第24話 奇跡の代償
夜の森は、人々の声で溢れかえっていた。
「こっちにもっと水ください!」
「包帯残りいくつある?」
けが人が草むらに座り込み、その合間を修道女や年若い娘たちが手当てをする。男たちは取り返せるだけの物資を森に運ぶため、繰り返し業火の村内に入り込んでいるのだ。
リュネはもちろん女たちの中心で、けが人や逃げ延びた人々の看護を行っていた。やけどや切り傷こそ無けれど、煙を吸った人は多い。彼らの看護にてんてこ舞いだった。
「牧師さま」
リュネは木々の向こうに、黒衣を着た男を見かけて立ち上がった。牧師は顔を煤で汚し、充血した目でこちらを向く。
「……ああ、魔女さま」
ほっとした声色だが、彼の顔はどっと老けてしまったように見えて。リュネは倒れかけそうな彼の手を取って支えた。
「領主さまに伝令を向かわせましたが……未だ返事は来ません」
「……近隣の村からは?」
「支援を得るのは難しいです……相手が王家の名を背負っているので、反抗するのは恐ろしいのでしょう」
予想出来た事だが、改めて聞かされると……。リュネはぐっとくちびるを結ぶ。
アルノ家は王家とも関わりが深いから、その権威を使って圧力をかけてくることなんて、分かりきっていた。
けれどまさか、ここまであからさまな実力行使に及んでくるとは。
(せめて、領主さまからの抗議状が届けば状況が変わるのだけれど……)
そうして向かわせた伝令役も、未だ帰ってくる気配はない。
「……分かりました。すみません」
「何をおっしゃる」
牧師は頬の煤を手で拭い、ふっ、と微笑む。
「魔女さまは、何も悪いことなんてしていないじゃないですか。耐え忍びましょう。神は常に我らを見ています」
「……はい」
そこで牧師は男たちに呼ばれ、リュネの元を去った。リュネもまた、救護に回るために森の中を歩く。
見知った場所。暮らしてきた土地。普段は静かで、木々の葉の擦れる音さえ大きく響くのに。今夜は大勢の不安と混乱の言葉で満ちている。
「しかし、このままだと食糧が心許ねえな」
「何とか目を盗んで取りに行ければ……」
「西の食料庫なら、まだ火の手が回ってないか?」
既に傷だらけで、手当てを受けながらも作戦を立てる男たち。
「家に火をつけられて……! 急にだ、急に!」
「ちくしょう、せっかく植え付けた畑が……」
家を焼かれ、畑を焼かれ。嘆き、涙を流す農夫。
「おかあさあん。お母さんはどこぉ……?」
「ひでぇもんだ。こっちを見るなり、いきなり斬りかかってきて……」
「ああ神さま! どうか、どうか我らをお救いください……!」
母を失った子どもの泣き声。血のにじんだ包帯を巻いた老人。膝をついて、半狂乱で祈る老婆。
(……わたしって、こんなことをしたかったの?)
「——魔女さま?」
はっとして、リュネは声の方を向いた。まだ年若い修道女の娘が、不安げな顔をして見上げている。
「……っ、ご、ごめんなさい。どうかしたの?」
「すみません。やけどの薬が無くなりかけてて……魔女さまのお家に残りってありますか?」
「……ええ、探してくるわ。少し、待ってて」
リュネはその場から駆け出す。村民の声を振り払うように。土の湿ったにおいと、血のにおいが混ざった空気から逃れるように。がさがさと足元で下草が強い音を立てる。
(間違えた?)
アルノ家に抗うなんて。ほんのつい、先日の決意が、今は分不相応な夢物語にさえ思える。
(わたし、間違えたの?)
「……ああ」
声が、こぼれた。
青く広がっていたはずの麦畑が——赤い炎に照らされている。遠くに上がる黒煙と、壊れていく音。
夜なのに、明るいままの空。夜空でさえ燃やせるのだと、生まれて初めて知った。
遠くから、逃げ出してきた人の影が、倒れる。そのまま、二度と起き上がらなくなる。血のにおいが、焼け焦げるにおいが、ここまで漂うみたいだった。
リュネは口元を押える。くらくらとめまいがして、木の幹にもたれかかった。
「酷い……」
たかが魔女ひとり——リュネひとりを討つだけが目的のはずなのに、どうしてここまで残酷に振る舞えるのだろう。
(……ゆるせない。こんなの、ひどい)
魔力を使って討伐隊を排除すれば、あるいは。爆発を起こしたり、洗脳したり。彼らの存在を消すことが出来れば、この場は収まる。
そして、リュネになら、それが出来る。指を握り込めば、ぎらぎらと『力』が巡る感覚。
けれど。
(……ううん。そんなの、だめ。わたしの力は、そんなことに使うためのものじゃないわ)
人が死ぬために、この力を使うのは、違う。絶対に。
リュネは指を解いて項垂れる。そのまま、幽霊のように歩いて自分の家に入った。
なら、自分だけこの場から立ち去る……それこそ有り得ない。これだけ村を破壊されているのだ。あの集団なら、村人の最後の一人が息絶えるまで『魔女探し』を止めないだろう。もしかすると、他所にまで迷惑がかかる。
このまま領主からの抗議文が届くまで籠城を続ける……それも無理だ。既に食料も薬も不足している。村の男たちが命懸けで運び込んでいる物資だけが頼りだが、それだっていつ絶たれてもおかしくない。
それに彼らなら——アルノの命令を受けた者なら、この森ごと焼き払う。それくらいしても、おかしくない。だから、ここに籠るのも時間制限がある。
村人全員が移動するのも、難しいだろう。近隣の街や村は、助けてはくれない。それに、大勢の移動は格好の的だ。犠牲者の数が膨れ上がる。
どうすればいい。どうすれば、これ以上血が流れずに済むのか。リュネはそこでひゅっ、と喉を鳴らした。
(魔女討伐なら、わたしが出てゆけば解決する?)
辿り着いてしまった答え。息が浅くなって早まる。
それは今、リュネが起こせる最大の奇跡。相手も味方も、これ以上の犠牲を出さずに済む、最善のやり方。
——ただし、リュネ自身を代償にした。
震える手で薬草を掴む。すりこぎが転がり落ちて嫌な音を立てる。息をする喉の音がうるさい。浅い呼吸が、視界をぐらりと歪めてる。
いくつも浮かぶ選択肢の中、選べるのはただひとつだけ。
死にたくない。自己犠牲はセレスティアの二の舞だから。同じ後悔はもうしたくない。
けれど、これ以上大切な人や場所を壊されたくない。村の人たちからあらゆるものを奪ってまで、この選択を貫くべきなのか分からない。
分からない。分からないから、怖い。
「……どうしたらいいの」
答えは、ない。
だらりと、手が落ちる。俯いた顔が上げられない。引きつるような呼吸に合わせて、薄暗がりの木の床がゆらりゆらりと揺れている。
と、不意に耳に飛び込んできたのは、ドアの開く音。反射的に、咄嗟に、リュネは振り返る。
「……ぁ」
赤赤と燃える空を背に、真っ黒な人の影。すらりと高いそのかたちに、リュネは今にも泣き出しそうになっていた。
「……カイル」
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