第2話 悪役令嬢を職場へ連れていく
私だけ傘をさして、アルルだけびしょ濡れにする。それってどうなんだろうと思った。少なくとも周りから見たら明らかに私が悪者に見えるだろう。
「傘入ってください。アルル様」
スペースをあける。
右肩は雨に濡れた。
「お構いなく……」
「いや、私が構うので。入ってください」
アルルは本当にいいの? という目線を向けてくる。
人間不信にでも陥ったようだった。
いや、実際問題人間不信に陥っているのだろう。
破滅エンドはどういう最後であったとしても、友達に裏切られ、取り巻きに裏切られ、好きな人にも裏切られ、侍女にも裏切られ、親にさえも見捨てられる上に、嫉妬していたヒロインに大敗北を喫する。
それが一気に押し寄せて、身分さえも剥奪され、正気でいろ、という方が無理がある。
私の根幹にある、アルルが嫌い、という考えは全く変わっていない。
正直自業自得だと思う。
でもここまでボロボロになっている姿を目の当たりにすると、雑に扱えない。
私の良心が痛む。
だから優しく微笑む。
本当に入っていいんだよ、と声じゃなくて顔で伝える。伝わってるかは知らないけど。
おずおずとした仕草を見せつつも、傘に入ってきた。
それでも一定の距離を感じる。
同時に心の距離も感じる。
そこまで大きい傘ではない。少なくともこの傘は中に二人入ることを想定されて設計されていない。
私の右肩が濡れるのと同じように、アルルの左肩は今も雨ざらしになっていた。
ただでさえビショビショなのにここでもなお濡れ続ける。本格的に風邪を引くことになる。
肩に手を回して、ぎゅっと私の方に抱きしめた。
「すみません。平民にこうやって身体触られるのは嫌だと思うんですけど、このままだとアルル様、本当に風邪引いちゃうので」
一言謝罪を入れておく。
私はアルルのことが嫌いだ。だからこそ、別に嫌われたっていいやって思える。自分本位に。自分が納得できる形で、ことを進められる。
三日間、ご飯をまともに食べず、水をまともに飲まず、休息さえもまともに取れていないのがアルルの現状。暴力を振るうどころか、鋭い言葉を飛ばすような元気さえも彼女にはない。
内心どう思われていようが実害がなければ問題ない。
◆◇◆◇◆◇
「お疲れ様です」
職場に到着した。
雨は今もなおザーザー降りであった。
だからか、客足は全くない。お店に入ったら暇そうにカウンターで頬杖を突いていた店長と目が合った。
「いらっしゃ――なんだ、ハルか」
お客さんだと思ったのだろう。
外向けの明るい声を出したのも束の間、私であると認識した瞬間に声のトーンは奈落の底にでも落ちたかのように低くなる。
「すみません。遅刻しました」
「それはわかってる。どうせ暇だったし構わないよ。遅刻よりよよっぽど気になることがあるし」
「は、はい?」
「その女の子……なに?」
店長はアルルを見て戸惑う。
「……ああ、あまり気にしないでください」
「気になるんだが!?」
「あまり詮索しないでください」
と、言い換えた。
高貴だった姿からは想像することさえ難しいほどに、みすぼらしい姿になっているアルルなので、店長は目の前にいるのがアルル・エルサレム。財務大臣エルサレム家の長女にして、未来の国の国庫を任されると言われていた人物だ。
まず目の前にそんな人が突然現れるなんて思わないし、こんな姿になっているとも思わない。心のどこかで似ているなと思ってても、じゃあ彼女が実際にそうだって結論付けられる人はそういないだろう。
店長に彼女があのアルルである、と告げる気はあまりなかった。
理由は単純明快。
この世の中的にアルル・エルサレムという女の評価は著しく低いからだ。
親の立場を利用して、ワガママばかり言い、貴族以外の人間をゴミのように見ている。他にも税金でアクセサリー類を大量に購入していたり、平民のことを税を産むだけの歯車と言っていたり、飢餓に飢えた人が助けを求めた際には能力の低さを指摘し取り合わなかったり、他にも信じられないような噂が後を絶たない。中には作り話だろ……というのもあったりする。
とにかく、そういうわけで平民からのアルル・エルサレムのイメージは最悪だった。
下手したら私より嫌っているかもしれない。
そのレベルである。
店長がそういうことをするとは思えないが、アルルがアルルだとバレたら今までやられた仕返しだのなんだのという理由をつけて、痛めつけるような可能性だってあった。
それは望むことじゃない。
できればあって欲しくない未来だ。
痛い目見てほしいとは思う。
こうやって目の前にアルルがやってきて、接して、自分に問いかけても返ってくるのはやっぱり嫌いだという感想だけ。でもだから死んで欲しいとか、傷付いて欲しいとか。そうは思わない。
「ふむ、そうか。ならそうしよう」
店長は深堀りしてこなかった。
「それよりも店長。シャワー借りていいですか」
「ああ、そうだな。そのままだとその子風邪引いてしまうだろうし。ハル。君も風邪を引くな。二人ともお風呂に入るといい」
私の濡れた肩をじとーっと見ながら許可を出してくれた。
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、黙って俯いているアルルを引っ張るように連れ出す。
向かったのは洗面所。
異世界は中世ヨーロッパほどの文明水準でお風呂がないみたいなパターンが多いが、ここは『FIRSTLove』の世界。日本人が作った世界なのだ。文明水準は日本よりは高くないが、お風呂という概念はしっかりと存在しているし、各家庭に当たり前のように存在している。
「それじゃあお風呂沸かすからちょっと待ってな」
店長はお店の方からそう声をかけてきた。
あれ、今からお湯を沸かすってことは……しばらく待たなきゃいけないんじゃ。
まあ私はそこまで濡れてないし、いいか。
「アルル様。先に入っていいですよ。私は見ての通り、そこまで濡れてないので。後回しにしてもらって大丈夫です」
「ここまで助けてもらっておいてさらに譲ってもらうというのはわたくしのプライドに反しますわ」
「プライドとかよりも体調の方が大事だと思いますけどね……」
貴族だったというプライドがまだ彼女の中にはあるのだろう。
それは簡単に消えることがないのだろうなと思う。
「風邪なんて引いたって構いません」
「いや、そういうわけにはいかないですよ。本末転倒じゃないですか」
「良くしてもらってさらに……というのはやっぱり。あ、そうですわ」
今まで活力が一切なかったアルルであったが、突然スイッチでも入れられたかのように機敏に動く。パンっと手を叩き、両肩に手を置く。そしてグッと顔を近づけた。
やつれて、死相の出ている顔なのだが、一応『FIRSTLove』の主要キャラクター。いくら嫌われていようとも、メインキャラだ。顔立ちの良さはやっぱり見逃せないものがある。
じーっと真剣な眼差しを向けられるとドキドキしてしまう。
「一緒に入りますわよ。そうすれば解決ですわね!」
そうだ、それ以外ない。みたいな空気を出す。まるで名案のような。
いや、一緒に入るのは……色々不味いんじゃない? と思う。
まあ百歩譲って同性だし、一緒にお風呂入るのはいい。温泉やら銭湯やらに言ったと思えば比較的普通のことだし。
ただ普通のお風呂で一緒に入る……というのはどうなのと。
なによりも狭いでしょと思うのだが。
「一緒に入ってくださらないのならば、なにがなんでもわたくしは後に入りますわ」
ワガママ悪役令嬢の片鱗を見た気がした。
「お湯を沸いたよ。さっさと入りな」
遠くから店長の声が聞こえてくる。
目の前には一緒に入ると迫ってくる? というか脅してくるアルルがいて。
「わかりました。一緒に入りましょう」
風邪引かれるよりはいいか。と、折れた。
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