第17話 消失

 かなは翌年の春、県外の短大へ入学した。

 弱った状態で、県外に出るということで、両親からひどく心配をされていた。

 

 出発の前日に、母が、自身が大切に持っていたネックレスをかなの首にかけてくれた。

「これを、お守り代わりに身につけていなさい」

 モチーフを手にとって見てみると、それは銀色の巻貝のような形だった。

「無事に、元気になって……帰ってくるといいな」

 母は、そうつぶやくように言った。

「……ありがとう。大丈夫だよ。頑張ってくるから」

 

 かなは、学校の寮に入った。

 そこで出会ったのが、こころちゃんだった。


 寮に入って二日目の夕食後に、急に前触れもなく寮の部屋がノックされた。

 入ってきたのは、隣の部屋の子だった。


「初めまして。伊川心といいます。松下さん?で、合っていますか。ちょっと、一緒にお話ししませんか?」


 その夜、こころちゃんは十一時までかなの部屋にいた。その間ほぼ一方的に話し続けた。


 こころちゃんは、専攻は福祉だった。肩までの癖のある茶髪で、背丈は女性の標準くらい。一つ一つ顔のパーツが上品な、おしゃれが好きでよく笑い、よく怒り、よくしゃべる子だった。


「かなちゃん、あんまり話さへんし、笑わへんし、怒らへんし、泣くこともないなあ」

 かなと話をしているときに、ふいにこころちゃんがそう言った。

 そう、言語化してくれると、なんだか少し心が楽になる。


「わたし、自分がないの」

「自分がない?」

「うん。もう消えちゃったの」

「ふーん。そういう人、たくさんおるで。ならかなちゃん、あんた、これから自分を作らないとあかんで」

「つくる?これから?この年で?」

「そうや。そうする他ないやろ」

 

 簡単に言ってくれるが、一体どれほどのことなのか憶測がついているのだろうか。

 自分を作るとは、何かルールを自身の中にもうけてそれをリピートするということだろうか?何かを見たときに、こうこうこう思う、こうこうこう感じると自分自身に癖づけることだろうか?例えば、何かの分野の知識を体系的に身につけるということだろうか?それは、気が遠くなるくらい膨大な内容の話だ。


 大体、かなは今、物事の記憶というものができない状態なのだ。とても細かい間隔で連続的にものを忘れる。さらに言えば、高校時代から以前の大部分が、霧にかかったようによく思い出せない。今まで勉強した内容も、ほぼ抜けてしまっていた。また太宰治ではないが、自然にお腹がすくという感覚や、自然に眠たくなるといった、身体的感覚と感情がないのだ。  


 でも、自分の問題を人に委ねては、高校生の時と同じ過ちをおかす。問題が大きいほど、その軸は自分に置かなければ。軸をずらせば、自分もろともこの子が倒れる。

 そうはいっても、心のなかで、楽になりたいのか歯止めが利かないのか、自分の問題を人に投げてしまっているような感覚もある。


 しかしこの子は、これからのかなの指針についての話をしてくれている。なかなか親身になってそこまで話をしてくれる人って、この世にはいないのだ。


「世の中、世知辛いやんか。皆、いろんなことで悩んでいるで。かなちゃんだけやない。やれることをやって、乗り越えるしかない」

「……人を、支えようと思ったんだけれどね。うまくいかなくて。こうなってしまって、いろいろと後悔してる」

 かなが、そう伝えることを試みると、こう返事が返ってきた。

「それは、ほんまの純粋な思いでやっていなかったからや」

 

 綺麗でシンプルな答えだ。安易に人に言うべき言葉ではない。かなは、思いを押し殺して黙っていた。

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