第7話:天ノ衣さんの病
「特発性スタンリー徐脈」
天ノ衣さんはもう一度ハッキリと言って続けた。
「通称ISP。簡単に言うと心拍数が急低下する病気ね。発症原因は不明で今のところ明確な治療法はないわ。対症療法は定期的に心拍数を上げること。それも緊張とか恐怖によるドキドキで、ね。そうやって一度心拍数を上げればしばらくは大丈夫になるの。逆にそうしないとあたしの心臓は止まる。つまり死ぬってわけ」
「…………」
天ノ衣さんの説明で一気に現実味が増し、背筋に冷たい物が走った。
いきなりすぎて信じられない。それは天ノ衣さんが嘘を言っていると思っているわけじゃない。あくまでもそんな病気が存在していること、そしてあまりにも当然のように天ノ衣さんが死ぬと言った事に対してだ。
淡々と当然のように語られた事実に、僕はただ呆然としてしまった。
そんな僕の反応が面白かったのか、天ノ衣さんは少しだけ頬を緩めて机の上のスマホを指さした。
「驚いたわよね、こんな話。信じられないなら今調べてみてもいいわ。その間、心拍数計るから。その結果を見てもらえば信用してくれるだろうし」
「……分かった」
頷いた天ノ衣さんは血圧計を鞄から取り出し、慣れた手つきで帯を腕に巻いた。金髪ギャルに、というか女子高生には全く馴染まない行為だけでも一層天ノ衣さんの発言の信憑性が増していく。
僕はスマホを手に取り病名で検索してみた。するとすぐに結果が出てきた。
特発性スタンリー徐脈。Idiopathic Stanley Bradycardiaの頭文字を取って通称ISP。
心拍数が低下し、やがて止まる病気。不整脈の一種。心因的な動悸により心拍数を上げることで一時的に症状を緩和できることから定期的にネジを巻かなければならない時計になぞられて機械式心臓症とも言われている。
これらしい症例が初めて確認されたのは約四十年前だといわれているがはっきりしたデータは無い。明確にこの病気として認定されたのは三十年前で、その時の患者の名前を取って命名された。今現在、根本的な治療法は見つかっておらず、世界で四十二名が罹患している。らしい。
天ノ衣さんの説明と異なるところはない。
やはり天ノ衣さんが死ぬと言ったのも嘘じゃないんだろう。あまりに衝撃的な情報に何も言えないでいると腕帯を外した天ノ衣さんが血圧計を差し出してきた。
「ん、一通り調べ終えた? だったら心拍数の所、見てよ」
その画面には最大血圧、最低血圧の下に心拍数の表記があり、今は三十七と表示されていた。
ただ、それを見せられて僕は少し困った。今まで意識して血圧や心拍を図ったことも気にしたこともないから正常値を知らない。三十七という数字を見てもなんとなく低そうだな、としか思えなかった。
そんな僕の心中を察してか、天ノ衣さんは「普通は六十から百の間よ」と言った。
普通は六十から百。それに対して天ノ衣さんは三十七か。
低いんだな……って、三十七!?
「だ、大丈夫なのそれ!?」
「大丈夫じゃないからアンタを頼ろうとしてんの」
「そ、そっか……」
何をどう考えても大丈夫なはずない、か。
心拍数が身体にどう影響するかは詳しくないながらも想像はできる。全身の血液循環が滞ることはまず間違いないだろう。
病気の症状と今の天ノ衣さんの低すぎる心拍数。照らし合わせると合致する以上、彼女が特発性スタンリー徐脈という病気であることは疑いようがない。
その結論に至ると胸のあたりが苦しくなった。
「今はその、辛かったりはするの?」
「そうね、多少頭がボーッとしてフラつくけど下がる時はもっと下がるからまだ大丈夫そう。話をする余裕くらいあるから気にしないで」
「そう、なんだ」
気にしないでと言われても気になる。天ノ衣さんが落ち着いた様子だから言葉通りまだ大丈夫なんだろうけど、事情と明確な数字を知ったせいで怖くなる。何より死ぬかもしれない、という重すぎる事実に震えそうになる。
「心臓移植とかしても治らないの?」
「うん。一時的には良くなるみたいだけどまたすぐ再発するみたい。ドナーもそう簡単にないし、あっても無駄になっちゃうのは分かっているからもらうことも出来ないでしょ」
高すぎて手が出ないし、と天ノ衣さんは付け足した。
根本的な治療法はない、との記述には当然のように移植も含まれていた。無学無知識の僕がパッと思いつくようなことなんて試されているに決まっているか。
「ちなみに心拍数を上げるのは心因的な動悸じゃなきゃいけないってことだけど、運動は効果ないの?」
天ノ衣さんの話を聞いて、そしてさっき概要を見た時に思ったことだ。
言うまでも無く運動をすると心拍数は速くなる。さらに適度な運動は健康に良いというイメージもある。ならこの病気にも効果はあるのでは……という考えもやはり安直らしい。
即座に「ダメね」と首を横に振られた。
「少し激しい運動すると心拍が乱れて苦しくなるのよ。その後から急低下するから下手すれば倒れるかもしれないし。ペースメーカーで心拍を補おうとしても似たようなことが起こるみたい。だから体育はずっと見学。小学生の頃からね」
「…………」
そういえば去年の最初、同学年に病弱の可愛い女子がいる、という噂が流れていた気がする。すぐに消えたから忘れていたけど天ノ衣さんの事だったのかもしれない。
でも心因性以外で無理矢理心拍を上げる、もしくは安定させようとすると逆に状況が悪化してしまうのか。健康的な運動習慣もこの病気には害にしかならないらしい。
きっとそれ以外にも天ノ衣さんにとっては相当気を遣わなきゃいけないことが多いのだろう。文字通り常に死と隣り合わせの日々といっても過言じゃないのかもしれない。
聞けば聞くほど彼女の置かれた状況が酷いものだと分かっていく。
だから思うより先に口を突いて出ていた。
「ごめん、天ノ衣さん……」
「いきなりなによ。なんでアンタが謝んのよ」
「天ノ衣さんのこと何も知らないで、その……正直ちょっとヤバい人なのかと思っちゃったから」
「あのね、さっきも言ったけど何も説明しなかったのはあたしなの。だから悪いのもあたし。それでいいの」
「でも……」
「あぁもう、面倒くさいわねあんたは。顔は良いんだからもっと堂々としなさいよ」
「うっ……」
「いきなりどうしたのよ!?」
「なん、でもない……」
不意打ちに思わず胸を押さえて机に突っ伏す。無事凹んだ。意図してなかったんだろうけど、正確無比にトラウマを刺激されてジワジワと苦みが広がっていく。
「そ、そんなショック受けないでよ。褒めはしたじゃない」
「そうだけど、その言葉は僕に効く……」
中身の悪さとセットだと顔への褒め言葉は逆効果。むしろ的確に痛みを増幅させる装置にしかならない。
「と、とにかく話戻すわ。重要なのはここからなんだから」
「そ、そうだね」
悪びれるような声に僕はハッとして起き上がった。
今は僕のことなんかどうでもいい。天ノ衣さんの方が問題だ。
改めて向かい合うと、天ノ衣さんは「それで、その……」冷静に説明してくれていたこれまでとは対照的に恥ずかしそうに言い淀んだ。言葉を紡がないまま視線を逸らして髪の先を弄り始める。
その様子と今までの話を鑑みると言いたいことは一つだろう。
「キスしてっていう話、だよね?」
天ノ衣さんは「んぐっ」喉の奥を鳴らして固まった。みるみるうちに顔が赤く染まっていく。やがてぎこちない動きで俯いたまま小さく頷いた。
やっぱり前回の唐突すぎるお願いはこう繋がってくるらしい。
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