第36話 助けに

 ぎゃあー、と侍女が走り去った。


 部屋や廊下の柱や床はめちゃくちゃになっている。


 かろうじて立っている木の柱はいつ折れてもおかしくない。


 脳の情報処理が追いついていない灯は目線を泳がせる。


「え…何…」

『何してるの!?早く乗って!逃げるよ!』


 心に大翔の声が「届く」──。


 その発信元は間違いなく目の前にいる黒い龍だった。


 鼻先が鋭く尖った三角形の顔にはギロッ、とした大きな目と炎でも吐きそうな大きな口、先の尖った耳が付いている。

 そして大きな身体に長い尻尾。頭から尻尾まで目測で十五メートルはあるだろうか。大翔が前「トカゲに似ている」と自分で言っていたが、まさによく知っているトカゲを大きくしたフォルムをしている。鱗もツヤツヤと月の光で反射している。

 ただトカゲと一線を画しているには間違いなく胴体に付いている大きな翼だった。広げればこれまた体長と同じくらいになりそうだった。


「本当に大翔様!?」

『そうだよ!はやく乗って!』


 こちらからの言葉も通じるようだ。


「…き、貴様が唐水の…!」


 又吉は膝立ちになり、足元に落とした札を拾う。


「だ、旦那様!ご無事ですか!」

「私のことはいい!そこにいる龍に魔術封じの札を貼れっ!」

「しかしっ!この龍に効くのですかっ!?」

「いいから従え!」


 ──まずい。


 又吉と守衛の話し声を聞いて動悸が早くなる。


 大翔の龍になる力は「魔術」なのかわからないが、もしそうなら──。


 逃げて、と叫んだ声は別の声で上塗りされた。



「────時よっ、止まれっ!」


 可愛らしい声が響きわたり、又吉と守衛が動きを止めた。


 この声は。


「──沙弥…」


 声の発した方に目を向けるとそこにはピンクの小袖を纏った義妹さやが立っていた。


「行ってください!お義姉様っ!」


 両手の指は又吉と守衛を刺し続けている。


 沙弥の超能力は「指定した物や人を止める」こと。


 一緒に住んでいた時はこれに何度も助けられたっけ。

 …ってこんな流暢にしていられないっ。


 ヘタっと座っていた灯は立ち上がり沙弥に吠える。


「沙弥!あなたっこんな事して後で何を言われるか──」

「そんなことはいいですから!早く行ってください」


 そんなに長く持ちませんので、と叫んだ沙弥の額には大きな粒の汗が見えた。


「でもっ!」

「いいんです!私の事は気になされずに!それに…ようやく本当にお義姉様の役に立てて嬉しいのですっ」


 辛い顔をしている沙弥の口角が上がる。


「役にって…あなたはいつも私の味方を─」

「それは二人きりの時だけです!…お義父様の前ではお義姉様の事を一回もかばうことができませんでした!お義姉様がお義父様に酷いことを言われている時はいつもいつも後ろに隠れてビクビクしているだけで…」


 龍になっている大翔は黙って私達姉妹の話を聞いている。

 時折、鼻から息がふー、と出る。


「…それどころか私がやってしまったミスをお義姉様は自分のせいだといって…その度に『だから不良品なんだ』と言われ続けて…」

「そんなの大したことじゃ…」


 汗が顎の方まで垂れてきた沙弥はにかっ、と笑う。


「謙遜を…誰にでもできる事じゃないですよっ」


 貴族の令嬢では尚更無理でしょう、と付け加える。


「だから…黒龍の旦那様!」


 名前が分からず無礼を、と頭をペコリと龍に向かって下げた。


「お義姉様を宜しくお願いします。もうお義姉様みたいな良い人が蔑まれる姿は見たくありませんので…」

「沙弥…」


 ひろとは目礼し、ぐぉーん、と唸った。


 今の大翔の声は誰にでも聞こえるわけではないみたいだ。


「さあっ早く行って行ってください!」


 叫ぶ沙弥に灯は駆け出した。

 木の切れ端などが足裏に刺さるが構いやしない。


「それで…どこに掴まればいいのですか?」

 

 大翔に近づいた灯は問う。


『首あたりに二本の小さな角があると思うんだけど…皆俺に乗る時はそこに掴まってるよ』


 大翔は灯が乗りやすいように頭をできるだけ伏せた。


 灯は頷き、訪問着姿のまま大翔の首付近に跨る。

 すべすべとしていて、それでいて温かい鱗だった。


 小さい角をしっかりと握り、灯は叫ぶ。


「沙弥!」


 小さくて可愛らしい義妹と目が合う。


「…ありがとう」


 今度はちゃんと言えた。


 沙弥は満面の笑みで返してくれた。


「さあ、旦那様!」

『いくよ!しっかりと掴まっててね!」

「…はいっ!」


 ぶわっ、と風が舞って身体がふわっとした。


「…っ!」


 一度だけ乗ったことがある「飛行機」の離陸と同じ感覚だった。


 バサバサと翼を羽ばたかせて上へ上へと飛んでいく。


 屋敷を見返した時には結構な高さまで飛んでおり、もうどれが沙弥かわからなくなっていた──。

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