シナモンロールは天界のもの
「やほ♪」
「帰れ」
今日の玉座の間はシンプル666階だった。16時に探り当てたのは早い方。
「この子すごいよねぇ、絶対に見張りの時当てに来るじゃん」
ヒラはお馴染みという顔で呑気。
「仕事してんだぞ、本当に迷惑」
「( •︠ˍ•︡ )」
本当にそうでしかないので、しかし悪魔、気にするものか。
「では取り引きをするのはいかがでしょう」
「てめえが来なくなれば終わる話なんだよ」
「つまり主導権は俺にあります」
トンと肩に手を添えて、嫌そうな顔の三番の横顔に顔を寄せる。耳元に囁きたいのは山々だが、位置が高すぎる。
「俺のメールに返事をするか、玉座の見張り番シフトの際に毎回侵入を受けるか」
「お前のメール、ダルすぎる」
「じゃあ受け容れるしかないよ」
「帰れ」
ヒラがどんなメールなの、と聞いていて、見せてあげる。『今日のアイオーンすごい、白菜一玉50円』
「すごい!」八番は声を上げて、「そういうのは私にも送って」ニュースレター購読者が増えた。
「俺が白菜一玉買うと思うか!?」
「きっとキャベツよりも白菜が好きなんじゃないか?」
「考えたことない、どっちも草」
何であれこのような会話をしたいのであり、乗っている時点で私の勝ちである。
「後で相手してやるから」
「ほんとにい」
「大体ホントだったろ今までも」
チョロいガバガバ門番、狼隊で問題になっていないか勝手に心配になる。
適当な城門前のカフェの外の席でコーヒーとともに待って、遠くに見えた彼に大きく手を広げる。
「おいで、キスして、20万遍キスして」
はあ、とため息をはさんでから口に挨拶のキスをいただいた。
「足りてないですよ」
「擦り切れてなくなるぞ」
「で?気分は」
「やらしい気分」
「恥ずかしい奴だねあんた」
したいですぅとか言って、向こうも満更でもなさそうに良いよとか返事したので、完璧な合意のもと「いこっか、ホテル♡」と申し上げたところ、
「嫌」
想定外というか、意味がわからなかったので、
「は?」
とか、間抜けな声が漏れた。もう一度咀嚼してきいてみる。
「アオカンでみたいなこと!?」
「違うわ!」
怒るなよ、あんたがわかりづらいからだろ。
「うちでいい」
「はあ、まあ、いんですけど、珍しくない?」
そういえば最初もお宅に連れ込まれたのだった。あの時は律法教師の山椒魚に狙われていたから一時避難させてもらって、何となく流れがある気がするのであまり気にしていなかった。
初めて※複数の意味で自分の家で良いとしているくらいだから、こだわりないのならともかく、積極的に家を勧めてくる彼氏って何か気を付けた方がいい変人の予兆ではないか。
「なんで」
「言いたくないんだけど」
「こわ」
だってこれから汚すしゴミも出すし洗い物も増えるだろうし、あと万が一私が豹変して殺し合いになったときに自分の家で居座られると面倒じゃないか。ここが家から歩いて5分ならまだ理解するが、むしろ歩いて5分だから家じゃないところに行くヒトの方が多いような気はする。ここが魔界なのを考えると付き合った男全員監禁したあと家具にするタイプのヒトの可能性は高め。
「やっぱり言ってよ、明日になったら椅子が一脚増えましたみたいなのしか今想像できない」
「なんで」
狼の方は照れた感じで口元を覆いつつ渋々言った。
「知ってるやついたら気まずいから……」
「そんなん滅多にないでしょ、王都だぞ」
どれだけ魔人口とラブホがあると思ってるんだ。しかしその後は無言を貫いているので、どうも本気のようにみえる。
「それならそれでいいけど、椅子にはしないでよ」
「なんで椅子なんだ」
そろそろここを出よう、つまり今まで腰かけていたカフェの外の席から移動しようとした動き、の途中で狼が無表情になって顔をうつむけるので、まあちょうど会いたくないやつがいたのかと思えば、該当魔物が寄ってきた。大柄のミノタウロスタイプの魔性。彼はよう、とか一声かけてひとしきり私たちを眺めたあと、
「まだやってんのか」
どういう関係値からどういうつもりで放たれたかは知らないが、狼は答える気もなさそうだったので代わりに
「なに?友達だけど」
私が答えたのをまた牛頭がどう思っているかは知らないが、特に深追いするでもなく
「あ、そう」
適当に去っていった。しばらくクロスはそのままの姿勢で黙っていて、私は完全に腰を折られてしまったなと考えつつテーブルに散っていた紙ナプキンでヒヨコを折っていた。
「友達なわけあるかよ」
顔を押さえて呆けていたような彼がようやく何か動いたと思ったら何か吐き捨てるので、私も少し反抗的に口をとがらせる。
「何ならよかった?」
意外そうに少し顔を上げて私の顔を覗き見、また視線を地面の方に落としてぼんやり呟いた。
「わからない」
私もため息をついて、この後何を目指したらいいかを考えた。
狼が少し頭を振ってから、元の通りに向かおうかと促されるのをとりあえず座りなよ、と何かの骨でできた椅子を勧めて、店の奥に叫ぶ。
「ねえ、コーヒーふたつ!シナモンロール!」
「うちにゃシナモンロールなんてないよ!」
最悪だ。
「パイモンロールならある」
「じゃあそれで、知らんけど」
魔界で知らない料理を頼んで碌なことになった例しはない。
ヒヨコを折りあげて彼の方に投げる。困った顔で投げ返される。
「俺の家の方に来て」
「なんで」
別にいいんだが、と付け足されたが、理由はこれから添えて出す。
「気分はどう」
彼はふんと少し笑って、「別に何も」少し考えた風に上を見上げてから続ける。
「ああいう、いちいち……相手しなくていい。大体は無視していればそのうち飽きてどっか行くだろ」
「そんなに悪い牛には見えなかったよ」
それも無視で、やってきたコーヒーカップを握って温度を確かめている。
パイモンロールは黒っぽい生地に白っぽい具が巻かれ、紫がかったピンクのグレーズが掛かってその上にホイップクリームとカラースプレーが巻き散らかされていた。見た感じもわからない。パイモンといえばゴエティアの悪魔の名前だが、関係があるような気もまったくしない。この界隈でありがちなパターンでシナモンロールが反転している印象なので、さしずめ辛い何かに変貌しているとかであろうか。
「それよりどうしたらいい?確かに、友達というのは欺瞞みたいな感じがしたな」
「どういうつもりで言ってるんだ」
「君の方はどういうつもりでいる?」
狼は軽く眉間を揉んだ。
「セ」「いやだ」「そうだろ」「語弊がある」「一緒だ」「それが一緒だと思うから駄目なんだあんたは」
返事を皆まで聞かずに畳みかけて、痴話喧嘩である。
「俺は手段だと思っているよ、性交渉」
「さすがに無理がある」
呆れた様子で言いながら、やっとコーヒーを口にしたようだ。
「何と言うか、一度寝た程度で彼女面しやがって」
「なに、まだ、目的に達したとは言っていない」
だからまだ理解に至らなくていいと思うのだが、その時まで自然にその懐に入り込める肩書をなんと名付けてもらうかに過ぎない。
「たとえば……君が恋人だと思うまで、その座にはいないと俺もわきまえているよ?逆に既にそうだと言ってくれるなら恋人でいましょう。それで、その判断にセックス自体は関係ないんだけど、手段というのは……あなたが思っていないことを聞くための手段ということだ」
順番、因果。結果がつくる原因。何度もやってきた、私とあなただからこのイベント順が最良の確信がある。現状の肩書は知らないが本当はどうでもいい。
「何か煙に巻こうとしてるのか?」
途中から既に面倒そうにしている、狼。
「俺は今、この感じは好きだよ、それを友人としようが恋人としようがこの状態はこの状態だろ、でもセックスありきだと思われてたんじゃガッカリだ」
「はいはい、悪かったよ」
「あんたと話すのが好きだ……」
面倒、から別の面倒へ、より深く眉間にシワが寄って単純に分かりやすい。
「うちに来て、うちビニールハウスあんだけどさ、小スケールの太陽と月相当のバランサーを運行させてる。今から天幕に星を散らばせて、まだ何もないリンゴの木の下に転がろう。芝生も生えてる」
「食っちまえよ、それ」
半分も聞いているか聞いていないかわからない顔で、パイモンロールを指さす。すっかり忘れていた。
「悪いが俺にロマンチックを期待するな」
白々しい、もはや嘘だ、シェイクスピアでほだされて宮沢賢治でダル絡みするお前が言えたことか。
パイモンロールにフォークを入れてクリームとグレーズをたっぷり纏った一欠片を口に入れる。予想もしない味わいに時が停まったような心地を味わう。
「クロスさん、あーん」
「嫌」
「ちょっとでいいから食べてみてよ、食べたことないだろ」
狼は鼻先に突きつけられたフォークを渋々口に納めると、怪訝そうな表情はより深くなったが、噛んだ瞬間目を強く瞑り耳も倒れた。
「酸っぱ……」
「ねえ!すーっぱい、クエン酸の粉舐めたときの舌になる、なにこれ」
「知るかよ」
どんな悪魔がスイーツを恐ろしくするため甘いの反対側に酸っぱいを高めると考えたのか。果物の酸味で感じるとも違う、酸以外の味の情報が見当たらない。ケミカルストレートの酸味が曇った頭を目覚めさせる。ちなみにコーヒーとのペアリングは最悪だ。
「シナモンロールの代わりみたいな顔でこんなもんをよくもヌケヌケと置くもんだよ魔王城の目の前で」
悪態をついているとクロスの方からも息を吐くのが聞こえる
「あんたって楽しそうだな」
それは馬鹿にしている。
「シナモンロールって完璧で完成されてて最高なんだよ、それをコケにしやがるこの悪魔社会の悪さに俺は怒りを覚える」
「完璧で完成されてて最高なんて魔界に堕ちてるわけがない」
言われてみればそうかもしれない、シナモンロールがあるのは天界かもしれない。
酸っぱいパイモンロールと酸味と苦味のコーヒーが口内環境を地獄のように荒らしていく。クリームとグレーズを貫通する酸。悲しいほどに後味が悪い。
クロスは空になったコーヒーカップを手の中でもて遊び、私の様子を黙って見ていた。落ち着いた調子で言う。
「俺も実際、あんたの楽しそうなところが好きだよ」
「このタイミングか?」
期待した内容ではなかったが、何か納得を得た風に目を細めて見守られているので、渋々、酸々、パイモンロールを口に詰め込んだ。
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