11 互いを好きに
ズザナは恐怖のあまり、司祭から目を離せず、固まって動けなくなっていた。
「ズザナさん」
ロビンが声をかけて、やっと正気に戻る。ロビンも、白黒の座敷犬みたいな顔を震わせていた。
「やあ、元気にしているようだね」
司祭はあの虐待が嘘みたいな態度でニコニコと近づいてきた。ズザナはじり、と下がる。手が震えている。
「あの木こりと一緒に暮らしているんだって? 不自由はないかい?」
「ええ。あなたと暮らすよりずっと、ずっとずっと幸せですわ」
「そうかい。それは残念だ。暮らしが辛くなったらいつでも戻っておいで」
「お断りしますわ。あなたの企みはすでに知っているのですから」
司祭は、(どこから漏れた?)というような表情を一瞬浮かべたあと、「なんの話かな」と笑顔で誤魔化した。
「泥の……鋼の民はハーフリングのように、簡単な気持ちで操を捨てるものではないと聞いたよ。それでもあの木こりと暮らすかい?」
「いつかきっとお嫁さんにしてもらいますわ」
司祭の表情に暗い炎が灯った。
「そうかい。それじゃあまた」
司祭が新聞と、瓶入りの牛乳を持って去っていこうとしたところに、誰かがザッザッと走ってきた。誰かと思ったらガイウスだ。ズザナはへたり込んだ。ガイウスはズザナをかばうように立ち、司祭を一喝した。
「おい坊さん! お前はズザナにひどいことをした挙句、最終的には旅籠に飯盛女として売り飛ばすつもりだったと聞いた。それが坊さんの、嘘でも神に仕えるものがやることか?」
「黙れ泥の民! 私に喧嘩を売るとまともに冬を越せないことがわからないのか! その女を返せ!」
ざわざわ、と村人が集まってくる。
(ガイウスが司祭さまと喧嘩してるって)
(うわあ、ガイウスも司祭さまもカンカンに怒ってる)
(噂には聞いていたけど司祭さまは本当に……)
(そんなひどいことをするつもりだったなんて)
(信じられない)
ハーフリングとコボルトがみなざわざわと騒ぐなか、ガイウスは歩けなくなっているズザナをお姫様抱っこで抱え上げた。
「坊さん、あんたがズザナを旅籠に飯盛女として売り飛ばして一儲けしようという企みは、もう村じゅうに広がってるんだ。それがバレないようにズザナを小さい子供だと言っていたこともな」
「司祭さま、そうなんですか?」
茶色い顔のコボルトが司祭に尋ねる。人間の感情を匂いで感じ取れるコボルトだ、司祭が嘘だと言っても看破するだろう。
「う、う、うそだ! ガイウスは私に濡れ衣を着せて、その女を略奪しようとしているんだ!」
村人たちはしらけた顔をして司祭を見ている。
「ガイウス、おろして」
「お、おう」
ズザナは立つと、無造作にジャンパースカートの身ごろを片側だけ脱いで、ブラウスの裾をめくってみせた。背中には鞭の痕が、司祭による折檻、虐待の痕跡として残っていた。
「これが司祭さまのなさったことです」
「こ、これは……違うんだ! 信じてくれ!」
司祭は慌てた。村人たちはざわざわと話し、それを割ってダロンが現れた。
「司祭さま。ズザナさんはガイウスが責任を持って養うでしょう。どうか豚小屋の仕事を彼らにもさせてやってはくれませんか。もとより我々だけでは、豚肉はなにに加工しても余ってしまうのですし」
「そうですよ司祭さま。ズザナさんはガイウスが好きなんだ。ガイウスがこの村に迷惑をかけたことがありましたか?」
リッキマルクも現れて、司祭に真面目な口調でそう話す。
「許さん……許さんぞ。豚小屋には指一本触れさせない! 泥の民は飢えて死ねばいい!!」
本当にこれが司祭の言うことだろうか。ズザナはあまりにひどい言い草に、唖然としてしまった。司祭は急ぎ足で司祭館に戻っていった。
「あんまりじゃないか」
リッキマルクがぼそりとそう言った。
◇◇◇◇
「タイムリミットは次の休日。『肉の祝祭』の日だ」
ガイウスはカレンダーを睨んだ。
「肉の祝祭」
「そう。村人総出で豚を屠殺して、ソーセージや燻製やハムに加工するんだ。その日までにあの邪魔っけな板を外させて、俺とズザナを村の人間だと認めさせなきゃいけない」
「やるしかありませんわね」
「ズザナ、本当になんていうか、ど根性みたいなところがあるんだな」
ガイウスは困ったように笑った。
「ガイウス、なんで戻ってきたの? まだお昼までは時間があるでしょう」
「いや……一歩踏み込んだところで方位磁石を忘れたのを思い出したんだ、森に入るなら死活問題だからな。そしたらズザナと坊さんが睨み合ってた」
「そうでしたの」
「……ズザナは、ハーフリングみたいに……その」
「ガイウスは清潔なところがいいなと思いますわ。もちろんリッキマルクさんやカンナステラさんは早くそうなってしまえ、とおっしゃるけれど、それはハーフリングにとっての普通で、わたしたちにとっては普通でないのは承知していますわ」
「だよな」
「それを思うとわたしの実家も相当でしたわね。公爵の御曹司、いまの男爵に嫁ぐのであればよい子を授からねば、と春画をたくさん見せられましたもの」
「えっ!?」
ガイウスの顔が、いままで見たことがないほど真っ赤になった。憤りと驚きと嫉妬と羞恥をごった混ぜにした顔だ。
「だからちゃんと結婚いたしましょう。互いに同意できるのならば」
「そう、そうだな。その通りだ。もっと……互いを好きに、ならなくちゃな」
ガイウスはやっと冷静になった。
愛を注げ、とカンナステラやリッキマルクには言われている。冷静になったガイウスに、ズザナは笑顔を向ける。
「わたしはガイウスが、とてもとても……海より深く山より高く、大好きでしてよ?」
ガイウスはおもいきり目を見開いた。
「まるでお袋が言うみたいなこと言うんだな」
「あら、これは失礼を。興が削がれました?」
「なんの興も起こっていないよ。それにそれなら俺も同じだ。もし男爵さまがお金を積んできても、ズザナはぜったい渡さない」
「うふふ。ガイウス、優しい」
「それに百人隊長殿にはしこたまビンタされた。積年の恨みもこもってるぞ。俺は怖いぞ〜」
笑うガイウスを見て、ズザナはここが自分の安住の地であることを確信するとともに、司祭のことを考えていた。仮にも神に仕える人があんなことを村人の前で言い放ったら、食べていけなくなるのではないだろうか、と。
司祭がああなった原因と、それに対する方法を知らねばならない。(つづく)
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