七月の語り~文を綴り披く月 #文披31題2025

こどー@鏡の森

7月1日 リセット

 わたしは画家らしい。

 十代半ばで鮮烈なデビューを果たし、著名な賞を受賞。若さへの期待感もあって高額で作品が取引されるようになるも、翌年には早々とスランプに突入、そして数年を経て返り咲いた。

 作品は初期に見られた瑞々しい感性はそのままに精緻を極め、華々しい日々を過ごしていたという。デビュー当時の初々しさはどこへやら、いささか傍若無人な振る舞いに眉をひそめる向きもあったとか。

 ──わたしは何も覚えていない。

 展示会を終えて連日連夜飲み歩き、転倒して頭を強く打ったのだと聞く。数週間経って意識が戻った時には、自分が誰なのかも分からなくなっていた。

 他人の出入りを許さなかったと聞くアトリエに足を踏み入れる。雑然とした室内の主役はまっさらのキャンバス。そのかたわらに置かれた額装もない小さな絵は画面いっぱいに色を叩きつけたような抽象的な作品で、「わたしの絵」と紹介された作品のどれともかけ離れていた。

 パレットに絵の具を絞り出し、湿らせた筆に移す。体に染みついた感覚だけがわたしの在り処を証明していた。

 下絵もないキャンバスに色を置く。震える手をゆっくりと引いて色を引き伸ばす。淡く伸びた尾の透明感に虚無を見る。

 単色の軌跡をしばらく眺めた後、衝動に駆られてキャンバスに直接絵の具を置いた。

 筆を放り出し、指を擦りつけて色を広げる。色を選びもせず手当り次第に絞り出した絵の具の上に指を、掌を置いて、荒々しく叫ぶように。

 だって、わたしが描きたかったのは。

 繊細さからは程遠い暴走。何を描いたとも分からない混沌。

 暴れる心を叩きつけただけの色。

 誰の理解を得られなくとも構わない。




お題「まっさら」

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