感謝男の怪異行脚

りつりん

トイレの可哀そうな花子さんからのスタートです

第1話 トイレの花子さんこんにちは感謝していますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございます

 私は今、猛烈に恐怖している。

 私の目の前にあるドア。

 その先に存在する未知の何かに私はただ、恐怖している。

「ドア開けてください! いるのはわかっているんですよ? お願いします! 顔見せてくれるだけでも……いや、隙間から指先見せてくれるだけでいいのでお願いします!」

 ドアの向こうにいるであろう男は声をこちらに向けつつ、どんどんとドアを強く叩く。

 その一叩きごとに私の体は小さく跳ねる。

 怖い。

 このドアを開けてしまったら、私はどうなってしまうのだろう。

 考えただけで体の震えが止まらなくなる。

「ほら、花子さん、ここ開けて! あなたもノックされたら開けるのが流儀でしょう?」

 そう、私はトイレの花子さん。

 小学校のトイレに生息する怪異だ。

 本来なら三回のノックの後に「花子さんいらっしゃいますか?」と問われ、そこから私が相手を恐怖のどん底に陥れる演出をかましてやるのだ。

 けれど、最近はめっきりその回数も減り、というかほぼ皆無となり、私はただ普通に使われるトイレの上をふよふよと漂う存在となり果てていた。

 時代の流れって辛い。

 トイレ、清潔過ぎてそもそも怖さもない。

 すっごい少量の水で流れるじゃん?

 もっと、和式みたいに怖さ感じるくらいの水流して音出そ?

 私の居場所なのに、私の存在が希薄になるトイレの中で、絶望を抱え込み始めた私。

 そんな折、聞こえたノックと私を呼ぶ声。

 正直、興奮した。

 久しぶりに私の本懐を果たせると。

 すぐに返事を返しドアを開けようとしたけど、どうにも様子が異なることに気づいた。

「さあ、早く開けてください! 開けてくださいよ! 俺はもうしんぼうたまらんのです! あなたに会いたくて会いたくて会いたくて、そして何より感謝を伝えに伝えたくてここまで来たのです! 日本全国、あなたのいそうなトイレを探しては立ち寄り、探しては立ち寄り、ようやく見つけたんです。ここにいんたんですね! ありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございます!」

 思わず私は取っ手から手を離した。

 そのまま、あちらかも開けられないように鍵をかけた。


 ―――え、ナニコレ怖い


 それは、怪異である私が感じた初めての恐怖だった。

 そこから男はこちらに声をかけつつ、ノックを繰り返してる。 

 もうかれこれ丸一日ノックを続けている。

 手、どうなってるの?

 筋肉生きてる?

 皮膚、まだ存在している?

 骨、だいじょぶそ?

 こちらがそんな心配をしてしまうくらいに男はひたすらにノックを続けている。

 本来なら、子どもたちが休み時間などにここを訪れるのだけれど、あいにく今は夏休み。

 男はそれも見越していたのか、夜中にふと「ふふ、こんな夜まで粘れるなんて、この時期を選んでよかった」と呟いていた。

 これ、結構前から私の居場所、捕捉されてたやつやん。

 計画性が怖い。

 やめて、涙出ちゃう。

「うう、数分もすればいなくなると思ってたのに」

「ああ、もう! 開けてくださいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 とうとう我慢の限界に達したのか、ガタガタと揺らされる取っ手。

「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 鍵かけててよかった!

 でも怖い怖い怖い怖い怖い!

 開かないでよ開かないでよぉ!

 耐えてよドア!

 逃げ場のない恐怖が私の中をはいずり回る。

 ああ、もうなんで返事しちゃったかな。

 返事しなければ私の存在が認識されることはなかったのに。

 そう、私は返事をした瞬間に相手との間にある種の縛りが発生する。

 それは怪異としての存在意義にも繋がる。

 それがまさか仇となろうなんて。

「ん? でも、ということは、相手がこちらを見た瞬間に認識を切ることができるのでは?」

 まさに逆転の発想。

 これまで私は相手を恐怖に陥れるために繋がることが当たり前だと思っていた。

 こちらの存在を認識させることが重要だと考えてきた。

 けれど、それは逆に捉えれば、相手がこちらを認識さえすれば、こちらとの繋がりが切れるということ。

 恐怖するか否かはあちらの問題。

 私の仕事はそこで終わりなのだ。

「よし! これでいこう」

 恐怖からの開放は恐怖そのものとの邂逅が必須みたいだ。

 私は鍵を開け、少しだけドアを外へと押し出した。

「ありがとうございますありがとうございますありがとうございます!」

 男はドアの微かに開いた隙間から手をねじ込み、フルオープンにしてきた。

 そして、出会う私たち。

「ふぐぅ!」

 怖い。

 私は薄めで男を見る。

 顔は思ったよりもイケメン寄りで、体の線も細いながらもしっかりとした筋肉が見て取れる。

 パッと見は怖さなんてない。

 だけど、私の中にはノックの音と声がこびりついている。

 笑顔が怖い。

 やめて、そのうっすらとした笑みが怖いの。

 けど、これで終わり。

 私とこいつとの縁は切れる。

「甘い。甘いですよ。花子さん」

 しかし、予想とは異なり、男はこちらをしっかりと見つめたまま声を発する。

 男の顔がにちょりと歪む。

「これまでいくつもの怪異に逃げられてきた俺が、簡単に逃げられるようなヘマをすると思いますか?」

 え?

 被害者すでに多数なの?

 私の背筋に何かが滲む。

「でも、安心してください。俺は危害を加えるつもりはありません」

「……」

「俺はただ、あなたに俺の感謝の気持ちを見てほしいだけですので」

「感謝の……気持ち?」

 男の口から発せられるよくわからないベクトルの話に、私はただただ首を傾げる。

「そう、感謝の気持ちのオ●ニーを」

 男はこちらの肩を掴み、激しく頷いてくる。

 は? 

 オ●ニー?

 自●ってこと? 

 は、何で?

「嫌です」

 頭上に飛ぶ疑問符を拒絶に変えて男にぶつける。

「じゃあ、始めますね!」

「待って、せめて理由を、理由を聞かせて!」

 意味が分からない!

 意味が分からないけど、逃げられそうにない!

 私の肩から男の手は離れたのに、なぜか私は金縛りにあったように動けない。

 ていうか、なんでこいつ私のこと掴めたの?

 様々な疑問が浮かんでは消える私を他所に、男は話を続ける。

「ふふ、仕方ありませんね。オ●ニーだけれど前●が必要というわけですか。またそれも一興。それでは聞いてください」

 男は意気揚々と語り始める。

 耳塞げないかな。

 そんなことができるわけもなく、私の耳からしょうもない情報が流れ込んできた。


 これが、私と感謝男・相崎恭介あいざききょうすけとの出会いだった。

 ここから私は数奇でもなんでもない、シンプルに嫌な運命のヘドロ的なそれに飲み込まれていくことになるのであった。

 次回、「男が怪異でヌく理由」

 絶対に見たくない!

 続かないで!

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