第13話 憎悪の牙(Day13、牙)
唸り声と共に、鋭い牙が、旭の身体に深々と刺さる。
真っ黒で大きな人影が、巨大な黒い牙を持って旭に馬乗りになっていた。
「うっ……」
真夜中。
縁側で倒れている旭は、抵抗しようとする度牙に刺され、動くことが出来ない。声も掠れて上手く出ない。されるままになっている。
旭は、身体が痛くない、と分かった時点で、これは夢だと気付く。
(起きれないな……何でだろう。痛くはないけど、刺されると熱いし冷たいし、怖くて不快……)
旭の白い肌には、刺された跡が黒くいくつもついている。
(これ、人なのかな)
何度も牙に貫かれている内、旭はこの人影から悪意や憎しみのような感情を感じ始めていた。
(僕、何かしたっけ……?)
考えようとしても、牙に刺されると衝撃で思考が散る。呻き声の合間に、恨み言のようなものも聞こえて来た。
旭は無理やりに仰向けにされ、首筋に牙を突き立てられる。
「う、あ……っ」
深く刺さる衝撃に、旭の身体が跳ねた。
熱さと冷たさに同時に呑まれ、涙が滲む。視界が歪んだ。
(もう耐えられないかも……)
「……おのれ、御剣弥命……」
人影が憎々しげにそう言うのを、旭は確かに聞いた。
(え?叔父さんの名前?)
旭が驚いていると、人影は不意に庭へと飛ばされて行った。
「恨んでんなら、本人に直接来いや」
地の底から響くような声と怒気。
旭の足元に、弥命が立っていた。
庭に蹴り飛ばした人影を、凶悪な眼光を放ちながら睨んでいる。
人影はゆらりと立ち上がり、憎悪に満ちた様子で弥命をじっと見ていたが、やがて消えてしまった。
弥命は忌々しそうに舌打ちしたが、直ぐに旭を抱き起こす。
首に深く刺さったままの牙を抜いた。
「う、」
(身体が重い……怠くて動けない)
旭は荒い息でぐったりとしていたが、弥命に背を軽く叩かれ、段々と落ち着いて来る。
「ありがとうございます、弥命叔父さん」
掠れた声で言う旭には答えず、弥命は旭を抱えて縁側に面した部屋の襖を開ける。
「こっから先は、俺の夢だ」
「え?」
襖の向こうの部屋は、現実の部屋とはまるきり違っていた。
部屋自体が、大きな水辺になっている。
足元には、膝より下くらいまでの青い水で満ちていた。部屋の隅にある金魚柄の釣り灯籠が、美しい青の水辺を淡く照らしている。
壁や天井には水面が反射し、青くゆらゆらと揺蕩っていた。
弥命は、ざぶざぶとその青を進み、真ん中に旭を寝かせる。
緩やかな水の流れが、旭を穏やかに包んだ。
「あれ……」
(身体が軽くなる……気持ち良い)
弥命は旭の傍らに座り、首へ重点的に水を掛ける。
まだ頭が働かない旭は、弥命のシャツの鮮やかなムスカリ柄をぼんやりと眺めていた。
「あんなもんで魂をこんだけ刺されたら、起きた後もやべーからな」
(魂……?)
弥命が言うのを、旭は分かったような分からないような様子で聞いている。
でも、水を受けると、熱さも冷たさも引いて行くような気がして、旭は息をつく。
「ありがとうございます」
弥命は答えず、不機嫌そうに目を細める。旭は弥命の、夜に見る水のような瞳をじっと見上げると、呟いた。
「悪いのは、刺した人ですよ」
その言葉に、弥命の目が丸くなる。
そのまま、青い水面を少し睨んだ。
「……まーね」
旭は、部屋に視線を巡らす。
「気持ちの良い部屋ですね。気分が良いです」
「この部屋は、そういう場所にしてるからな。……あんま喋るなよ、首辛ぇだろ」
首から、まだ熱さと冷たさは完全に抜けていない。旭は頷いて、口を閉じる。
弥命が掛ける水の静かな音が、部屋に満ちた。微かに水に浮かぶ浮遊感もあり、心地良さから、旭は微睡み始める。
「寝て良いぜ。起きる頃にはまあ、マシになってるだろ」
「でも……」
「俺の夢の中で、誰か旭に手出せる訳ねぇだろ」
(それもそうか……いや、そういうことでも無いんだけど)
何か言おうとして、でも旭は考えるのが怠くなり、黙って頷いた。
「……叔父さんが刺されなくて、良かったです」
眠気で、微かな声になる。
それでも旭のその言葉は、確かに弥命へ届いた。直ぐに目を閉じてしまった旭は、弥命の表情を見ることなく眠りに落ちる。
弥命は、あどけなさの残る顔で穏やかに眠る甥の頬を、緩く引っ張った。
その目にいつもの険しさは無く、困ったような、切ないような、普段見せない色の感情を宿している。
「……ったく。こんなズタボロにされて、他人の心配すんなよな」
旭の身体中の傷跡は、少しずつ薄れていく。
弥命はそれに安堵しながら、静かに青い水を旭の首元へ掛け続けた。
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