディアが窓辺に片付けていた刺繍道具を見て言った。


「ハンカチよ。貴女の」

「……本当?」

「本当よ。見てみる?」

「ええ」


 アンネマリーは相変わらず眉を薄っすらしかめたまま、クローディアが手にした、刺繍枠がめられたままのハンカチを見た。


「苺模様は嫌?花のほうが良かったかしら。それともイニシャル?」


 ハンカチには赤々とした苺が三分の二ほど仕上がっていた。アンネマリーはそれをじっと見つめてから、こちらを見ぬまま「これでいいわ」と言って、そのまま身を起こして扉へと向かって歩き出した。


 気が済んだのだろうか、彼女は扉の前でチラリとクローディアを見やってから、無言のまま部屋を出て行った。


「奥様、申し訳ございません。アンネマリー様はまだお子様で上手くお言葉をお掛けすることができずにおいでなのです」


 側にいた侍女が、アンネマリーの無作法を詫びた。


「いいのよ、気にしていないわ」


 アンネマリーは既に十歳。表情と口振りは大人びていても、令嬢としての作法は劣る、そんな少女だった。




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