第15話 苦い春

 高校三年になり少ししてから、なにか脳に異常を感じていた。ずっと頭の中が渦のようにぐるぐると止まらずに動き続けているような感覚で、自分の感情さえうまくコントロールができない。一番やっかいなのは、自分の状態を正確に人に伝えるという術をもてなかったことだった。

 一度、高校二年生の時に、意識を失って後頭部を打つように直立のまま自宅で倒れた事があった。そのことに関係はないのだと思うけれど。


 高校三年生になったばかりの頃に、他校へ転校したののちゃんと会ってお茶をした。

「もうすぐここに男がくるから」

 ののちゃんは、そう言った。

(どういう関係?)

 そう不安に思いつつ、レモンスカッシュを飲んでいると、一人の背の高い、淡白な顔立ちの色白の男の子が現れた。

「よっす」

「うん。一週間ぶり」

 ののかちゃんは、笑顔で手を振っている

「その人は?」

「うん。わたしの友達。かなっていうの。かわいいでしょ?」

「初めまして。松下香菜といいます」

「初めまして。崎村といいます」


 その後、とても気まずかった。二人は、ずっと互いにケータイをいじったまま話もしない。かなからも特に話はできず、とくに、これといった会話もなく、一時間後に解散となった。

 数日後に、ののちゃん経由で崎村君から連絡先を聞かれて交換した。

 かなは、いつの間にか崎村君と付き合っていて、結局数か月で別れを告げられた。


 頭の中が日々ぐるぐるする。

 勉強をしようと机に座って問題集を広げてもいらいらする。

 感情がコントロールできずに、周囲に当たり散らす。そんな、ストッパーが外れたような、かなの生活態度のあまりのいい加減さに、周囲はいらいらしているようだった。


 かなは、髪を明るく染めて、授業を今まで以上にしょっちゅうさぼるようになった。教師には、暴言を吐いたりしていた。

 かなは周囲から嫌われ、孤立した。


 優しくて献身的だった養護教諭の先生には、「人間の屑」と言われた。

 それは、でも一理ある。一年生の時からあんなに優しく話を聞いてもらい、元気づけてもらってきたのに、意図的ではないにしろ、恩をあだで返してしまっているのだから。


 副担任の古典の先生には、かなの心を図に書いて説明もされた。

「あなた、何が辛いの。全然苦しそうじゃないじゃない。わたしはね。子供が嫌いなの。大人はね。こう、氷山の一角しか人に見せていないの。あなたはね」

 そう言いながら、その氷山の絵の上に丸を書いて言った。それをペン先で激しくつついた。

「こう、心の中が全部丸見えなの。非常にみっともない」

 かなは、その図を見たときから、何かのスイッチが入った。


 高校を、補講を受けることによりなんとか卒業させてもらったかなは、結局、地元の短大ではなく、県外の私立の短大の国文学科に入学することになっている。卒業式の日に、お世話になった国語の初老の男性の佐川先生に泣きながら謝ると、こう言われた。

「君は、恵まれすぎていたんだね。これからは、もっと野性的に生きなさい」

 


 その春に、かなは、しばらく会っていなかったののちゃんに声をかけられ、頻繁に誘われるようになった。ののちゃんは、今の学校をあと二年通わなければならない。

「今日は、忙しいし、疲れているから休みたいな」

 そう伝えても、なかなか聞いてもらえない。かなも、断る元気さえなかった。


 ののちゃんは、しばらく会わない間に、かなの把握していない悪い仲間と付き合うようになったらしく、さらに人が変わっていた。目の色が真っ黒で、時折、かなのことを無意識に睨みつけている。

 

 ある日、かなは地元の川岸で散歩をしていた。これが、最近の日課だ。川岸の桜の花びらが風に乗って舞うのを見ると、とても気持ちが良かった。そして、今から夕日が沈むという川べりで、一人で座り込んでいたら、なにかあぶらののったような額の、黒々した肌色の黒いぐりっとした大きな目の男の人に声をかけられた。

 

 その人は、かなの隣に座ってきた。逃げようとすると、胸のあたりを抑えて苦しみ始めた。かなが、動揺して「救急車を呼んできます」というと、

「いや、やめてくれ。大丈夫だから、ここで休ませてくれ」

 と、彼は苦しそうに声を絞り出した。


 少し休むと、彼は胸の痛みが回復したようで、かなにお礼を言ってきた。

「ありがとう。君のおかげだ」

「いえ。わたしは何もしていませんから」

「いや、君には、人の身体を回復させる力があるように感じるよ。持っている気が柔らかいから」

 かなは、押し黙った。

「僕はね、実はもう寿命までそんなに長くはないんだ。医師にそう言われていてね」

 かなは、動揺した。

(この人……もうすぐ死んでしまうんだ)

 男の人は、黙ってこちらを見つめている。

「すまない。会ってすぐの君に言うような話ではなかったね」

「もう、よくなられたようなので、わたし、帰ります」

「ちょっと、待って」

 男は、ポケットから出したメモ帳とペンで、さらさらと何かを記している。

「お礼がしたいから、またここへ連絡して」

 破られたメモを、かなの手をとって握らせた。

 かなは、何か、強制的な圧力を感じた。

 

 かなは、どうしてまたあの川べりに足を運んだのだろう?

 かなは、何かおかしかったのだろうか?その後の体の調子だけを聞こうと、最初はそう思っていたのだろう。

 一瞬、その男の人が「鬼」のような顔に見えた瞬間があったのだ。

(逃げなくてはいけない気がする)

 意識のどこかに小さくあった。

 しかし、人はいざというときに、そう判断しうまく逃げるということまで達成することは、一見簡単なことのように見えて、それ相応の「エネルギー」といものが必要なのだと思う。

 相手の狙いに背くだけの精神的、身体的なエネルギーが。


 都合のいいことを言わせてもらえるならば。かなの行動の主導権がいつのまにかかなから別の誰かへと移っているかのようだった。それは、一体いつからなのだろうか?以前に一度意識を失って倒れた日からだろうか?かなが、ののちゃんを怒った日からだろうか?それとも副担任の先生に、心を作図された日からだろうか?それとも、全てはかなの努力不足からくるものだろうか?

 あの日、もう一度あの川べりに足を運んだことを、かなはその後一生後悔し続けた。


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