第26話 些細なことに、救いと喜びを

 九頭家の門の外にへたり込む。渚野叔父さんを、完全に見失った。せっかく見つけたのに。どうしても落ち込んでしまう。そのまま僕は体を動かせなくなった。体から気力が抜けてしまったのだ。


 どれほど、その場にへたり込んでいただろう? ふと、何かが聞こえることに気付いた。誰かがボソボソとしゃべっているかのような音。それが耳に入ってくる。なんだか、不快な気分になる。しかも、それだけじゃなかった。


 僕の両脇に、誰かが立っている。凄く、嫌な感じがする。そこに立っているのが誰か……というより何なのかは本能で分かった。シミだ。人の形のシミが僕の両脇に立っている。それが、見なくても理解ができる。同時に今、凄く不味い状況だと思う。逃げないと……なのに、怖くて体が動かない。


 すぐに、動かないといけないのに、気力が湧かない。というか、あのシミのあった場所にへたり込むなんて、ウカツすぎた。反省しても仕方ない。とにかく、今は逃げないと。逃げることを考えないと。


 立って、逃げなければ。なのに気力はつきたままだ。両脇に立つそれが、僕に何かを、しようとしているのが分かる。やめろ。僕に危害を加えるんじゃないっ! やめろ!


「――霧島君! 何してるのよ!」


 因習村さんの叫ぶ声が、耳に届いた。その叫びが、凄く頼もしい。気力が、湧いてくる。なんとか動けるかもしれない!


「霧島君! どの方向でも良い! 腕を伸ばして!」


 因習村さんに言われるがまま、僕は腕を伸ばした。その腕を因習村さんが手に取った。珍しく彼女の手が長袖の外に出ているな、なんて思いながら、不思議と、因習村さんの手を伝ってエネルギーが湧いてくる感覚があった。それは錯覚だったのだろうけど、僕の足が動き出す。


 因習村さんに引っ張られるようにして立ち上がる。そこからは意識しなくても足が動いた。僕の近くに居た者たちが後方へ遠ざかっていく。それが、気配で分かった。後方を確認することはしない。怖いから。


 因習村さんに、腕を引っ張られながら、とにかく走った。彼女、思ったよりも握力が強い。若干の痛みを腕に感じながら、それでも、逃げる途中で僕の足が止まることはなかった。


 ひとまずの安全を感じ、ようやく僕たちが足を止めたのは、コンテナ群の辺りまで、戻ってきてからのことだった。周囲には僕たち以外の気配は無い……と思う。すでに気持ちは、結構いっぱいいっぱいだし、嫌なことはこれ以上起こってほしくない。しばらくは。


 僕は肩で息をしているのに因習村さんは平然としている。結構な距離を一気に全力疾走したはずなのだが……凄いなこの子。つい、感心してしまう。陸上部にでも入れば良いのに。


「……霧島君、色々ショックだったのは分かるけどさ。危機感無さすぎ。私が助けなかったら、今ごろ大変なことになってたよ」

「それは……ごめん」

「違うでしょ。ありがとうでしょ」

「ありがとう」

「どういたしまして。ここで霧島君に退場されたら、詰まらないからね。中途半端なところで結末を向かえるほど、詰まらないことはないのよ」


 うん……さっきのウカツは、本当に反省している。因習村さんが助けてくれていなかったら、と考えてゾッとした。


「まあでも、九頭家に行って収穫はあったね」

「収穫?」

「渚野叔父様の無事を確認できたのが一つ」

「ああ、うん」


 叔父さんの姿を見ることはできたけど、結局見失ってしまったのだから、喜んで良いものか。複雑な気分だ。


「とりあえず、叔父様が生きてることは確認できたのだから、そこは良しとしましょう」

「それはまあ、そうだね」

「絶望に完全に潰されないコツは、些細なことの中に救いや喜びを見いだすことよ。君はそれを覚えておくと良いよ」

「そうかもね……今の僕って、そんなに絶望しているように見える?」

「うん、そんな感じ。結構ギリギリで頑張ってるって感じ」

「そっか……因習村さんのアドバイスは覚えておくよ。けれどまだ、止まれない。せめて、叔父さんに会うまでは」


 僕の言葉を聞いて、因習村さんはとても嬉しそうな顔をした。「その意気よ」なんて言ってくれる。ちょっとした言葉が、とても嬉しい。


「霧島君のことは、この事件の最後まで、私が支えてあげるから」

「それは、ありがとう」

「どういたしまして。素直なのは、良いことだよ。もっと褒めてほしい? ギュッとしてヨシヨシしてあげようか? それが必要なら」


 それはいいよ。ちょっと気を抜くと、すぐにからかってくるんだから。因習村さんのことは、好きにはなりきれない。


「……とまあ、冗談は置いとくとして……これなーんだ?」


 そう言って、因習村さんは、再び袖から手を出した。二つの指先には、五芒星の形した石が挟まれている。それが見つかったのは、喜んで良いものか。いや、因習村さんは些細なことの中に救いや喜びを見いだせと言った。ならば、旧神の印の発見は、素直に良いニュースとしてとらえよう。


「渚野叔父様が走っていた経路の途中に落ちていたの。叔父様が自宅から持ち出していたのか、もしくは九頭家に盗まれていた旧神の印を取り返しに来てたのか、分からないけど」

「分からないけど?」

「叔父様はこの印のために、動いている可能性が高そうよ。だとすれば、自ずと彼の次の行動も予想できる」


 因習村さんの自信に溢れた顔が、とても頼もしく見えた。

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