第18話 揺らぐ決意

 いつも通りの贅沢な部屋の中。その上品な空間を踏み荒らしたのは、恐ろしい顔をした軍警だった。

 

『セレスティア・ド・アルノ! 貴殿を国家反逆罪で逮捕する!』

『反逆罪……?』


 恐ろしい響きの言葉に、体が凍りつく。メイドが悲痛な叫びを上げる。怯え震えるセレスティアを軍警たちは取り囲み、逮捕状を突きつけた。


『身に覚えがございません』

『言い訳なら審判院で聞こう。さあ、早く!』


 腕を掴まれ、部屋を追い立てられる。お嬢さま。世話役のメイドが泣きそうな声で床に崩れている。セレスティアは困惑したまま、住み慣れた部屋から連れ出された。


(……お兄さま)


 手枷の鎖がちり、と鳴る。セレスティアは祈るようにうずくまる。審判院でのやり取りは、何も分からないまま進んでいく。

 まるでセレスティア本人でさえ、本当に罪を犯してしまったと思ってしまうほど。


 でも、まだ希望はあった。


 兄ならば。きっと、助けに来てくれる。


 優しく、人を見る目のある兄ならば。審判院の酷い裁判を、軍警の悪辣な対応も、きっと日の元に晒してくれる。彼はいつも、セレスティアに優しくて——なにより、無実の罪で裁かれている状況は、アルノ家としてもよくないはず。

 

(わたしは殿下の婚約者だから……きっと、王家に反抗する軍部の策略なのかもしれない)


 兄ならば。ルシアンお兄さまならば、それらを見抜いて暴いて、セレスティアを助けに来てくれるはず。


 けれどドレスは、粗末なお仕着せしか与えられなくなった。

 けれど髪は、断ち切られて短くなってしまった。

 けれど食事は、かびたパンと薄いスープだけになった。

 けれど、けれど、けれど——。


 何日も閉じ込められた薄暗い地下牢の中。どやどやと足音が聞こえても、セレスティアは顔を上げられなかった。


『女囚! 貴様にアルノ侯爵家より通告だ』


 アルノ。お兄さま。

 乾いたくちびるが震えて、セレスティアは顔を上げる。乱雑に切られた髪の裾が、ぶるぶると震えていた。


 ああ、お兄さま。ルシアンお兄さま! 

 やっぱり、セレスティアのことを、助けに来てくれた!


『——以上、刑の執行をもって、セレスティアとの家門関係を完全に断絶する』

『……え』


 こぼれた声が、湿気た石の床に転がる。祈りを結んでいた手首の方から、じゃら、と鎖の落ちる音がした。

 

『まって』

『ああ、それと。侯爵閣下より言伝だ』


 我がアルノ家のために、罪を認めて刑に臨め。それがお前に課された最後の役目だ。分かるだろう、セレスティア。


 その言葉を最後に、地下牢は闇に包まれる。セレスティアは——『わたし』は動けないまま、浅い息を繰り返す。


 今まで、色々な役割を与えられた。大貴族アルノ家の娘。貴族社交界の『飾り人形』。王太子殿下の婚約者。

 そして、罪を被って家のために死ぬ、家名から消された犯罪者。

 

 それが、セレスティアに与えられた、最期の役目。


「……ネ」


 声が聞こえる。死ねと罵る声か。あるいは、


「リュネ……リュネ!」


 はっ、と『わたし』は目を覚ます。木で出来た天井。ざらりとしたシーツの感触。微かな草と土のにおい。


 それと、人の姿。


 黒い髪。金色の目。整った顔立ち。

 アルノの男。


 呼吸が、崩れる。


「全然起きてこねえから……どっか具合悪いのか」

「やめて!」


 ぱちん、と伸ばされた手を弾いて、ようやく『わたし』——リュネは息を吸った。

 カイルの目が驚いたように丸くなっている。打たれた手は、ひらりと宙にあるままで。その光景に、一瞬、言葉が頭の中から消えた。

 今、自分は何をした?


「……ぁ、その……ごめんなさ」

「いーよ。寝とけ」


 カイルはそう言って、リュネにかかっていた布団を肩まで引き上げた。起き上がろうとすると、それを手で制して、まっすぐとした目線で見返す。


「カイル、待って。わたし」

「気にしてねえから。ちゃんと目ぇ閉じろよ。本読んだり、薬混ぜたりしてんじゃねーぞ」


 部屋のドアが静かに閉まる。ややあって、外のドアが開閉する音がした。昨日言っていた、外回りのことを彼は覚えていたのだろう。


 リュネは、ベッドの中で小さく背を丸める。目を閉じれば、まだ生々しい夢の感触。目を開けば、カイルへの酷い行い。

 脳裏にちらつくルシアンの影が、春祭りからずっと消えない。


「……わたしって、全然ダメだわ」


 ぽつりとこぼした言葉が、泣きそうにふらふら震えていた。


☆☆☆


「おかえりなさい。外回りやってくれて、ありがとう」

「……おー。具合は」

「ばっちり。寝不足だったのかも」


 そう微笑んで、夕食を振る舞う。カイルから聞く村の様子はいつも通りで。くすくすと笑うことだってできた。

 でも明日には、ルシアンが自分を追ってここに来るかもしれない。みんなに、カイルに迷惑がかかるかもしれない。

 

 不安が、ずっとそこで、じっとリュネをにらみつけている。


「なあ、リュネ」


 カイルのその呼びかけに、リュネはどきりとして本のページをめくった。顔を上げると、彼は向かいの椅子で膝を立てて座っている。いつも通りに。


「なあに」

「春祭りの夜、やっぱりアルノの野郎になんか言われたろ」


 ごまかそうとして、けれどリュネは少し息を吐いた。カイルの視線は鋭い刃のようで、雑な嘘などつけないと感じてしまったから。


「……もう過ぎたことだから」

「いーや、過ぎてねえ。少なくとも、あんたの中じゃあ。あの日から様子がおかしいじゃねえか」


 がたん、と彼の長い足が床を踏む。


「あんた、アルノ家と何か関わりがあるんだろ」


 リュネは視線を逸らし、本のページをめくる。心臓の音がうるさくて、文字が頭に入ってこない。


「ずっと不自然に思ってた。丁寧な言葉遣いも、妙に舌になじむ味付けも。貴族文書だって、すいすい読んでみせたところだって」


 でもな。

 ちらりと視線の端に、彼の靴が見えて。リュネはその姿をなぞるように顔を上げる。

 微かな明かりに照らされた彼は、険しい顔をしていた。


「だからといって、全部暴きたいわけじゃない。言ってたろ、お互い隠したいことがあるって。それは分かる。でも」


 カイルはそこで言葉を区切った。何か探すようにまなこを揺らし、拳を握る。リュネの膝の上で、本がくしゃりと音を立てていた。


「それが、あんたを苦しめてるなら、嫌だ……なあ、リュネ」


 カイルが、ゆっくりと膝を折った。まるで赦しを乞うように。あるいは、祈るように。


「俺は、あんたに苦しいまま笑って欲しくないんだ。だから、力になりたい」


 細く、息の交じった声は、泣いているみたいにも聞こえて。リュネはぐっとくちびるを噛んだ。


「……あなたに、そんな道を選ばせてしまった」

「は? んなわけあるか。これは俺の選択だ。思い上がんな」

「でも」

「あのなあ」


 腕を、取られる。視線が奪われる。

 膝から読みかけの本が、ばたりと落ちた。ぐらりと揺れた視界の中で、呆気に取られたまばたきの中で、カイルの双眸が輝く。

 暗闇に差し込む、希望の光のように。


「苦しんでる人がいるとき助けたいって思うのは、あんただってそうだったじゃねえか。なら、俺がそう思うことだって、何も変じゃねえだろう! なあ、リュネ!!」


 くちびるが、震える。

 指先が、スカートの端を握りしめる。

 ぱた、ぱたと熱い水滴が頬を伝う。それに気がついて、リュネは慌てて指で目元を拭った。


 それでも涙が、あとから、あとから止まらなくて。


「……な、泣かせたのは、悪かったけどよ」

「違う……今、わたし、あなたにとても酷いことを言った……あなたの、選択を……っ、わたし信じっ、信じるって、言ったのに……うたがっちゃった……」


 ごめんなさい。

 掠れた声が、震えたままでそれを口にする。しゃくり上げる肩が、つっかえる言葉が、喉奥から漏れる嗚咽が、止められない。止め方が分からない。


 ひいひいと子どもみたいに泣き続けるリュネに、カイルは黙って寄り添っていた。

 

 

「……今から話すのは、わたしの主観の話。ただの、夢物語と思って聞いてくれても構わない」


 ようやくリュネが泣き止み、目元と鼻を真っ赤にさせた頃。短くなったロウソクの火を取替えながら、そう前置いた。


「わたしにはね、わたしじゃなかった頃……リュネとして、生まれる前の記憶があるの」


 カイルのまなこが一瞬ちらりと揺れる。けれど、口をきっと結んだ彼は、黙って引き寄せた椅子に座った。

 リュネはそれを見届け、言葉を続ける。


 それは、誰にも言うはずのなかった、過去の話。


「彼女の名前は——セレスティア。セレスティア・ド・アルノ。アルノ家の三女で、王太子殿下の婚約者で……」


 閉めた窓ががたがたと揺れる。二人の影がふらふらと壁に描かれる。

 ろうそくの炎のゆらめきを見つめながら、リュネは静かに口を開いた。


「国家反逆の罪で、火刑にされた」

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