DragonHearts~魂に応じて魔法生物〈魂獣〉を得る世界で、俺だけ卵だった件。――奪われた“魂”を取り戻すため、王立魔法動物学園に向かう~

村正

序章:世界樹の麓で

決意

 広大なポロッツェル大陸のロマンシア帝国内、湖に根を下ろす世界樹のふもとに広がるのが、水の都マーシェルだ。無数の運河が縦横に走り、水面には色とりどりの小舟が浮かび、陽光ようこうを受けてきらめく。古くからの石橋が運河を跨ぎまたぎ、その上を人々が行き交い、活気に満ちた声が響き渡る。街の中心には巨大な噴水がそびえ、その水しぶきが虹を描き出すたびに、子供たちの歓声が上がる。マーシェルは、帝国の繁栄を象徴するかのごとく、豊かな自然と人間が織りなす壮大な景観を見せていた。そのマーシェルの端に位置するソール村は、都の喧騒とは隔絶された、古くから時が止まったかのような静寂に包まれていた。石畳の小道は苔むし、木造の家々は風雪に耐え、深い森の匂いが常に空気中に漂う。


 村の中央にそびえる教会は、灰色がかった石造りの重厚な建物で、尖塔せんとうは天を衝くつくかのようにそびえ立ち、その頂に据えすえられた巨大な星の意匠いしょうが、夜空の星々に向かって静かに輝いていた。朝焼けに染まるステンドグラスは、教会の内部を色彩豊かな光の洪水で満たし、壁に描かれた古の聖人たちのフレスコ画が、敬虔けいけんな信者たちを温かく見守っていた。教会の鐘が、朝靄あさもやを破って村中に響き渡る時、人々は労働の手を止め、静かに祈りをささげる。この村の信仰は、帝都で隆盛を極めるフランク信仰と、古来より伝わる三柱神信仰さんちゅうしんしんこうが、奇妙なほどに共存していた。フランクは「救世主」と崇められ、その偉業を称える歌が子供たちの間で歌われる一方で、森の恵みに感謝し、川の清らかさに祈りを捧げる三柱神への敬意もまた、人々の生活に深く溶け込んでいた。


「……そして、雷と嵐の神アッシュは、その知恵と自由の翼で天空を統べ、我々に知性を与えました。水と森の神ヴィレムネイアは、その優しき恵みで大地を潤し、生命の息吹を吹き込みました。そして、生命と大地の神カピトリンは、その強靭な力で我々を守り、団結をもたらしました――」


 シスターの優しい声が教会に響く中、少年たちのぶっきらぼうな声がその静寂を破った。


「シスター、またその話かよ。いい加減聞き飽きたぜ」


 パウロだった。村一番の力持ちで、太陽のように明るい笑顔が特徴の少年だが、この時ばかりはつまらなそうに頬杖をつき、その大きな体躯たいくを揺らした。彼の髪は短く刈り込まれ、日に焼けた肌が健康的な印象を与える。


「いい加減にするのはあなたの方よ、パウロ。シスターにそんな口きくなんて最低ね、見損なったわ」


 ユズがパウロを睨みにらみつけた。艶めいた黒い前髪の奥から覗くのぞく瞳は、丸く澄んでいる。目元にあるその黒子は、彼女の強がりな表情にどこか儚げな影を落とし、見る者の胸をきゅっと締めつける。ふわりと整えられた髪が肩にかかるたびに、思わず手を伸ばして触れてみたくなる衝動に駆られる。ふわっと耳に残る、くすぐったいくらい柔らかな声がその少しぶっきらぼうな口調を緩和する。


「なっ、ユズの方こそ! いっつも最後の方になったら居眠りして結末まで聞いたことないくせに!」


「なんですって! 失礼ね! それくらい知ってるわよ! ほらあれでしょ、なドラゴンがでてきてそれを誰かが――」


 ユズが言葉を詰まらせたその時、教会のドアがゆっくりと開き、陽光に透ける柔らかな天パの髪の少年が立っていた。澄んだ茶色の大きな瞳は、教会の内部を静かに見渡す。着ているのは、村で織られた粗末な麻のシャツと半ズボン。飾り気のない、いかにも村の少年らしい服装だったが、その佇まいにはどこか大人びた雰囲気が漂っていた。


のドラゴンヴィズマーを、英雄フランクが3柱の神の力を借りて倒しましたとさ」


 ディディは、いつものようにどこか落ち着いた声で、物語の結末を言い放った。彼の言葉に、ユズは悔しそうに地団駄を踏んだ。


「あっ! ディディ! ずるいわよおいしいところだけ持って行って!私だって分かってたんだから!」


 ディディは、このソール村の教会で育った。本名はデイビッド・デイビスだが、村の皆は親しみを込めて”ディディ"と呼ぶ。孤児だった彼を、シスターは幼い頃から引き取り、手塩にかけて育ててくれたのだ。シスターの声は、彼の育ったこの村で、唯一の静寂であり、安らぎの源だった。


 シスターは、微笑んでディディに問いかけた。


「こらディディ! また一人で森に遊びに行っていたのね! 危険だからやめなさいって言ったでしょ!」


 ディディは、いつものように穏やかな声で答える。


「大丈夫だよシスター。僕にはの声が聞こえる。それに、僕にはレムルスだってついてる。」


 ディディの隣には、美しい銀色の毛並みを持つ狼、レムルスが寄り添っていた。レムルスの毛並みは、月の光を吸い込んだように神秘的に輝き、その瞳は吸い込まれそうなほど深く、蒼い。レムルスは、ディディにとって親であり、友であり、この世界で唯一無二の存在だった。彼は、ディディが物心ついた頃から常にそばにいて、森での狩りや、村での生活を共に過ごしてきた。

 ディディには、一つ、人とは違う特別な力があった。動物たちの感情や思考が、心に伝わってくるのだ。それは、明確な言葉として聞こえるわけではない。だが、喜びや悲しみ、怒りや恐怖といった感情が、彼に動物たちの内面を教えてくれた。この力は、彼の幼い心を、時に癒し、時に深く抉ったえぐった


「あなたたち3人とも、もうすぐヴェスターなんだからしっかり神話の勉強をして、神々に祈りをささげておかないと魂獣アニマに出会えないわよ?」

 シスターが、いたずらっぽく微笑んだ。


 ヴェスター。それは、湖に根を下ろす世界樹の麓の森で行われる収穫祭だった。15歳になった子供たちにとっては、魂獣アニマと呼ばれる特別なパートナーを見つける儀式でもある。才能あるものには、自分の魂に合う魂獣が向こうからやってくるという。この世界の人間は、魂獣を通して魔法を使うことができる。マーシェル中の子供たちは皆、この日を夢見ていた。


「俺、でっけードラゴンみたいな魂獣アニマがいいなぁ!」パウロは、目を輝かせながら言った。その声は、教会の天井に響き渡るほど大きかった。


「ドラゴンって、伝説上の生き物じゃない。あなたみたいなバカには似合わないわ」ユズは、冷たく言い放った。その口調は刺々しいとげとげしいが、視線はパウロの顔のそばをかすめ、その瞳はわずかに揺れていた。


 パウロは勢いよく立ち上がり、こぶしを握り締めながら隣をにらみつけた。結局その拳が振るわれることはなかったのだが、代わりに立てた人差し指をユズの顔に向かって突き立てながら、問いかける。


「そういうお前はどうなんだよ、ユズ?」

 ユズは、ふんと鼻を鳴らした。


「私は絶対猫!アーモンドの形のくりっくりな瞳にピンっと立った大きな耳、長いふさふさでふわふわなしっぽ、そして美しい毛並みと引き締まった体!あ~もう想像しただけで愛があふれてくる!私と猫ちゃんで美人タッグとして世界中の注目を集めるのは想像に難くかたくないわ!」


 あまりの勢いにディディとパウロは眉を引きつらせ、乾いた笑いをしながら目を合わせる。ディディはこの時ばかりは人間の感情読み取れた気になった。その猫へのまっすぐな愛情の10分の1でも俺たちに向けてくれたらいいのに。まあそういうツンデレなところも猫とお似合いなのかもな。と、パウロもきっとそう思っていたに違いない。


「で、ディディはどうなんだよ?」パウロが、ディディに視線を向けた。


「俺?俺はまあ……」


 ディディは隣に佇むたたずむレムルスの方に視線を下げる。レムルスの瞳からは「俺のことは気にするな」と言いつつも、どこか寂しさを感じた。ディディにとってレムルスは親代わり、何よりも魂獣アニマと言える存在だった。しかし、レムルスは魔法を使ったことがない。なのだ。魂獣となれるのは魔法動物だけなので、レムルスが選ばれることはないはずだ。


「しっかし、魔法が使えない動物なんているんだなぁ、お前どっからきたんだよ、レムルス。ほんとは使えるのに隠してるんじゃねぇのか?案外ヴェスターでふらっとレムルスが現れるかもよ?」


 パウロは首を傾げ、眉をしかめながらレムルスの方を覗き込む。そして、たたいたら何か出てくるんじゃないかと言わんばかりに、頭をポンっと撫でた。


「そうなれば、いいんだけど……」ディディは不安そうにそう呟く。


 ******


 その日の夕暮れ時、三人は、広場の隅にある古木の下に座り込んでいた。西の空は、燃えるようなオレンジ色に染まり、村の家々の屋根を赤く照らしていた。


「なあ、ヴェスターが終わったらさ、俺たち、どうなるんだろうな?」


パウロが、ふいに尋ねた。その声には、未来への期待と、ほんの少しの不安が入り混じっていた。


 ユズは、おもむろに立ち上がり言った。


「私は、とにかく有名になる!世界の端っこにいても、私のことがわかるように!まあ、私の美貌をもってすればすぐに名が知れ渡っちゃうでしょうけど。」ユズはやれやれといった調子で両掌を上にあげ、肩をすくめた。そして、どこか儚げに、決意に満ちた表情で続ける。


「――そして私の両親に、絶対に見つけてもらうんだから。」


彼女の瞳には、強い光が宿っていた。


「ハハッ、ユズらしいや!」パウロは、力強く頷いた。


「俺は、強くなって、帝国軍レギオーサに入りたい!ダニエル隊長みたいに、強くなって、村を守るんだ!」


 パウロの瞳は、希望に満ちて輝いていた。彼の拳は、未来を掴むかのように固く握られていた。


 ディディは、二人の夢を静かに聞いて、漠然とした、しかし強い何かを感じていた。彼は目を閉じ、己の心の奥底に耳を傾ける。


「俺は――」ディディは、ゆっくりと目を開け、空を見上げた。


「まだ、はっきりとは分からない。でも、俺、この世界のことを、もっと知りたい。みんなが、動物たちと分かり合えるような世界を、人間も動物もみんな平等な世界を、作ってみたい。」彼の瞳には、決意の光が宿っていた。


 ユズは、驚いたようにディディを見つめ、パウロは、ディディの肩をドンと叩いた。


「やっぱりディディは考えることが違えな!ありえねえけど、でもやるんだったらお前しかいねえ!」


「本気?あんたって馬鹿なのか天才なのか分からないわ。まあせいぜい頑張りなさいよ、この私が応援してあげるんだから。」

 ユズは、そう言いながらも、ディディの顔にほんのわずかに微笑みを向けた。


 三人は、夕焼けに照らされた広場で、それぞれの夢を語り合った。彼らの心には、まだ幼いながらも、未来への希望と、互いへの揺るぎない絆が宿っていた。レムルスは、少し離れた場所で、静かに彼らを見守っていた。彼の銀色の毛並みが、夕焼けに照らされ、一層輝いて見えた。

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