第3話 昼の顔(前半)

 熱気でむせ返る帝都。照り返し。陽炎歪むアスファルト。

 ここ、帝都醇風大学の昼下がりもまた、けたたましい蝉時雨から逃れんと、学生たちは逃げ惑う。


 誰が言ったのだか、「今年は、大和が沸騰しているようだ」と。


 皆、うんざりした顔で木陰から木陰へ。あるいは、冷房の効いた図書館や講義棟へと吸い込まれていく。特に、自室に冷房がない者は、死活問題だった。


 そんな中、中庭の噴水周りだけは、わずかな涼を求める学生たちで賑わうオアシスだ。放たれるミストが、ほんのりと適度に濡らしてくれる。

 風向きさえ、極端にならなければ、という注釈が付くが。


「あはは、マジかよ! それって完全にアレじゃん、単位落とすやつじゃん! なんだ、お前バッカでぇ~、ウケるー!」


 その一角で、ひときわ明るい笑い声が響く。

 友人の失敗談に、腹を抱えて笑い転げる。屈託のなさは、まさに子犬のそれ。見る者の頬を、知らず知らずのうちに緩ませる。


 輪の中心にいるのは、薬子 千弥くすね ちひろ。友人たちに囲まれ、屈託のない笑顔を振りまいていた。


「てかさ~。結界術のレポート、範囲広すぎない? ちょっと意味わかんねえんだけどさ。え、もう終わったの!? マジで!? 見せて見せて」


 太陽を浴びて、透けるように輝く淡い栗色の髪。くるくると変わる表情に合わせて、好奇心いっぱいの大きな瞳がきょろきょろと動けば――。

 ふと、一点に吸い寄せられるように止まった。


 ケヤキ並木の向こうから、ゆっくりと歩いてくる長身の影。

 千弥の顔がぱあっと輝く。見つけたのは、幼馴染の卜部 壱武。


「あれ、壱武じゃーん! おっはよー!」


 千弥は、さっきまでしていた馬鹿話もそっちのけで、ぶんぶんと大きく手を振る。

 隣で友人たちが、「おーい、話の途中!」「相変わらず卜部のことになると周り見えねーな、お前は」と苦笑しているのも、もう耳には届いていない。


 が、その熱烈なコールを受けた卜部 壱武は、苦虫を十匹ほど噛み潰したような顔で近づいてくる。


「うっわ、いっけないんだー。壱武さ、午前の講義、ブッチしたでしょ? ダメじゃん、そーいうのちゃんとしなきゃー! 山田教授、意外と出席見てっからなー、後で泣きついても知らねーぞー?」


 「人の気も知らないで」と、壱武は心中で毒づく。

 一体誰のせいで、精気を抜き取られ、二日酔いにも似た強烈な倦怠感と共に目覚める羽目になったのか。

 まともに歩くことすら億劫なこの状態で、講義などに出られるはずもない。

 ずくり。疼く首筋を、壱武は手のひらで抑えた。昨夜つけられた、屈辱的な歯形が、燻る熱がまだ消えない。

 

「――チッ、この脳内お花畑が」

「え? 何か言った? っていうか壱武、なんか顔色悪くない? 大丈夫? 大丈夫? 夏バテ? 夜更かしでもしたの?」


 心配そうに首を傾げる千弥の、曇りなき瞳。悪意の欠片ない言の葉が……むしろ、ささくれ立った神経を逆撫でする。

 何も答えず、威嚇交じりに、千弥の隣にドカッと大股で腰を下ろし。


 そして、やり場なき鬱憤をぶつけるように、柔らかそうな頬を力いっぱい、両側から、むにゅーっと引っ張る。

 指先からは、予想通りのマシュマロのような感触。


「うぎゃーっ! いひゃい! いひゃいよ、かずひゃーっ! なにふんだよ、いひなりー!」

「お前は! 能天気にヘラヘラ笑いやがって……こっちがどれだけ迷惑してるか、少しは想像しろっつってんだ!」

「な、なにおう!? おえが、おえがなにしたっていおのさー! ……うう、ひどい濡れ衣だー!」


 千弥が涙目で抗議の声を上げるが、壱武は一切緩める気配がない。

 ひたすら何かを確認するように、千弥の顔をムニュムニュ痛めつける。


 そんな光景を、友人たちはもはや日常茶飯事と眺めていた。


「あーあ、また始まったよ、卜部の千弥いじり。今日の千弥は何をやらかしたんだか」

「いや、今回はさすがに……卜部が一方的に絡んでるだけじゃね。てか、とりま第一声が、千弥なの毎度笑うわ」

「わかるー、ホント仲いいよな。お前ら、見てて飽きないわ」


 散々な言われようだが、当の千弥は、ようやく解放された頬をさすりながらも、けろりとしていた。

 むしろ、どこか嬉しそうにすら見える。


「えー! そお? 仲良しに見える? やった! なんかさー、壱武って機嫌悪いとおれのこと、いじめてくんだよな、めっちゃムカつく。でも、これもある意味、人助けだよね」

「人助けだと? どの口がそんな寝言をほざきやがる」

「まーまー。おれに甘えたいんでしょ。わかってるってー」


 壱武の眉間の皺が、さらに深くなった。この底抜けのポジティブさは、時に尊敬すら覚えるが、今はいちいちカンに障った。

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