第2章:学園編

寮分け

 霧のとばりを抜けた瞬間、世界が変わった。


 丘の上に広がる尖塔群。白亜の壁は渦を描くように光を帯び、天へと伸びている。門をくぐったとたん、空気は澄みきり、土と草の匂いが濃く胸に沁みた。ここが――


「ようこそ、学園へ。私がこの学園の副学園長を務めるファラだ」


 女は細身で背が高い。銀の虹彩は氷の破片のように澄み、睫毛は濡れた羽根のように長い。黒衣は無駄のない裁ちで、襟元は金属糸のリベットで留められている。腰には多関節の器具が吊られ、歩くたび《微かな機械音》が鳴る。


「君たちは今日から、この大陸唯一の魔法動物学術機関の生徒となる。魂が示す道に従え。ただし――ここで何を得られるかどうかは、君たち自身の力にかかっている」


 その言葉に、ディディの喉が詰まった。

 隣でユズは顎を引き、肩の黒猫マリーを抱き寄せる。ユズは黒髪を肩甲で切りそろえ、右目の下の黒子が印象を引き締める。

 パウロは晴れた天気そのものの顔をして、大柄な体を前に乗り出した。


「すっげぇ! ディディ、あれ見ろよ! あの塔、絶対訓練場だ!」


「……まだ中にも入ってないぞ」


「だから余計ワクワクするんだろ!」


 ファラは無表情のまま扉を押し開けた。動きは迷いがなく、蝶番の軋みより先に彼女の靴音が響く。


「お前たちが最後だ。早く入れ」


 ***


 大広間は荘厳だった。

 天井は空に溶け込むほど高く、壁には神話を描いたステンドグラスが並ぶ。香は微かに松脂まつやに、石床は磨かれ、靴底の音が澄んで跳ね返る。

 巨大な長方形の空間の奥に教壇。その手前の床には円形の魔法陣――紫・緑・赤の三色が花弁のように脈打つ。


 その奥、玉座めいた椅子に一人の老人が座していた。白髭は胸元まで垂れ、髪は雪のように白い。だが背筋は矍鑠かくしゃく、視線はまっすぐで、しわは刻まれても曇りはない。杖頭は金に翡翠ひすいめ物、指には古い印章の指輪が二つ。


「――新しき学び舎に集った若人たちよ」


 静寂を破る声は、低く、遠雷のように広間を満たした。


「我はこの学園の長、セルビウス・ダン=オルド。

 王立魔法動物学園は、帝国唯一の“魂獣アニマと共に学ぶ場”である。

 ここでは身分も信仰も問わぬ。ただし――魂は偽れぬ」


「魂獣は人に与えられた武器ではない。

 同じ地を踏み、同じ空気を吸う、共の命である。

 それをどう扱うかで、君たちの未来も、大陸の未来も定まろう」


 言葉は静かだが、杖先が床を一度叩くたび、胸腔の奥に鈍い鐘が鳴る。


「寮選定の儀はこの後すぐ行う。帽子ではないぞ。

 ここで得た仲間は、ときに家族以上の絆となり、ときに敵よりも恐ろしい壁となろう。

 だが――逃げるな。魂は逃げぬ。魂獣は君らを見捨てぬ」


 セルビウスが立つ。杖が床を叩くと、金色の粉が走り、天井の肋骨梁ろっこつばりにまで光が昇る。


「では、始めよう」


 中央の白いフクロウが、かぶと金の瞳をほの明るく灯した。羽毛は雪のように密で、嘴は研ぎ澄まされ、静かな覇気が漂う。

 次なる瞬間、名前が呼ばれ、運命が振り分けられていく――。


 ***


「――これより、寮選定の儀を始める」


 ファラの声が響き、フクロウが低く鳴く。

 呼ばれた生徒が魔方陣に立つたび、光は彼らの内側を照らした。


「レナード・カイル」


「――アマルセア!」


 歓声。少年は胸を張って赤の襟章を受け取る。


「エリサ・フローレン」

 小柄で眼差しの強い少女。指は細く、指先に墨汚れ――学び好きの手だ。

「――イリディエル!」


 次に骨格のしっかりした少年が呼ばれた。膝に補修布、靴底は厚い。

「――マルグレア!」


 次々と名前が呼ばれる。


 ***


「アーロフ・ロウ・ヴァレンホール」


 その名が呼ばれると、広間にざわめきが巻き起こった。


「ヴァレンホール……?」


「まさか、あの王族の?」


「いや、聞いたことある。末の娘で……たしか“落ちこぼれ”って噂じゃ……」


「でも王族は王族だろ。普通の貴族とは格が違う」


 好奇と侮蔑ぶべつ羨望せんぼうが入り混じった視線が、一斉に壇上の少女へ注がれた。

 セレナは背筋をまっすぐに伸ばし、金の髪を高く結い上げている。その姿は気品に満ちているはずなのに、噂を知っている者たちの目には「見栄」と「虚勢」に映った。


 だが彼女は気に留める様子もなく、堂々と魔方陣の中央へ歩み出る。

 フクロウの黄金の瞳が彼女を見据え、翼を広げた。紫の光が額に降り注ぎ、背に白銀のはやぶさの影が浮かび上がる。


「——イリディエル」


 会場から拍手が起きたが、その裏に再びざわめきが混じる。


「やっぱり王族だからイリディエルか」


「血筋だけじゃねえか」


 アーロフは顎を少しだけ上げ、周囲を見回した。紫の光に照らされたその瞳は、鋭い鷹のようで、背中が震えているのが遠めからでもはっきりと分かった。


(絶対に、見返してやる……!)

 

 アーロフは静かにかかとを返し、イリディエルの席へと歩いていった。背筋は剣のようにまっすぐ、足取りには迷いがなかった。


 ***


「ユズ・フェルシア」


 名が響くと、前列の生徒たちがざわついた。


「フェルシア家……聞いたことないな」

「でも、彼女自身は優秀らしい。猫の魂獣と契約しているって」


 ユズは冷ややかに口角を上げ、視線を正面に据えた。薄い前髪の奥で大きな瞳がまっすぐに据わる。頬の丸みと小さな顎先が、強気な台詞の後ろにやわらかな気配を残す。右目下の黒子が灯のようにきらめき、肩のマリーは尾を立てて彼女の歩調に合わせた。


 円に足を踏み入れると、紫の光が彼女を包んだ。マリーの瞳が夜空のように輝き、広間全体が息を呑む。


「——イリディエル」


 フクロウの宣告に、ユズは涼やかに頷いた。

 囁きが広がる。


「あいつがイリディアル?何かの間違いじゃないのか」

「王族の隠し子かしら、可哀そうに」


 ユズは観客を一瞥し、つぶやいた。


「わたしが?なんで……?」


 その言葉は誰に向けたものでもなく、胸の奥からこぼれた決意だった。


 ***


「パウロ・ランベルティ」


「ランベルティ? あの農民の家か?」

「でも体格がすごい、筋肉の塊だ」


 パウロは大股で進み、円に立つと胸を叩いた。


「さあ、俺を選んでくれ! もう準備はできてる!」


 赤い閃光が床から噴き上がり、背に炎の鷲が羽ばたいた。観客席から歓声と驚きが入り混じる。


「――キングだ! これが俺の魂獣アニマ、キング!」


「――アマルセア!」


 フクロウの宣告と同時に、グランツの口元がわずかにほころぶ。


「すごい……一介の農民の子が、ここまで」

「鷲の魂獣だぞ、戦士の象徴じゃないか」


 パウロは拳を突き上げ、声を張る。


「これで俺は戦場に立てる! いつか帝国軍レギオーサに入ってやる!」


 その熱に、広間の空気が少しだけ震えた。


***


「グラディアス・ブラッドアックス」


その名が呼ばれると、広間がどよめいた。


「ブラッドアックス家……!」


「戦士の一族だろ? 代々」


 地鳴りのような足音。

 赤銅の刈り上げ、頬には古傷が斜めに一本。肩幅は扉の枠に迫り、外套は戦場仕立てで肩革かたがわが厚く、目は獣穴けものあなのように暗い。


 フクロウの瞳が光る。床下から炎。背に現れたのはたてがみを燃やす巨大な獅子。


 彼は口角をわずかに上げ、円の中央に立つ。


「この場で俺の力を示せるとは、ありがたいな」


「――アマルセア!」


 畏怖混じりの歓声。


「やっぱりだ……」


「戦士の家系にふさわしい」


 スパルクスは観客席を睨み渡し、低く言う。


「力に怯える者は、戦場に立つ資格はない。俺はここで、最強を証明する」


 パウロが笑みを浮かべ、拳を握る。


「上等だ……! その言葉、忘れんなよ!」


 二人の視線がぶつかり合う。燃える炎と、燃え盛る炎。その瞬間、彼らがただの同級生ではなく、互いの存在を高め合う宿命のライバルとなることが、誰の目にも明らかだった。


 ***


「デイビッド・デイビス」


名前が告げられた瞬間、静寂が広間を支配した。


「誰だ? 聞いたことのない名だ」

「田舎出の平民じゃないか?」

「ほら、ソール村の例の事件の噂の子だろ……?」


 嘲りあざけり混じりの声が背を刺す。

 ディディは深呼吸して歩み出た。目の奥は怯えと、それを押し殺す意志で揺れている。

 円に立った瞬間、光は彼の周りを旋回した。

 一周、二周……何も起こらない。

 三周、四周……ざわめきが広がる。


「ほう、あの狼は魂獣ではないな……どうして推薦されたんだ?」


 五周目、六周目。


「なるほど……面白い。ここなら君のを研ぎ澄ませることができる」


 そのとき、深い緑の光が脈打った。森の匂いが満ち、ざわめきが凍りつく。


「——マルグレア」


 フクロウの声が柔らかく広間に響いた。


「やっぱマルグレアか」

「所詮余り物の寄せ集めだ」


 ディディは唇を噛み、拳を握った。

 誰に向けたものでもない。だが胸の奥で、確かな決意が芽生えていた。


 ***


 儀式が終わる。

 ディディは襟章えりしょう――緑のマーガレットに指を触れた。外で待つ銀狼レムルスは、長い尾を一度だけ振る。


「お待たせ、レムルス」


「へぇ、お前マルグレアか」


 パウロが笑う。赤のアマリリスが胸で燃える。肩のキングは翼を畳み、爪で軽く少年の肩を叩いた。


「アマルセアは炎と力の寮。戦士の砦だ。俺みたいな魂獣持ちは大体ここだぜ。キングも燃えてるしな!」


 ユズは紫のアイリスを指でなぞる。黒髪が光を吸い、マリーの瞳が灯る。


「イリディエルは光と秩序。高貴と統治の寮よ。……私にぴったりでしょ」


「自分で言うなよ」ディディが苦笑する。


「じゃあ、マルグレアは?」


「森と調和の寮。自然と共に歩む人たちの場所よ」


「へぇ……」


 パウロが前へ出る。


「ディディ! ユズ! これからは寮が違う。けどよ——だからこそライバルだ」


 彼は拳を突き出し、炎のような笑みを浮かべた。


 ユズも拳を軽く合わせる。「負けないわよ」


 ディディも拳を重ねた。「ああ……どんなに離れても、俺たちは仲間で、ライバルだ」


 三人の拳が重なった瞬間、外の風が吹き抜けた。

 森の匂い、塔の光、砦の炎。三つの道は分かれていても、その根は確かに結びついている。

 レムルスが低く遠吠えを上げる。

 その声は、これから始まる学園の日々と、やがて迫る試練を告げる鐘のように響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る