第40話 ただ診ただけのつもりが、魔王の娘が甘えと色気で攻めてくるんだが!?

 夕方、診察室。


 窓の外には朱の残滓が滲み、診察室の机上に置かれた薬草の影が長く伸びる。

 俺は指先で脈を探りながら、リリスの瞳の奥を覗く。


 静かだが、深い湖底に赤い澱が渦巻くような気配があった。


「……夢見の薬を常用していたのか?」

「ええ。飲まないと眠れなかったの」 


淡々と告げるその声の奥に、長い孤独の湿り気が潜む。


「常用すべき薬じゃない。だが、いきなり中止はよくない……少しずつ減らそう」


「……そう。先生がそう言うなら」


「誰も止めなかったのか?」


「誰も私には関心がないの。魔王の娘という以外に価値はないから」


「魔王にはこの間、世話になった。穏やかな方だな」


「……あなたには、そう見えるのね」


 リリスが意味ありげにふっと笑う。

 瞬間、室内の空気がわずかに硬くなった。


 俺は静かに煎じ薬を調合し、淡い香りが室内に満ちる。


「これは気分を穏やかにする。まずはこれで……あとは急がず治療をしよう」


 リリスが意外に大人しく煎じ薬を受け取ると、小さく微笑んだ。


「美味しいわ」


 その笑みを見届けてから、俺は小さく息を吐く。

 患者としてだけ接するべきだと頭では理解しているのに、胸の奥では何かがざわついていた。夜が来れば、この感情はさらに形を変える――そんな予感が拭えない。


***


夜、診療所の客間。


「……ごめんなさい……いや……壊れる……せん……せい……」


 ふと苦しそうな声を聴いて、リリスが寝ているはずの客間の扉を開ける。

 リリスは浅い呼吸で寝返りを打ち、かすれた声で夢を追っていた。


 額の汗を拭い、肩を支えて起こす。


「リリス……大丈夫か?」 


 怯えた瞳が焦点を結び、俺の姿を捉えた。


「せ……んせい……私」

「大丈夫、ここは安全だ」


 落ち着かせるように、背中をポンポンと叩く。


「先生、私……ずっと、ここにいていい?」


 その一言に、胸奥へ重い圧がのしかかる。

 逃げ場を塞がれたような感覚に喉が鳴る。 

 抗う間もなく頷くと、リリスの瞳が異様に光を帯びた。


 魅入られるような赤い瞳。


 怖い、それなのに甘く絡みつくような艶があった。

 視線を外せず、身体がじわじわと熱を帯びる。

 指先を取られ、引き寄せられ――唇が触れそうな距離で、吐息が頬をかすめる。

 甘い香りが鼻腔を満たし、心臓が跳ねた。


「……リリス」


 片方の手で肩を抑えて制止しようとした矢先、リリスが俺の手を自らの胸元に押し当てた。


 指先から柔らかな感触と熱が伝わり、トクトクと早めの鼓動が響く。


「ほら……わかるでしょう? 先生のせいで、私の心臓が、こんなに……」


 吐息が耳朶を撫で、全身が粟立つ。

 距離が近すぎて、理性の糸が音を立ててほつれていく。


 息が詰まるほどの間。 

 

 そのとき――


 ドアが破られるように開いた。


「せんせぇ、ずるい!」

 ラナが飛び込み、頬を膨らませる。


「……リリス様といえど、説明を求めたい」


 アスリナの声は低く冷ややか。


「患者の立場を利用するなど、どうなのかしら」


 エリシアが眉を寄せる。 

 最後に、ヴェレムが笑みを含ませて首を傾げた。


「ふふふ……混ざってもいいかしら?」


 室内の空気が一瞬で修羅場の香りを帯びる。


 リリスはゆっくりと息を吐き、布団の端を握った。


「……騒がせて、ごめんなさい。今日はもう、寝るわ」


 その声音は、先ほどまでの熱を微塵も感じさせなかった。 

 月が雲に隠れ、部屋は静けさだけを残した。


 俺は大きくため息をついた。

 患者を診て、平穏に暮らしたいだけなのだ。


 いつになったらその日が訪れるのだろう?


***


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