看護師(1)
11月のある日、俺、旭優はドルオタになっていた。
たまたま見つけた「√you 」という地上アイドルグループにどハマりし、人生で初めて「コール」というものを経験した。凄まじい快感だった。周りのオタクたちとひとつになって全力で声を出すあの瞬間はたまらない。生粋のドルオタとして人生を楽しんでいた。推しのアイドルとツーショット撮影会なんてものにも行ったりした。
付き合ってはいけない男ランキングの上位に「ドルオタ」があるらしいが、もうこの際そんなことは関係ない。もともと誰とも付き合えていないのだから今更ドルオタの要素が増えたところで何も変わらないだろう。というか、ドルオタもバレなきゃ罪じゃない。男性アイドルたちに熱狂する女性がいるように、自分もそうなっただけだ。
しかし、恋人が欲しいという願望を諦めたわけではない。地下アイドルの彼女と会って以来なかなか積極的にアプリを開けてはいなかったのだが、最近やっと新しい女性と会話を始めた。
その女性は同い年の24歳、都内美容クリニックにて看護師をしていた。かわいいか美人かで言うなら美人。という感じの、大人びた顔立ちの女性だった。髪は腰まで届くほど長く、服装は「スナ系」である。最近わかってきたのだが、俺はどうやらスナ系の服装に弱いらしい。女性らしく、大人っぽさもある感じが好みなのだろう。逆に言えばそれを着こなせる女性が好きなのかもしれない。ということで、恋愛経験のないちょろすぎる俺は、この女性とのやり取りを始めたのである。
LINEを交換するまではすんなりといった。美容クリニックで働いているため、女性ばかりの職場で出会いがないのだと彼女は言った。同じく職場で出会いのない俺は心の中で彼女と固く握手を交わし、勝手に彼女のことを心の友にした。
しかし、この世には色々な人がいる。彼女と初めて会うのにはかなりの時間がかかった。というのも、彼女の返信が信じられないくらい遅いのだ。普通の会話をしていても、会う予定を立てようとしても一向に返事が来ない。本当に遅い時は3日間くらい来ない。普通の人間ならここで「この人はもう脈ナシなんだ」と切り捨ててしまうのだろう。しかしさすが恋愛経験皆無の俺。普通に彼女の生死を心配していた。愚かである。
週末に友人の大嶋を誘い、居酒屋でこのことを相談してみることにした。大嶋は
「まずその人ってどんな人なの?」
と聞いてきた。
「なんか、Diorとかが似合いそうな感じの……」
「え!?ディ○!?」
「それはブラ〇ドーね。Diorはブランド。」
「ちょっと上手いこと言うのやめろよ」
と軽口を叩き合いながら、彼女の人柄と今の悩みを大島に相談した。それを聞いた大嶋は馬鹿らしいと言わんばかりにゲラゲラ笑いながら
「追いLINEだけはするな。お前が舐められるだけだ。」
と強く釘を刺してきた。正直多少彼女のことガキに鳴りだしていた私にとってそれは生き地獄のようなものだったのだが、あまりにも大嶋が止めるので素直に従うことにした。たとえ予定を決めている最中であろうと、返事が3日こなかろうと、さも平気かのように振る舞い、彼女に一切の追いLINEを送らなかった。押してダメなら引いてみろ作戦とはこういうことだろう。
結果どうなったかというと、別に俺が引いたところで特に何も変わらなかった。相手から積極的に連絡が来るようになるようなそんな素敵なことは全くもって起きなかった。しかし、長い耐久戦の末会う予定だけはどうにか作ることができた。11月最後の日曜。場所は渋谷。行くのは適当なカフェ。彼女のここまでの行いにより、果たしてその日本当に会うことが出来るかどうかという不安はあったが、その日のために俺は必死で準備をした。服を買ったり美容室に行ったり。少し筋トレもしてみた。筋肉痛になった。
決戦の日曜日、気合いが入っている。普段より早起きしてシャワーを浴び、パックまでした。なぜここまでするのかしているのか。もちろん久しぶりに女性と会うからという部分は大きい。ただもう1つ、彼女が美容クリニック勤務だということが引っかかっていた。最近は整形が普通のことになってきたらしいが、どうやら美容クリニックというのは整形だけをやっているわけではないらしい。美容施術や肌治療といった、皮膚等の悩みにアプローチすることもあるのだそうだ。そこで勤務しているということは、彼女自身も美容にこだわりがあるに違いない。そこまで考えたうえで、自分もできる限りのことをしないとまずいと思ったのだ。幸いなことに、脱毛程度は行っている。少しは清潔感というものを与えられて欲しいと神に願った。
渋谷駅につくと、日曜なだけあって某夢の国の入場待機列顔負けの人の数だった。待ち合わせは駅から少し外れた場所だったため、そこに向かった。
待ち合わせ場所にはこちらが先に着いた。初めて会うというのは緊張するものだ。本当に本人が来るのかわからないし、写真で思っているような顔の人が来るのかもわからない。写真詐欺というやつだ。もし写真詐欺をされた時はどうするのだろう。我慢して1日デートするのだろうか。それともそこから立ち去るのだろうか。といったくだらないことを考えてるうちに彼女が現れた。
「……優くんですか?」
そう尋ねてきた彼女は写真で見た通りの顔をしていた。失礼なのかもしれないが少しホッとした。モノトーンのツイードジャケットに身を包み、黒いミニスカートをはいた彼女は「お嬢様」と形容するのにふさわしいような姿だった。
「うん、はじめまして。行こうか!」
と告げると、近くのプリンが美味しいというカフェに向かい歩き始めた。正直、服装がものすごく好みだったのでそれについて話しているとすぐカフェについた。店の端の方にある席に案内され、向かいあわせで座った。2人とも看板メニューのプリンと、それぞれの飲み物を注文した。
話していて気がついたのだが、彼女はものすごく大人しい。会話が続かない。二言くらいで会話が終わってしまうのだ。
「綺麗なお店だね」
くらいのことしか言えず、
「うん」
とだけ返されてしまう。終わりだと思った。何とか巻き返しを図ろうと、
「なにか好きな物とかある?」
と、お見合いかよと突っ込まれそうな質問をしてみた。すると彼女は
「うーん、女の子のアイドルが好き。」
と返してきた。眠っていたドルオタ魂に火が灯る音がした。
「え!?なんのグループ!?」
「√youっていうグループ。最近流行ってるの、知ってる?」
「待って、俺も超好き。誰推し?」
奇跡だ。会話が弾む。ドルオタになったことがこんなところで生かされるなんて誰が思っただろう。自分をこの道に引きずり込むきっかけをくれたあの地下アイドルの子に心の底から感謝した。
さきほどまで寡黙だった彼女は、自分と推しのアイドルがが違うことがわかると、
「私同担拒否だから、良かった!」
と笑ってくれた。初めて見る彼女の笑顔に、少しキュンとしてしまった。
1度話が弾むと、彼女はよく話すようになった。仕事のことや学生時代のことなど、今まで知らなかったことをたくさん教えてくれた。なかでも美容クリニック勤務ならではの、これからやってみたい施術の話は興味深かった。
「私顎下の脂肪吸引したいんだよね〜」
「別に反対はしないけど、顔腫れたりとかするの?」
「うん、死んだ人もいるみたい」
「え!?」
自分のコンプレックスを消そうとした結果命を失った人がいるのか。美しさというのは並大抵の覚悟では維持できないのだと知った。過酷な世界である。
「整形嫌じゃないの?」
ふと彼女に聞かれる。確かに整形をした人への風当たりというのはなかなか強いらしい。しかしそれは古い考えだと思う。
「全然。むしろ努力してるのすごいと思うよ。」
意外な答えだったのだろうか。彼女は驚いた顔をしていた。実際整形したかどうかなんて言われなければわからないし、言われても特に気にならない。高みを目指そうとするその人の努力の結晶ではないか。それに他人がとやかく口出しをする権利はない。
「でも絶対死なないでね」
死なれては困る。整形した結果、俺が死ぬのを後押ししたような感じになるのも嫌だ。そう言うと彼女は
「そんな簡単に死なないよ!」
と笑った。
その日はカフェを出たあと、彼女が化粧品を見たいからとう言うので少し買い物に付き合って、遅くならないうちに解散した。正直デートに関してはいい感触がなかったので、今生の別れになるだろうことを覚悟していた。もともと返事の遅かった彼女だ。もう二度と何かメッセージが届くこともないのだろうと思った。
帰りの電車に揺られていると、予想に反して彼女から今日のお礼と楽しかったという旨のLINEが届いた。社交辞令だとしても楽しかったという言葉がもらえて、少し安心した。いや、内容はどうあれメッセージが来たということ自体に安心したと言った方がいいかもしれない。すぐさまそれに対してどう返事しようかと考え始めた時、間髪入れずにこんなものが送られてきた。
「次は一緒にお酒飲みたいな」
どうやら俺は、「ナシ」ではないようだった。
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