第4話 春日小町は、見えないのかもしれない。

《見えてる“誰か”と、見えない“なにか”の境界線》



「――運がよかっただけ、じゃないのか?」



朝のミーティングで、上司からのひと言に、椎名灯は固まった。



「……え、あ――はい、すみません……」



ちゃんとした返事ができず、いつものように語尾が尻すぼみに消えていく。

自分が情けなくて、悔しくて、でも反論はできなくて――。


そんな彼女の横で、ぽん、と軽く書類を閉じた音がした。



「椎名、ちゃんとやってたじゃん。報告書、俺も読んだけど、丁寧だったよ」



声の主は、営業部の先輩・田熊。

明るくて、おおらかで、でも嫌味がない。

灯のような地味社員にもふつうに声をかけてくれる、数少ない人だった。



「……あ、ありがとうございます」


「ま、変にプレッシャー感じないで次いこ、次!」



と笑う田熊の手には、ぺらりと一枚の物件ファイルが。


(……うわ、“次”ってそっち!?)


午後。

車に揺られながら、灯は胃のあたりをそっと押さえていた。



「この物件、けっこう長いこと動いてないんだって。上が手放したがっててさー」



助手席の田熊は、お気楽にそう言うけれど。


(そりゃ“動いてない”っていうか……“止まってる”んだよ。時空が――)


目的地は、ちょっと郊外の古い一軒家。

風通しが悪い。

照明が暗い。

なんとなく、空気がこもっている。


――そして、そういう家に限って、あの子がいる。



「……ただの古民家、だよね」



確認するように言いながら、灯は玄関の引き戸を開けた。


ぎ、ぎぃっ。


重たい音とともに開いた先に、薄暗い廊下が続いていた。


(いないよね、今回は。いや、いてもいいけど、誰にも見えないと困るんだけど)


恐る恐る仏間へ足を踏み入れ――ふすまを開ける。


その瞬間。



「こんにちは、なのよっ♪」


「ぎゃむぅっっ!?」



あまりの唐突さに、灯はその場で跳ねた。

出た、今週の変な声……!


畳の上にちょこんと正座していたのは、いつもの――春日小町。


金髪ボブに桃色の着物。

年齢不詳の童女のようでいて、笑顔には妙な威厳と、“押し入れから時を超えてきた感”があった。



「びっくりしたのよっ。そんなにびっくりされるとは思わなかったのよっ♪」


「……いるんだ――今日も普通にいるんだ……」



灯は震える声で言った。

こっそり、田熊の方を横目で見る――反応なし。仏間の隅っこで物件資料を見ている。



「よかった、田熊さんには見えてない……」


「うふふ、見えたり見えなかったりするのよっ♪」


「え、なにその雑な“選ばれし者”みたいなルール……」



小町はふすまを器用に閉めて、ぴょんっと押し入れに戻る。

その姿にもう驚かなくなった自分が、ちょっとだけ恐ろしい。



「ねえ、小町ちゃん。お願いだから今日は、おとなしくしてて……! 誰かと一緒のときはやめてって言ったよね!?」


「でも、わらわ、このおうちに“呼ばれた”のよ」


「……呼ばれてないの、少なくとも田熊さんは――」



その後も現場チェックは淡々と進んでいったが、

灯の緊張はまったく解けなかった。


なぜなら――


仏間の座布団の上に、さっきまで誰かが座っていたようなへこみがあって。

湯呑みには、湯気がふわりと立ち上っていて。

足元には、どこからか転がってきた小さな飴玉。



「――落ちてた。これ、さっき……」


「うふふ、それ、わらわのお気に入りなのよっ♪」


「声を出すなっ……!!」


「しかし、不思議だな」



ふいに田熊がつぶやいた。



「この家、なんか落ち着く気がする。初めて来たのに、なんとなく“知ってる”感じがするっていうか……」



灯は、はっとして顔を上げた。


(まさか……まさか、田熊さんにも“気配”だけは届いてるの?)


小町を見る。

彼女は押し入れの奥から、静かにこちらを見つめていた。


なにも言わない。

でも、そこにちゃんといる――そう思える、不思議な存在だった。



「……またね」



そう言って、灯はそっとふすまを閉じた。


その瞬間、仏間にふわりと風が通り、どこからともなく花のような香りが漂う。


まるで、見送られたような気がした。



(つづく)

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