第5話「相部屋」


 

 宿屋宵の口は町の奥まった場所にあった。

 トオル、チヅル、カゲン、カスル、ハマル、カズラの六人は《宵の口》の看板を見上げ、小さく息を吐いた。

 店構えは他の宿屋と同じだった。特別なところは何もない。

 強いて言うなら、若干ボロボロな印象だった。あまり儲かっていないのかもしれない。

「ここが、先ほど言っていたお店……」

 チヅルが看板を眺めながら、小さく唸る。

 豪華絢爛できらびやかな宿をイメージしていたわけではないが、気難しい店主がいるというのだからどれほどのものだろうとは思っていた。

 余りにも普通過ぎて、逆に気が抜けてしまったのだ。

「なかなかにいい雰囲気の店ですね」

「そうだな。あのおっさんが脅かして来たからどんなもんかと思ったが、何の変哲もねぇじゃねぇか」

 店の外観に対する感想をトオルが述べると、カゲンも同調してくる。カズラとハマルも同様だった。

「なんだっていいわい。わしは疲れた」

 カスルが不満をあらわにする。ハマルやカズラもまた、同意していた。

 トオルも慣れない長旅で疲労困憊だった。この際、なんでもいいから座りたい。

 一行は宿屋宵の口へと足を踏み入れる。来店を告げるためだろう、設置されていたベルが鳴る。

 ちりんちりん、と来客を告げる鈴の音色が響き渡る。

「いらっしゃい」

 そう言って、カウンターに座っていた女性がにっこりと笑う。

 ふくよかな体付きに強気に釣り上げられた眉。笑顔の奥に強い意志が感じられる。

 年齢はわからないが、それなりに年は取っているのだろう。口許や目許の皺が彼女の人生経験の深さを物語っていた。

 印象としては、豪快な肝っ玉母ちゃんといったところだろう。

 トオルは口にこそ出さなかったけれど、内心でそう思った。

「六人だ。部屋はあるか?」

「ああ、うちは見ての通りガラガラだからね。十人でも大丈夫だよ」

「それは……大変だな。なんでもカーティスの騎士が来ているとか」

「ああ、その通りさ。連中のせいで町中は今物々しい雰囲気だよ。……全くやめてほしいものだね」

 店主ははあと溜息を吐き、首を振る。

「お貴族様かなにか知らないけれど、やめて欲しいものだね」

「滅多なことを言うものじゃないよ、母さん」

 店の奥から、また一人姿を現した。

 現れたのは、さらりとした雰囲気を持つ好青年だった。

 母親似のブロンドの髪にスッと通った目鼻立ち。あごはシャープで優しげに微笑む様子はきっと異性から好感を持たれること間違いない。

 青年は母親である店主へと近付き、抱えていたかごをカウンターへと置いた。

 トオルはちらりとかごの中を盗み見る。別に何か悪さをしようとしていたわけではない。ほとんど反射的にそうしていた。

 かごの中はいものようだった。じゃがいもによく似ていたが、どことなく違う、この世界のいも。

「アンドレ……子供が余計な口を挟むもんじゃないよ」

「子供って……まあいいけれど、僕はもうすぐこの店を継ぐことになるんじゃない?」

「どうだろうね……それより、これだけかい?」

 アンドレと呼ばれた青年が持って来たかごを覗き込み、店主は再度溜息を吐く。

「最近、とんと取れなくなっちゃったねえ」

「そうなんだよ。今日はこれだけしかないよ」

「どうしたものだろうか」

「……あの、どうかしたんですか?」

 チヅルが二人の間に割って入る。採れなくなったという言葉が引っかかったようだ。

「食材が採れないんですか?」

「まあね……お客さんにこんなことを言うのは気が引けるけれど、我が家の畑の作物があまり採れなくなっちゃってさ」

 店主は疲れたように肩を落として、語り始めた。

「つい一月前までは収穫量も多かったんだけれど、どうしちまったんだろうね」

「なるほど……ちょっと畑を見せてもらえますか?」

「え? ああ、それはかまわないけれど、一体どうしてだい?」

「なんとこちらにいるトオルさん、植物についてお詳しいんです!」

 ババンッとなぜか得意げに胸を張るチヅル。水を向けられたトオルはぽかんと口を開けていた。

「へえ……あんたがねえ……とてもそんなふうには見えないけれど」

「トオルさんはわたしたちの村を救うためにそのお知恵を貸してくれました。今もそのためにトライアド山脈へと向かう途中なんです」

「トライアド山脈? なんだってあんな場所に……?」

 問われて、必要もないのに答えるチヅル。

「実はわたしたちの村がかくかくしかじかで」

「なるほどね……そいつは大変だ。それで、そっちのあんちゃんの提案でトマの種を採りに行こうってんだね」

「はい。トオルさんはすごいんですよ」

「へえ……あんた、見かけによらずやるんだねぇ」

「いえ、俺は何もしていないですよ」

 褒められて、とっさにそう言ってしまうトオル。

 こちらの世界に来てだいぶ経つけれど、今だにこういった部分で前世の習慣が抜けきらない。

 チヅルはそんな彼に対して、やれやれと首を振る。

「トオルさん、自分のことをそんなふうに言ってはダメですよ」

 めっと小さい子供をたしなめるかのように言って、チヅルは眉根を寄せた。

 初めて会った時と比べると、ずいぶんと元気になったもんだ。

 あの時は本当に死んでしまうのではないかと思った。

「まあいいじゃないか。そこがトオルのいいところなんだから」

 カズラが暴走しかけていたチヅルを諭し、店主との間に割って入った。

「六人だ」

「あいよ。アンドレ、部屋の準備をしておくれ」

「わかったよ、母さん」

 アンドレは店主の指示を受け、二階へと上がって行く。

 二階が、トオルたちの使う部屋ということになるのだろう。

 トオルはなんとなくアンドレの背中を見ていた。ぼーっと、何を考えるでもなくただ立ち尽くしている。

 ここまでの旅で、疲労はかなり溜まっていた。もうすぐ休めるのだと思うと嬉しくなる。

 そう言えば、カスルがあまり喋らなくなってしまっていた。高齢ゆえに彼女もまた疲れたのだろう。

 そう思い、ちらりと振り返る。案の定疲れた様子でトオルと同じようにぼーっとしていた。

 トオルはカスルへと近寄り、声をかける。

「もう少しの辛抱ですよ。アンドレ君が部屋を用意してくれていますから」

「……ああ、わかっているさ。ただまあ、どうにも疲れてしまってね」

「ええ、わかります。俺も疲れましたから」

「若いもんが何を言っているんじゃ」

「ははは、あれだけ歩いたのは初めてなんですよ」

 トオルが笑っていると、カズラがこちらへと向き直る。チェックインが終了したようだ。

「では、各々の部屋に行きましょう」

「各々の部屋って……そんな何部屋も借りれたんですか?」

「女将さんのご厚意で。何せ部屋は余っているそうですから」

 カズラの言葉に思わず店主の方を見るトオル。すると、店主はパチッとウインクをした。

「ま、せっかくだからゆっくりしておいき」

「ありがとうございます、ええと……」

「サレドナよ」

「俺はトオルと言います」

「ええ、さっきそのお嬢さんが言っていたわね」

 トオルは礼を言い、頭を下げる。。

 この世界の常識や慣習なんてものはまるでわからなかったが、店主の立場ならぼったくることも可能だっただろう。

 ぼったくり、とまではいかなくても、少々高い値段を吹っ掛けることもできたはずだ。

 それをしなかったというところに、彼女の人柄が現れていると言えるだろう。

 とりあえずゆっくりと落ち着ける場所に行きたかった。

 トオルはカスルを気遣いつつ、階段を昇る。その後を、他の面々が付いてくる形になっていた。

 怪談を昇ると、一室からアンドレが姿を現した。

 彼はトオルたちへと向かって優しく微笑む。

「こちらの三部屋をご使用ください。ご滞在の間は扉の前に使用中の札を貼っておいてくださいね」

「あ、ああうん、ありがとう」

 トオルが礼を言うと、アンドレは会釈をして階下へと降りていく。

 母子二代で経営している宿屋。前世でもそういう民宿のようなところはあった。

 一度は行ってみたいと思いつつ、ついぞ叶わなかった夢がこんな形で叶ってしまうとは。人生何が起こるかわからないな。

 トオルはそんなことを考えながら、カゲンの後ろに付いていく。

 三部屋の内の一部屋。その扉の前に二人は並び立った。

「あ? トオル、何してんだ、おまえ」

「え? いや、何って三部屋だけだし、俺はカゲンと一緒の部屋なのかなって」

「何言ってんだ? 俺はカズラと一緒の部屋だぞ。おまえはあっち」

「あっち?」

 カゲンが指差したのは、すぐ隣の一室だった。

 一人で使っていい、ということなのだろうか。

 視線を巡らせてみれば、すぐ後ろにはカズラがいた。どうやら彼がカゲンと相部屋のようだ。

 チヅルとハマルはカスルを支えながら一番奥の部屋へと入っていく。あそこが女子部屋ということなのだろう。

 あっという間に決まってしまった部屋割に戸惑いつつ、トオルはカゲンに言われた通り一つ隣の部屋へと入った。

 部屋の中は至ってシンプルだった。

 板張りの室内に簡素なベッドと小さなテーブルが置かれているだけでの空間。

 豪奢できらびやかな装飾が施された部屋にもあこがれているけれど、これはこれでいい。

 トオルは室内を見回し、窓の外へと視線をやる。

 日はもうすっかり暮れていた。人間疲れ過ぎると空腹を忘れるもので、例に漏れずトオルも不思議と空腹を感じなかった。

 そんなことより、眠りたいと思う。

 窓の下の甲冑姿の人影を一瞥して、トオルはふらふらとベッドへと向かう。

 ボフンッと倒れ込み、手足を伸ばした。

「……部屋に入った時にはわからなかったけれど、なかなか広いベッドだなぁ」

 これはダブルベッドではないだろうか、とトオルはぼんやりと考えた。

 生前は六畳一間に布団を敷いて眠っていたから、あまりベッドに関心を持つことはなかったのだけれど、ベッドで横になる感覚は新鮮だった。

 日本で売られていたマットレスの方がおそらくいいものなのだろうけれど、それを差し引いたとしてもなかなか気持ちのいい代物だ。

 寝具に付いては今まであまり考えて来なかった。

 いきなり田舎に移住は無理でも、ベッドくらいなら買ってもよかったのではないだろうか。

 しても仕方のない後悔が胸中でどんよりと広がる。トオルはゆっくりと首を振り、目を閉じた。

 考えても今さらどうしようもないことだ。一度死に、転生した身なのだから。

 過去のことより未来のことを考えよう。差し当たってはトマの種を入手すること。

 そんなふうに思考をめぐらせていたが、次第に頭の中が霧がかったようにぼんやりとしてくる。

 同時に体の奥底からけだるさが感じられ、トオルの全身へと広がっていく。

 動きたくない、という気分に支配される。まどろみの中に意識が溶けていく。

 そうして現実と虚構の境目が曖昧になってきたころに、こんこん、と扉をノックする音が聞こえてきた。

 誰だろう、とトオルは思ったが、返事をする気力すらなかった。鍵はかけただろうか? そもそも鍵をかけることは出来ただろうか。

 閉じていたまぶたをうっすらと開ける。ぼんやりとした視界に人影があった。

 丸い人懐っこい瞳に褐色肌。優しく微笑みをたたえ、その人物はトオルを覗き込んでいた。

「……カトウさん」

 記憶の奥底からそんな言葉が漏れる。その言葉は、トオルにとってほとんど意味を持たないものだった。

 もうはるか昔のことのように思える。まだ学生だったトオルが当時想いを寄せていた女性。

 もう長いこと連絡を取っていなかった。高校生の三年間だけクラスメイトとしてそれなりに親しかった。

 ただそれだけの関係性しかなかったし、今の今まで忘れていた。

「あの……すみません、トオルさん……わたしです」

「んっ……? ええ……ハッ」

 ぼんやりとしていた視界が急に鮮明になる。ほぼ同時にベッドから跳ね起きた。

 ベッドの脇でトオルを覗き込んでいたのはチヅルだった。

「な、なななぜここに?」

「なぜって……今夜はわたしもこの部屋で眠るからです」

「眠るって……ええと、あの……本当に?」

「はい。……本当です」

 チヅルは恥ずかしそうに顔を赤くして目を伏せた。

「ま、まあいいじゃないですか、なんでも」

 ダダダダッと足早にベッドまでやって来て寝転ぶチヅル。トオルが先に寝転がっていたため、当然手狭になってしまう。

 何が起きているんだ? とトオルの頭はパニックを起こしかけていた。

 今夜、この部屋を使うのはトオル一人のはずだ。

 別に誰かと相部屋が嫌なわけではないが、それにしたって同性と使うのだと思っていたのだ。

 それが異性の……それもチヅルのような若い女性と同室になるとは。完全に予想外だ。

 チヅルの可愛らしい顔がすぐ近くにあった。

「……ええと、どうしてこんなことを?」

「どうして、と言われましても……みんなに言われちゃったので」

「言われたって……」

 誰かに言われたからといって、こんなことはしないだろう。

 まだ年若い未婚の女性が自分のようなおじさんと一緒のベッドに入ることをよしとするはずがない。

 トオルは半ば決め付けるようにそう思い、視線をチヅルから外す。

 天井を見上げる。すると、なんとなく人の顔に見えなくもないシミがあったことに気が付いた。

 そのシミを見上げている。そうしていると少しだけ冷静になれたような気がした。

「ええと、それじゃあ俺は別の部屋に行きますね」

 さすがに若い女性と同じベッドで眠るわけにはいかない。

 トオルは体を起こし、極力チヅルに触れないよう気を付けながらベッドを降りようとした。

 けれど、そんなトオルに手を優しくチヅルが掴む。

「ど、どこへ行くんですか?」

「へ? ……ええと、カゲンたちのところへ……」

「わ、わたしが一緒じゃだめなんですか?」

「ああいや……だめというわけでは……」

 トオルが返答に困っていると、チヅルはポンポンとベッドを叩いた。

 もう一度横になれ、ということなのだろう。

 迷った末、トオルはベッドの端に腰を下ろした。もちろん寝転がったりはしない。

「あの……ところでなぜこんなことを?」

「カスルおばあちゃんに言われたんです。その……トオルさんと一緒に寝なさいって」

「……はあ?」

 全くわけがわからなかった。どうしてカスルがそんなことを言ったのか。

 トオルは困惑してしまい、頭の中がパニックになる。この状況を持て余していた。

「もうお疲れでしょう? とりあえず今日はもう寝ませんか?」

 チヅルはトオルの手を取り、軽く引っ張った。けれど、トオルはぐっと全身に力を込めてそれに耐える。

「だ、大丈夫ですよ、俺はまだまだ元気です」

「そうですか……でもだめです」

 チヅルは思い切り力を込めてトオルをベッドへと倒した。ここ最近は体力も付いてきたとはいえ、やはり若いチヅルの力には抗えずベッドへと引き倒される。

「あの、な、何を……?」

「えと、わたし……トオルさんにまだお礼って言ってなかったなって思って」

「お礼って……いいですよ、そんなの」

 確かにあの時は必死でチヅルの治療をした。しかしそれは、決してこんな展開を望んでのことではない。

 第一、あの日あの時のトオルにこんな未来を夢想する余裕なんてなかった。

 ただただ、なんとかしなければならないというそれだけの気持ちで行動しただけだ。

 結果的にうまくいっただけで、もしかしたら適切な治療とは言い難かったのかもしれない。

 チヅルを危険にさらしてしまっただけだったということも十分にありえる。

「あの時は、必死だったんです、俺も。あの場で助けられるのは俺だけだって強く思ったから」

 だから行動に移した。過程が正しく、適切なものだったという自信は今もない。

 実感なんてこれから先湧くことはないのかもしれない。

 チヅルは天井を見上げ、トオルの真摯な言葉を聞いていた。

 いつしか、天井のシミがどこにあったのかトオルにはわからなくなってしまっていた。

 そんなことは気にならないくらい、トオルは自分の内面に深く入り込んでいたようだった。

 あの日のあの瞬間をきっと、これから先も誇りに思うことは決してないのだろう、という予感とともに。

「……トオルさんが何を考えて、どう思っているのかはわたしにはわかりません。けれど、どんな事情があるにせよ、これだけは覚えていて欲しいんです」

 そう前置きして、チヅルはすぅーっと息を吸う。何かに緊張しているかのようだった。

「わたしは、トオルさんに助けてもらって本当によかったと思っています」

 村の生活は大変だっただろう。今でも大変だ。何せその日を生きるのに精一杯なのだから。 

 今だってこんなふうにしてトマの種を探して旅をしなくてはならない。それは非常に大変なことだ。

 そんなあれこれを踏まえてもなおチヅルはこう言ってくれるのだから。

「トオルさんはどうですか? 今の生活は大変ですか?」

「俺は……ええ、まあ大変ですね」

 前世での暮らしを思い出しながら、トオルは答えた。

「以前暮らしていた場所はとても暗い場所でした。出口が見えなくて、未来に希望が持てないような、そんな生活です」

 当時を思い出すと、とても人間らしい生活とは言えなかった。

 職場と自宅を往復するだけの日々。生産性を求められ、疲弊する毎日。

 そんな生活にほとほと嫌気が差していたというのはある。自分を大切にするということができず、すり減るだけの空虚な生活が延々と続いていた。

 そんなトオルの心の支えだったのが、農業に対する漠然としたあこがれだった。

 いつかは田舎に引っ越して自給自足の生活を、などと考えていたのは今は昔のことだ。

 現在は自給自足どころではない。自分以外のたくさんの人間の生活がのしかかっている。

 けれど、不思議とその重圧は心地よかった。

 会社員時代の何のために存在するのかも定かではない仕事を押し付けられるより、よほど有意義だとさえ思う。

 自分が持つ知識を生かして誰かの役に立つ。その感覚がトオルにとっては心地いいものだった。

「大変だけれど、俺は今の生活が大好きです。できるなら、村のみんなに俺を受け入れて欲しい」

 あの村で暮らすのはいい人ばかりだ。しかし全員がトオルのことを受け入れているわけではないように思われた。

 あるいは、それはトオルの思い込みなのかもしれない。

 いずれにせよ、トオルはもっと認められたかった。誰からも認められなかったみじめな人生の中で、一度は誰かに認められたかったのだ。

 その機会が舞い降りた。この度で無事トマの種を持ち帰り、しっかりと育てることができれば村の人々はトオルを余所者としてではなく、仲間として認めてくれるのではないかと密に思っている。

 無論、ただトオルがそう願っているだけという話だ。用が済んだら追い出される可能性だって十分にあった。

 仮にトマの実の収穫までこぎつけたとしても、その先のことを考えると余所者は外へ追い出すのが一番いい。

 あの村人たちがそんなことをするはずがないとわかってはいる。けれど、どうしても頭の片隅にそうした後ろ向きな考えが過ぎってしまうのだ。

 そうしたトオルの内心を察してか、チヅルはスッと彼の首許へと手を伸ばす。

「えっ……あの、チヅルさん……?」

 するりと首許に巻き付く手。ゆるく抱き着くように、ほほに触れてくる。

 トオルは思わず身を固くした。なぜこんなことをするのか、全くわからなかったからだ。

「大丈夫ですよ。トオルさんのことを嫌いな者は村にはいませんから」

「はい……それはわかっています……あの、ええと」

 どうしたものだろうか。

 力付くで引き剥がすことは容易い。いくらなんでも、腕力で勝てないということはないだろう。

 けれど、トオルとしてはそれは避けたかった。

 あの村の人々がトオルに対して悪感情を持っていないことは明白だった。

 けれど、トオルはただ村人の善意に甘えることはできなかった。

「俺は……まだ何も成し遂げていません。まだ、何も」

「はい。……けれど、しかしトオルさんはわたしたちのために一生懸命に力を尽くされています。それが、みんな嬉しんだと思います。――もちろん、わたしもです」

 チヅルはにこっと微笑み、トオルへと目を向ける。トオルもまた、チヅルへと視線を向けた。

 二人の視線が交差する。

「今日はもう眠ってしまいましょう。疲れたでしょう?」

「はい……なんだかひどく疲れました。慣れないことをしたせいだと思います」

「トオルさんは不思議な人ですね。色んなことを知っているのに、時折りわたしたちと同じように振る舞う」

「俺は……そんな大それた人間じゃ……」

 ぼんやりと意識が遠のいていく。

 トオルはチヅルの両腕に抱かれたまま、まぶたを閉じる。

 彼女の体温を感じながら、夢の世界へと堕ちていくのだった。



                                       つづく。

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