第2話 欺瞞の骨格

プロジェクト・プロメテウスが始動した夜から、佐藤竜一の生活は一変した。彼は大手環境機器メーカーでの職務をこなしながら、秘密裏に「偽装熱分解装置」の設計図を練り上げた。彼の設計思想の根幹にあるのは、徹底した責任の分散と曖昧化だった。いざという時に、誰も単独で責任を負わない、複雑な迷宮を作り上げること。

「健吾さん、この図面を見てください。これはあくまで『熱分解装置』です。焼却炉とは根本的に違う」

田中に見せた図面には、通常の焼却炉には不可欠な長い煙突はなかった。代わりに、炉の排ガスは複数のフィルターとオイルトラップを通過し、最終的にはごく短い排気口から大気に放出される構造になっていた。もちろん、内部では緩やかながらも確実に燃焼が進行するよう、空気の流入経路は巧妙に隠蔽され、酸素センサーの類は、意図的に酸素濃度が低いと誤認させる位置に設置されるよう指示された。

「排ガス中のダイオキシン? それは熱分解で生成されるごく微量のものとして処理される。焼却炉の基準は適用されないんですよ」

竜一の説明に、田中は半信半疑ながらも頷いた。彼には竜一の言う「科学的な誤認」の全貌を理解することはできなかったが、竜一の自信に満ちた目と、かつて自分たちが培った技術への信頼が、彼を突き動かした。

製造は、田中の伝手を使い、大阪郊外の小さな金属加工工場「新日鐵工」に発注された。社長の森田は、長引く不況で仕事に飢えており、図面通りの加工を迅速に行うことだけを求めた。彼に、これが最終的にどのような装置になるか、その意図が伝えられることはなかった。森田は、ただ高品質な部品を作り、約束通りの代金を受け取る「製造者」としてのみ存在した。

販売ルートの確立も同時並行で進められた。竜一は自ら環境関連の展示会やセミナーに足を運び、地方の独立系環境コンサルタント会社「エコソリューションズ・ジャパン」の社長、杉山に目をつけた。杉山は口が達者で人脈も広く、環境問題への意識が高いが、収益に結びつかない事業に苛立ちを感じていた。

「杉山さん、御社には、画期的な熱分解装置の販売代理店として、日本の廃棄物処理に革命を起こしていただきたい」

竜一は杉山に、まるで夢のような話を持ちかけた。最新の科学技術に基づいた「環境に優しい熱分解装置」は、従来の焼却炉のような厳しい規制を受けず、導入コストも運用コストも格段に安い。ダイオキシン問題で頭を悩ませている全国の小規模事業者に、これほど魅力的な提案はないだろう。杉山は「エコソリューションズ・ジャパン」を大きくする千載一遇のチャンスだと信じ、疑うことなく代理店契約を結んだ。彼もまた、竜一の詐欺計画の「販売者」として、知らず識らずのうちに加担していくことになる。

しかし、この壮大な詐欺計画には、もう一つ重要なピースが欠けていた。それは、信用だ。いくら巧妙な技術で誤魔化しても、社会的な信用がなければ、誰も巨額の装置に投資しようとはしない。

竜一の頭に、ある人物の顔が浮かんだ。彼の高校時代の先輩、西條啓介。西條は高校時代からずば抜けた頭脳を持ち、竜一と同じ大学に進学した後、研究者の道を歩んだ。現在は、都内の名門私立大学「城南大学」の環境システム工学部教授となっていた。

ある日、竜一は西條の研究室を訪れた。昔と変わらない柔和な笑顔で出迎えた西條に、竜一は懐かしさを感じながらも、内なる目的を隠した。

「先輩、実は、私が長年研究してきた小型の熱分解技術がありまして……。既存の廃棄物処理の常識を覆す可能性を秘めていると確信しています」

竜一は、あくまで「環境負荷の低い小型熱分解技術」として、装置の概要を説明した。当然、詐欺の核心部分である「焼却の偽装」については一切触れない。彼は西條の知的好奇心を刺激し、社会貢献への意欲に訴えかけた。

「なるほど……小型で、しかも熱分解。排ガス基準の緩和は確かに魅力だ。しかし、この反応メカニズムは……」

西條は資料に目を通しながら、眉間に皺を寄せた。彼の科学者としての直感が、微かな違和感を覚えたのだろう。だが、竜一はたたみかけた。

「先輩、これはまだ基礎研究段階の技術です。しかし、将来的に実用化できれば、地域社会の廃棄物処理問題に貢献できるはずです。つきましては、この技術をさらに発展させるために、先輩の研究室で特任研究員のポストをいただけないでしょうか。もちろん、私も共同研究者として、全面的な協力を惜しみません」

特任研究員。それは、大学の研究リソースを利用し、その分野の権威である教授の「お墨付き」を得られる、まさに竜一が求めていた地位だった。西條は、竜一の博士号の肩書きと、熱意ある説明、そして何よりも後輩を助けたいという善意から、その提案を受け入れた。

こうして、佐藤竜一は「研究者」という新たな顔を手に入れた。城南大学特任研究員、佐藤竜一。その肩書きは、彼の「偽装熱分解装置」に、強力な学術的信用という鎧を与えた。彼の計画は、単なる詐欺ではなく、最先端の「研究開発プロジェクト」として、社会に認知され始める土台が築かれたのだ。

最初のターゲットは、ごみの処理に困窮する小規模な事業者が選ばれた。老人ホーム「やすらぎの家」、地元の個人病院「緑ヶ丘クリニック」、そして廃業寸前の町工場「カネタ精密」。彼らは、ダイオキシン規制に苦しみ、高額な廃棄物処理費用に頭を抱えていた。

「御社の廃棄物処理コストを、年間で半分に削減できます。しかも、環境負荷は最小限です」

杉山の巧みな営業トークと、佐藤竜一が「研究者」として立ち会い、専門用語を交えて説明する「科学的根拠」は、彼らの心に深く突き刺さった。疑念を抱く者もいたが、目の前の「コスト削減」と「環境配慮」という甘い言葉には抗えなかった。何より、名門大学の研究者が関わっているという事実は、彼らの最後の躊躇を吹き飛ばした。

「城南大学の佐藤先生が監修されているなら、間違いないでしょう」

導入を決めた老人ホームの理事長が、安堵の息を漏らした。彼らは、まさか自分たちが違法焼却に加担させられることになろうとは、夢にも思っていなかった。

プロジェクト・プロメテウスの炎は、静かに、しかし確実に燃え広がり始めていた。

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