3.ひとり
―響也―
「うわあ、めっちゃマヨネーズかけてきたね」
焼きそばのパックを見た一樹が笑う。
「響也、食べれるの?」
「食べるよ、たまには良いんじゃない。いっちゃんこそ、こんなにかけて良かった?」
「俺は平気だよ。ビールもあるし」
乾杯しよ、とカップを傾けてくるので、軽く合わせてから一口飲んだ。暑さで乾ききっていた喉を、炭酸が弾けながら通っていく。
「美味しいね」
「焼きそばも食べよ」
割り箸を手に取り、焼きそばのパックを広げる。ソースにマヨネーズなんて、普段は絶対食べない組み合わせだ。食べられるかな、と一瞬不安が頭をよぎるが、口にしてみると美味しかった。少し焦げたような部分もあるが、味が濃くなってビールが美味しく感じられる。
「ねえ見て。さっき真奈美から送られてきたんだけど」
一樹が自分のスマホ画面を俺に向けて見せてくる。
少し伸びてきた前髪をピンクのゴムで結った小さな女の子が、得意げな表情でにこにことカメラの方を見ている。
『ゆいちゃんっ、もう一回!』
真奈美さんらしき声が入る。すると、優衣ちゃんは嬉しそうに、ばーばー、と舌っ足らずな声を発した。上手、と画面の奥で喜んでいるのは、たぶん真奈美さんのお母さんだろう。そこで動画は終わった。
一樹がスマホを引っ込める。
「ばあば、って言えたんだって。お義母さんに先越されたちゃったなあ」
「あーあ、残念だったね」
笑いながらビールを口に運ぶ。もう既に温くなりかけていた。
「うちに帰ってきたら、パパって言えるように練習させないとな」
言いながら、また動画を再生して見返し始める。目を細めて娘の成長を見つめる父親の表情に、胸の奥の片隅が、微かに痛む。
「……いいな」
心の声が、勝手にこぼれ出た。
「俺も、家族が欲しい」
一樹はスマホをポケットにしまうと、少し真面目な表情で俺を見た。
「あのさ……さっきも話してたけど、そういう気があるなら誰か紹介しようか?」
「……ううん、いい。気にしないで」
薄く笑んでかわす。
俺を心配して言ってくれているのが分かるからこそ、彼の優しい言葉は、ナイフより鋭く心に突き刺さる。
小さい頃からずっとそばにいた幼馴染なのに。いつからだろう、甘えることも頼ることも、出来なくなってしまったのは。
何か言いたそうな表情でビールを飲む、一樹の視線が痛くて目を逸らす。
本当の事を知ったら、この人はどんな顔をするんだろう。
―俺が、男しか好きになれないって事を。
こんな狭い島の中、男同士で付き合ったりしたら、あっという間に噂が広まってしまう。
知られたくない。この人には、絶対に。
視線を彷徨わせていたら、ふとさっきの屋台が目に入った。頭にタオルを被ったさっきの彼が、こっちを見ている。かと思えば、すぐ視線を逸らされた。
気のせいかなと思いながら、食べ慣れない味に塗れた麺を、少しだけ摘んですすった。
***
裏口の戸を開けて中に入り、すぐに内側から鍵をかける。
手探りで階段の明かりをつけると、客のいないがらんとした店内が薄明かりの中に照らし出された。
三年前から、店舗兼住宅としてリフォームした中古の一軒家に一人で住んでいる。
階段を上がり、部屋の電気とエアコンをつけた。
ほとんど使わないキッチンの流しには、小さめのグラスが洗って伏せて置いてある。
冷凍庫の製氷皿から氷を二つグラスに入れ、食器棚の隅に置かれたウイスキーボトルを手に取った。
ボトルに刻まれたイニシャルを指でなぞる。
……ずっと、飲まないで取っておいたのにな。
ゆっくりボトルを傾け、氷の上に飴色の液体を流す。今日は半分くらいで十分だ。さっきビールを飲んだから、飲み過ぎると明日に響く。
冷蔵庫横に掛けたカレンダーの日付を確かめる。明日は東京から、いとこの千晃が帰省してくる日だった。
手にしたグラスの中で、あっという間に溶けた氷が軽い音を立てて揺れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます