第11話:仕切り直しのハジメテ
今度はお互いの間には何もない。
天ノ衣さんの提唱した説が正しければすんなり出来るはずだ。
「じ、じゃあ目、瞑って! こ、今度こそ終わるまで開けないでね!」
「分かった」
「絶対だからね!」
「……善処するよ」
目を閉じて、少しかがみながら顔を近づける。
すぐにそっと胸倉を掴まれた。その両手は小さく震えていた。
しばらくしてハッハッ、と抑えるような浅く、荒い息が近寄ってきた。
その音が止み唾を飲み込むような音が一度鳴ると、今度は「んんっ……」と何度か小さく漏れる声が聞こえる。その度に顔が近づくのを感じては触れないまま離れていく。
キスしようとして、けどしきれずに離れるのを繰り返しているのかもしれない。もどかしくてしかたない。
いつされるのか分からない緊張感と漏れ聞こえる甘い声に頭がピンク色に染められていく。意識が天ノ衣さんに集中して、その分だけ鼓動が跳ねては身体が熱くなる。
頼むから早く終わらせて、耐えられなくなる前に。
そんな焦らされるような時間は一向に終わる気配もなく、努めてゆっくり三十秒数えたところで申し訳ないと思いながら左目だけ薄く開く。
瞬間ドキッとした。真っ赤な天ノ衣さんの顔がすぐそこにあった。
その口の窄んだ顔がゆっくり寄ってきて、やはり当たらずにスッと戻っていく。
超至近距離で見えた天ノ衣さんの顔は得も言えないくらい綺麗で一際強く心臓が跳ねた。薄く施されたメイクに長く伸びた睫。直前まで触れようとしていたやけに潤って見える小さい唇。白くシミのない整った輪郭の小顔。
とにかく可愛いとしか表現しようのない顔がすぐそこまで迫っていて頭も心もおかしくなりそうだ。
でもそんな中でふと、ギュッと瞑られた両目の端は若干濡れている事に気付いた。
もしかしたら怖いのかな、キスをするのが。
途端に冷静になった。
もしそうならこのまま天ノ衣さんに頑張らせてもいいのだろうか。必要なことだからと恥ずかしいのを必死に抑えながらさせてしまってもいいのだろうか。
ならここで天ノ衣さんを止める?
でも今更それは失礼だろう。天ノ衣さんも頼む時点で相当勇気を出したはずだ。なのに一度受け入れておきながらこんな土壇場でやっぱり止めよう、というのは不誠実だ。
天ノ衣さんは冗談でも何でも無く文字通り決死の覚悟をしたんだ、無駄になんてしたくない。
だったらどうしよう。僕に出来ることは……そんなのは一つしかないか。
唾を飲み込んで両目を開いた。
力が入ってプルプル震える天ノ衣さんの顔が離れたところだった。僕が目を開けたことに気付いていない。
今しかない。
胸に残った高揚感と新たに生まれた使命感に押されて僕は片手で天ノ衣さんの手を取り、もう片方の手で彼女の頭の後ろを支えてから顔を近づけた。
そして柔らかい唇の感触を唇で受け止めた瞬間、
「ぴっ――!?」
天ノ衣さんがギョッと目を開いた。
「ごめん。目、開けちゃった」
すぐに口を離し、気まずくなってそう言い訳する。
至近距離で見つめ合っていた天ノ衣さんは、口をワナワナ震わせながら紅潮していた顔をさらに濃くさせて、同じく震える両手で口を抑えて、
「ひゃうっ…………」
力が抜けたように膝から崩れ落ちた。
ゾッと冷たいものが身体を貫いた。
もしかして心臓に悪影響を及ぼした、とか?
血の気が引いて、慌てて僕もしゃがみこむ。
「天ノ衣さん!? 大丈夫!?」
「だ、大丈夫じゃないわよばかぁ……」
「大丈夫じゃないって……苦しいの?」
天ノ衣さんは顔全体を隠す様に覆いながらブンブンと横に首を振った。
「ち、違うけどぉ……」
「じゃあどこか痛いとか?」
「そうじゃないぃ……」
「な、なら――」
「は、恥ずかしいの! 言わせんなばかぁ!」
「…………」
そう叫ばれて一瞬脳内が停止し、身体も硬直する。
「……身体の方は、大丈夫ってこと?」
数秒かけてようやく状況が理解できて聞くと顔を隠したまま小さく頷かれて「良かったぁ……」たまらず息を吐いた。
すると、キッと天ノ衣さんに指の隙間から睨まれた。
「良くないぃっ! というかこっち見ないで! 本当に今、ダメなのぉっ。うぅ~……」
「ごっ、ごめん……」
もう一度顔を覆い直して背中を丸める姿に謝りながら背中を向けた。
良かった。怒られはしたけど一先ずなんとかなったみたいだ。
キスするのが遅くて動悸を促すのが間に合わなかったとか、もしくはキスがよくない負担になったとか、そういうことじゃなかったみたいだ。
いかんせん僕は天ノ衣さんの病気に関して概要以外、何一つ理解していない。何をして良くて何をしちゃダメなのかも判断が付かない。
だからへたり込んだ時は本当に焦ったけど、今は恥ずかしそうにするだけで辛いわけじゃないみたいだから問題ない、か……というか、したんだよね、今!?
安堵が広がると、今度は身体の中で莫大な熱が弾けた。
天ノ衣さんとキスをしたという事実とその後の彼女の仕草がリフレインして恥ずかしさに襲われる。中でも顔がやけに熱い。
手で顔を扇ぐ。風を受ける度に薄ら唇に残る温もりと柔らかい感覚が際立ち、どうしようもなく意識してしまう。
しちゃったしちゃったしちゃったしちゃった!
するって分かってたけども、なんなら自分からしたんだけども!
まずい、胸が痛い。ドキドキしすぎて怖くなるくらい痛い。
というか何「ぴっ!?」って? 「ひゃうっ!?」って何?
可愛すぎないか本当に!
知っている、聞いている可愛さじゃないよこんなの!?
キスって口にすることすらままならなくて、実際にするとへたり込むくらい照れちゃうくらいの純情を抱えているとか、想像もしていなかったから余計にその可愛さに圧倒される。
最高峰のギャップ萌えが詰まっていた。
天ノ衣さんは顔だけじゃない、しっかりと全部可愛い。
というか、思ったよりもヤバい、キス。一瞬にして意識が天ノ衣さんに塗り替えられた。
これは不味い傾向だ。落ち着け、頑張れ僕。好かれていないことを自覚しろ。好きになるな。
「そ、そういえばなんでアンタはあんな落ち着いて、き、キスできたのよぉ……」
あー、うー、という唸りが止むといじけたような声の狭間に問いかけられた。
相変わらずキスのところはもにょっとしていた。
「ま、まぁ初めてじゃなかったし。ドキドキするのは天ノ衣さんに悪い気がするし……」
こっちだって抑えようと必死なんだよ!
胸の中で一括しながら誤魔化すと「えぇっ!?」天ノ衣さんが声を上げた。
あまりの声量につい振り向くと、依然赤い顔に、ショックの色が混ざっていくところだった。
「ア、アンタ、初めてじゃ、なかったの……?」
そう聞いてくる声は震えていた。
それだけでなんだか、というか物凄く悪いことをした気分になってくる。
「あー……まぁ、中学の頃に何回か」
「じ、じじじ、じゃあ、ははは初めてだったのはあああああたし、だけ……?」
「……天ノ衣さんが初めてだったなら、そういうことになるね」
「う、嘘でしょぉっ!」
天ノ衣さんはまたも顔を覆って倒れ込んで足をバタバタさせた。
「じゃあなに? あたしだけこんなに意識してたってこと!? あたしだけばかみたいに舞い上がってドキドキしてたってことなの!?」
「その、えーっと……」
僕だって天ノ衣さんが相手だってことは相当意識したし凄くドキドキもした。今だって痛いくらいにし続けている。
けどそれを言うのは恥ずかしい。口にしたら動悸に歯止めがきかなくなりそうで怖い。
そう黙っていると、沈黙を肯定だと受け取ったのか天ノ衣さんはバタ足を止めて「もういやぁぁっ……」顔を隠したまま動かなくなった。
「ぼ、僕からキスしたのは初めてだから実質初めてって言ってもいいと思う。だからお互い様って事で……」
「そんなの慰めにならないわよぉ! 余計虚しくなるだけじゃないばかぁっ!」
「ご、ごめん……」
無理矢理フォローするも逆効果。こうなったらもう僕に言えることは無さそうだ。
恥ずかしがる天ノ衣さんを黙って見守るしかない。
時折鼻をすする音が混ざる嗚咽を十分程聞き続けることになった。
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