過労のユニコーンは、彼女の主人と私の恋を紡ぎたがる

ちかえ

第1話 説得

 祖母の手からお煎餅がこぼれ落ちた。幸い床には落ちず、軽い音を立てて菓子器の中に収まる。

 でも問題はそこではない。


「トラックに轢かれていないのに?」

「うん」

「魔法陣とかもないのに?」

「そう」

「ブラック企業にも勤めてないのに?」


 それはブラック企業勤めの人に失礼ではないだろうか。和果奈わかなは祖母の言葉に苦笑いを浮かべながら温かいほうじ茶の湯呑みを口に運ぶ。馴染みのお茶屋さんから買ってきたそれは、いつも通り美味しい。


 だいたい、和果奈はまだ就活中である。ブラック企業どころかどこの企業にも勤めていない。


「なのにあなた異世界に行くっていうの!?」


 祖母がすごい勢いで和果奈に迫ってくる。これには『う、うん』としか言えない。


「和果奈、小説とは違うんだよ」


 祖父が困ったようにため息を吐く。


 異世界に行きたい、と言っただけでこの反応である。前途は多難だ。


 でも、その反応は普通なのかもしれない。自分自身もかなりとんでももない事を言っている自覚はある。


 彼らは和果奈の両親が離縁した後、孫娘を引き取り育ててくれた、いわゆる親代わりである。その孫がいきなり別の世界に行くと言ったらこんな反応になるのも無理はないのかもしれない。


 でも、ただ、一言『異世界に行きたい』と言っただけで、それが冗談ではないのだと信じてくれているのは正直すごい事だ。普通なら、何を馬鹿なことを、と一笑に付すだろう。

 普通の人には、異世界なんて小説やアニメや漫画の世界の事なのだ。

 もしかしたら驚きすぎて思考がフリーズしているだけなのかもしれない。

 困ったように沈黙する。掛け時計の音がやけに大きく聞こえた。


「どうしてそんな突拍子も無い考えに至ったの?」


 不安そうに祖母が尋ねる。


「その……異世界の人に会ってユニコーンのお世話を頼まれたの」

「そんなもん現地の人に頼め!」


 速攻で祖父がツッコンだ。

 もし、何も知らなければ和果奈自身もそう言ってたかもしれない。


「それにな、ユニコーンって馬形をしている生き物だろ。猫を飼うのとは違うんだよ。そういう感覚でいるのかもしれないけど」

「にゃーん」


 そんな話をしていると、呼んだ? とばかりに飼い猫のミケが部屋に入って来た。そのまま和果奈に擦り寄る。ふわふわした毛並みが足に触れた。


 よしよし、といつものように頭を撫でる。ミケがゴロゴロと満足そうに喉を鳴らした。


 異世界に行ったらこの子とも会えなくなるのだろう。それは寂しい事だ。

 つい、撫でる手が止まってしまい、ミケに『どうしたの?』と見上げられる。おまけに膝によじ上られてしまう。こうされると抱き上げるしかない。


「ちょっと詳しく話を聞かせて。多分、和果奈自身も混乱しているのかもしれないし、私たちもまだ話が見えてこないから」


 祖母が困ったようにそう言ってくる。そしてお茶のおかわりを淹れてくれた。


 うん、と頷き、ミケの頭を撫でながら和果奈はゆっくりと事の次第を話し始めた。

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