転生したら口が臭すぎて魔王軍にスカウトされた件

永守

プロローグ:現世から異世界へ

 放課後の教室は、あまりにも静かだった。


 誰もいないはずなのに、背中に感じる視線。

 誰かがまだ席にいるのではないかと振り返っても、当然、誰もいない。

 いや──誰もいないようにされているだけだった。


 教室の隅、窓際の最後列。

 そこが如月ハルトの居場所だった。

 否、居場所ではない。

 生きていることが苦痛でしかない彼にとって、教室に居場所はない。

 ただ、機械のように座っていただけだった。


 いじめられていた、というより、ただ避けられていた。


「俺、臭いのかな?」


 それがハルトが一番最初に思ったことだった。

 小学校の頃から、近づくと鼻を押さえられることが増えた。

 口臭か? 体臭か? それとも、なにか病気なのか?

 誰も答えてはくれない。医者にも相談したが、特に異常はなかった。


 けれど、誰も近づかなかった。

 教師でさえ、話しかける時は数メートル距離を取った。

 それがもう、日常だった。


「死ねば、全部終わるんだろうな」


 よく考えていた。でも、それはいつも仮定の話だった。

 死ぬ勇気なんてない。

 だから、ただ生きるしかなかった。


 そして──その日、ようやく仮定は現実になった。


________________________________________


 雨の降る歩道。

 視界は灰色。イヤホンからは静かなピアノの曲が流れていた。


「……あれ?」


 交差点の信号が点滅している。急がなきゃ。

 そう思って一歩踏み出したとき、

 視界の端に、異様な速さで滑るトラックが見えた。


 ブレーキ音は聞こえなかった。

 人の叫び声も、音楽にかき消された。


 世界が、ぐにゃりと歪んだ。

 風景がぐるぐると回る。

 痛みはなかった。ただ、身体が空中に浮かんだ感覚。

 雨が顔に当たった。その瞬間だけ、なんだか生きてる気がした。


 ──あ、死んだんだ、俺。


 意識が遠のく瞬間、ふとそんな考えが頭をよぎった。


________________________________________


 気づいたとき、ハルトは真っ白な空間に立っていた。

 空も、地面も、空気さえ白く、どこか寒い。

 だが、不思議と恐怖はなかった。


「ようこそ、如月ハルトくん」


 聞き慣れない声が、頭の中に直接響く。

 男でも女でもない、中性的な声だった。


「……誰?」


「案内人とでも思ってくれればいい。君は死んだ。そして今、新たな選択肢を得ている」


 その声は淡々としていたが、どこか優しさもあった。

 ハルトは自分の身体を見下ろす。制服姿のまま。血も傷もなかった。


「君は、生まれた時から、孤独だった。

 だけど、それは君のせいではない。

 この世界が、君を受け入れる準備ができていなかっただけだ」


「……それで?」


「だから、やり直さないか?

 君に、もう一度『世界』を与える。

 前回の人生で誰も見つけてくれなかった君の“特異性”を、今度こそ生かす世界へ」


 ハルトは笑った。自嘲気味に。


「特異性? 俺の何が?」


「君には、“絶対に消えない口臭”があった。

 それは、この世界では『欠陥』だった。だが……」


 声が少し低くなる。


「別の世界では、それは『最強の毒』にもなる」


「…………」


「君が忌み嫌ったその匂いは、別の世界では戦いの力となる。

 君が嫌われた理由が、今度は君の武器になるんだよ」


 それは、救いのような響きだった。

 だが同時に、妙な寒気も感じた。


「それって、本当に幸せなのか?」と、もう一人の自分が囁く。


「選ぶのは君だ。如月ハルト。

 このまま魂を終わらせるか、別の世界でやり直すか──」


 ハルトは考えなかった。

 ただ、あの孤独の教室だけは、もう二度と戻りたくなかった。


「わかった。……転生、するよ」


________________________________________


 次の瞬間、意識が遠のく。


 そして、全てが黒に染まった。

 その黒の中で、彼はまだ知らなかった。

 自分が再び拒絶される未来を──

 今度は、より強く、より深く。


 風が吹いた。

 微かに、誰かが顔をしかめるような匂いがした。

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