第7話 宮廷の闇、嫉妬の眼差し




 アレクサンダー国王の回復は、宮廷に明るい光をもたらした。


 彼が執務室で短時間ながらも政務を執れるようになったという報は、国民にも喜びをもって迎えられ、街には活気が戻りつつあった。

 しかし、その喜びの裏で、リリアに向けられる視線は、日に日に複雑なものになっていた。


 国王の回復を誰よりも願っていたエドワードや侍医たちは、リリアへの信頼を深めていたが、全ての宮廷人がそうではなかった。

 特に、国王の病を利用して権勢を広げようとしていた者たちにとっては、リリアの存在は目障りなものだった。


「本当に、あの森の娘が国王陛下を癒やしたというのか?」

「信用なりませんわ。何か、胡散臭い薬でも使っているのでは?」

「陛下の回復は、元々体力があったからでしょう。あの娘の力など、取るに足らない」


 そんな囁きが、宮廷の廊下のあちこちから聞こえてくるようになった。

 リリアは、植物の「声」を聞くのと同じくらい敏感に、そうした人々の感情の「声」を感じ取っていた。


 好奇心、不信、そして、はっきりと敵意を向ける「声」も。


 ある日のこと、リリアが薬草園でハーブを摘んでいると、背後から冷たい声がかけられた。


「森の娘よ」


 振り返ると、そこに立っていたのは、第3章でリリアに冷たい視線を向けた、年配の貴婦人だった。

 彼女は高価なドレスを身につけ、その視線は氷のように冷たかった。


「お初にお目にかかります、リリアと申します」


 リリアはたどたどしく挨拶した。

 彼女が森で育ったため、貴族の礼儀作法には疎いことを知ってか知らずか、貴婦人は鼻で笑った。


「わたくしは、公爵夫人エレノアと申します。陛下がご病に伏せられていた間、この国の政務を滞りなく進めるべく、わたくしどもがどれほど尽力したか、あなたのような者が知る由もないでしょう」


 エレノア公爵夫人は、露骨にリリアを蔑むような口調で言った。

 彼女の夫である公爵は、国王の病状が悪化するにつれて、国内での発言力を増していたのだ。


「陛下の回復は、大変喜ばしいことです。しかし、わたくしは、あなたのやり方を信用しておりません。得体の知れない薬草や、奇妙な『声』などと申して……」


 公爵夫人の言葉は、明らかにリリアの能力への疑念と、それによって自分たちの影響力が低下することへの苛立ちを含んでいた。


「私はただ、植物の力を借りて、陛下のお手伝いをさせていただいているだけです」


 リリアは、静かに答えた。

 彼女の心には、恐怖よりも、純粋な悲しみが広がっていた。


 なぜ、自分の力が、こんなにも恐れられ、嫌われるのだろうか。


「この宮廷は、あなたのような者が足を踏み入れていい場所ではありません。身の程を弁えなさい」


 公爵夫人はそう言い放つと、侍女を引き連れて去っていった。

 残されたリリアは、その場に立ち尽くした。

 心臓がドクドクと音を立て、全身から力が抜けていくようだった。


 その夜、リリアはアレクサンダーの部屋を訪れた。

 彼は熱も下がり、食欲も出てきていた。


 しかし、リリアの顔に浮かんだ影に、彼はすぐに気づいた。


「どうした、元気がないな」


 アレクサンダーが尋ねた。

 リリアは、公爵夫人との一件を話すべきか迷った。

 彼に心配をかけたくなかった。


 しかし、同時に、誰かにこの不安を打ち明けたかった。


「……宮廷の方々が、私のことをよく思っていないようです」


 リリアは正直に話した。

 アレクサンダーの表情が、一瞬にして険しくなった。


「エレノア公爵夫人か?」


 リリアは頷いた。

 アレクサンダーは静かに、しかし明確な怒りを込めて言った。


「気にするな。彼女は元々、口うるさい女だ。私が病に伏せている間に、好き勝手していた連中が、君の存在を疎ましく思うのは当然だろう」


 彼の言葉は、リリアにとって意外なほど力強く、温かかった。

 彼は、彼女の味方なのだ。

 そのことが、リリアの心に温かい光を灯した。


「ですが、陛下にご迷惑を……」

「君は私を救ってくれた。迷惑などではない。もし何かあれば、私に言え。君は私の主治医なのだから、私が君を守る」


 アレクサンダーは、リリアの手を取り、強く握った。

 その掌からは、熱はないものの、確かな温かさが伝わってきた。

 彼の目には、リリアへの深い信頼と、そして、彼自身の強い意志が宿っていた。


 リリアの不安は、彼の言葉で少しだけ和らいだ。


 しかし、公爵夫人の言葉は、単なる嫌がらせだけでは終わらないだろう。

 宮廷の暗い影は、リリアの周りを、確実に広がり始めていた。



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