第4話 ノートがない

その日、私はいつもより気持ちに余裕があった。




週末に近づき、仕事もひと段落していた。


通勤電車の中では、気になるカフェの新作メニューを検索していたし、昼休みには珍しく同僚と笑って話す時間もあった。




そして、仕事が終わって帰宅する途中──


駅のホームに立った瞬間、私は凍りついた。




……ノートが、ない。




バッグの内ポケットに、いつも入れている“あのノート”。


嫌なことも、悲しいことも、念じたことも書き綴ってきた、大切で、恐ろしい秘密の塊。




なぜか、そこに、ない。




慌ててバッグの中身を全部出す。


スマホ、財布、ハンカチ、名刺入れ、そして化粧ポーチ。


いつもの場所に、ノートはない。




「……嘘でしょ……」




冷や汗が首をつたう。


電車が来た音が遠くに聞こえるが、私はホームのベンチに腰を下ろしたまま、茫然としていた。




考えられる可能性をひとつずつ追う。




職場に忘れた?


でも、ロッカーの中は朝見たときに片付けたはず。


デスクの上?昼にファイルを整理した時は何もなかった。




じゃあ──誰かが、拾った?




息が詰まった。


あのノートには、他人の名前がたくさん書いてある。


恨みごと、呪い、そして“願い”。




それを見られたら……?


もし、それを誰かに読まれたら……?




もはや、ただの忘れ物じゃない。


これは、私という人間の“裏側”そのものだった。




「……終わったかもしれない」




その夜、私は一睡もできなかった。


電気をつけたままベッドに座り、ぼんやりと時計の針を眺め続けた。




スマホには何の通知もない。


でも逆に、それが怖かった。


何も言わず、誰かがノートを読んでいる。


そう考えるだけで、胃の奥が重く、喉が渇いた。




翌朝──




ロッカーを開けた瞬間、私は固まった。




そこに、“あのノート”が置かれていた。




開かれた様子はない。


表紙の花柄もそのまま、私だけが知っている、小さなインクのにじみもある。


けれど、何かが違っていた。




ノートの一番最後のページに、見覚えのない文字が書かれていた。




「これって、叶ったりするの?」




震える手で、ノートを閉じた。




誰かが、知っている。

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