裏切りの影

帝国軍情報部から、一通の極秘文書がマクスウェル少佐の手に渡された。

 文書の封には“特機密扱い・コードT-135 アッシュ=カルナ”と記されていた。


 中を開き、内容に目を通した少佐の眉がかすかに動く。

 だが、その表情はすぐに凍りついた静謐に戻った。


 (……なるほど)


 彼は黙って文書を閉じ、灰皿の上で封筒ごと燃やした。



 翌日、戦闘準備をしていたエルレッタは、詰所でフレイとセルジュが言い争っている声を耳にした。


 「……アッシュの情報が出たの、知ってる?」


 フレイの声は、かすかに震えていた。


 「元・連邦軍第八影部隊――裏切り者の掃討専門部隊に所属。

 “味方すら消す”って、帝国でも恐れられてた連中だって」


 「その中にいたってだけで信用するなよ。あいつが今まで何をしてきたか、まだ全部は出てない」

 セルジュの声は低く、怒気を含んでいた。


 「でも、あいつは変わろうとしてる。戦場で命を張って、味方を守ってたじゃない」


 「それが“演技”だったらどうする? 信じた奴が一番バカを見るんだよ、こういう時はな」



 その夜。


 エルレッタはマクスウェル少佐の執務室を訪れた。

 外は小雨が降っていた。


 「……アッシュの件、何かご存知ですね」


 少佐は少しだけ目を細めた。


 「部下を疑うのか?」


 「……私は、自分の“判断”を疑っています」


 エルレッタはそう言った。

 それは、彼女にとって初めての“迷い”の告白だった。


 「私が彼を引き入れたことで、隊の統率が乱れている。

 セルジュは露骨に拒絶し、フレイは苦しそうに見える」


 少佐は立ち上がり、窓の外に視線を向けた。


 「戦場で必要なのは、完璧な兵か? 無謬の人間か?」


 「……いえ」


 「ならば信じろ。自分を。……そして、信じると決めた相手を、最後までだ」


 その言葉に、エルレッタは目を伏せた。

 迷いの中に、小さな炎が灯った気がした。



 翌朝。

 アッシュは部隊内で孤立しつつも、日々の任務を淡々とこなしていた。

 だが、その朝は違った。


 通信機に、かつて聞き慣れたコード音が入った。


 ──【C・A・L/KANE】──


 (……まさか)


 「どうした?」とフレイが近づいた瞬間、警報が鳴り響いた。


 「敵襲! 南東の岩礁地帯から接近! 部隊規模不明――だが高速接近中!」


 エルレッタは即座に銃を取り、アッシュの方を見た。


 「わかるのか、誰が来るか」


 アッシュは、静かに答えた。


 「……“彼”だ。カイン=ヴァルター。

 元連邦第八影部隊の指揮官。俺の元・上官にして、兄弟みたいな奴だった」



 渓谷地帯での戦闘は熾烈だった。


 敵は少数精鋭。だが、動きに迷いがない。

 まるでアッシュと同じ訓練を受けていたかのようだった。


 「まさか……お前が“帝国の犬”になるとはな、アッシュ!!」


 岩陰から響いた声に、アッシュの顔がこわばる。


 「……カイン」


 現れたのは、漆黒の装甲に身を包んだ男――カイン=ヴァルター。

 銃口をアッシュに向けながら、声を張り上げた。


 「お前は俺たちの背中を撃たなかった。だが“先に”俺たちを見捨てた!!」


 「違う! あの時――もう続けられなかった! 正義じゃなかった!」


 「正義? そんなもんは戦場にない! あるのは命令だけだ!」



 戦場の只中、アッシュはエルレッタの方を見た。


 「君は……どうする。俺は過去から逃げてきた人間だ」


 「違う。君は、自分の過去と向き合ってる」

 エルレッタは、銃を構えたまま言った。


 「君の過去は“選んだこと”かもしれない。でも、今の君は“選び直してる”」


 その言葉に、アッシュの目が揺れる。


 そして――カインとの銃撃戦が始まった。



 岩陰の裏で、セルジュは銃を抱えながら言った。


 「……見せてみろよ、アッシュ。

 本当に、俺たちの仲間になれるかどうか。……命かけて証明してみろ」


 その声は、怒りだけではなかった。


 そこには、ほんのわずかだが、“願い”が混じっていた。



 エルレッタとアッシュは、互いの背中を預け合いながら、敵兵を撃ち抜いていく。

 呼吸のリズム、射撃の角度、動線の重なり――


 それはまさに、戦場でしか成り立たない“信頼”の形だった。


カインの太ももに銃弾が掠め、耐性が蹌踉ける《よろける》。そのそばに、アッシュが歩み寄る。


「カイン…俺にとって、お前は今までも、これからも俺のパートナーだよ」


アッシュが手を差し伸べようとした時、カインは銃口を空に向けて放った。


「俺にとっても、お前は変わらない。だからこそ、本気で向き合うんだ」


エルレッタが、カインの前に来て、銃口を彼に向ける。


「俺を撃て。今は立つことができない。動けない」


エルレッタは黙ったまま、アッシュを見つめた。


「帰れ、もうここに銃を持って入ってくるな…次は友人として会いに来い…」


そうアッシュが伝えると、口角を上げてカインは笑う。


 戦闘の終息後、カインは撤退した。

 アッシュは傷を負いながら、フレイの肩を借りて座っていた。よく見ると腹部に深い傷を負っていた。フレイは、それに気づき、手当を行った。


 「よく……やったね」


 「……ありがとう、フレイ…。」


 「ねぇ、あんたが昔、何をしてたかなんて正直もうどうでもいいよ。

 今、命張ってここにいる。それが全部だよ」


 アッシュは、涙をこぼさないように空を見上げた。


 その空は――ようやく、曇りの向こうに青が見え始めていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る