第4話 軍勢と乱数

 乱数らんすう


 それは、固定された数値に対する不確定という要素。


 僕はこの乱数の仕組みを、混沌の影響、神の気まぐれ、運命のいたずら——そう呼んでいる。

 ゲームにおいては、予測不能な変数の数々をサイコロという道具で再現するものだと思っている。


 バランスの取れたサイコロが手から離れ、転がり落ちる。その角度、空気抵抗、テーブルの凹凸おうとつ……それらの違いによって、目に見えぬほど複雑な結果が導かれる。

 あるいは、すべての変数を観測することができれば、出る目もまた運命として確定されているのかもしれない。


 けれど、そんな観測ができない僕たち凡人にとって、出目はやはり——神のみぞ知る、なのだ。


 だからこそ、今この瞬間、僕たちの目の前に現れた結果もきっと、天命と呼ぶしかないのだろう。


 乾いた唇を舐め、僕はサイコロをぎゅっと握りしめた。

 視線を盤面に落としたまま数秒が過ぎた頃、ひんやりとした声が向かいから届く。


「――私の番。進め、我が騎士たち」


 エルリスは紅い唇を結び、魔力を喚起する。

 すると、彼女の駒たちは微かに震えたのち、まるで魂を宿したかのように、ゆっくりと前へと進み始めた。


 これは、無属性魔法の一種、見えざる手である。

 何せ、この卓上盤はかなり大きい。子どもの僕たちにとって駒を一つひとつ動かすのは骨が折れる。だからこそ、魔法使いの卵としての技を駆使するのだ。


 とにかく、五体の騎士が、僕の王城に迫る。


 対する僕の軍勢はといえば、残されたのは一体の近衛のみ。小さな剣士は背後の王を守るように孤立し、もはや退路はなかった。


 圧倒的に不利な盤面を見て、僕は冷や汗をかいた。


「さすがはエルリス。前にチェスで何度も対戦したときは、僕の方が勝つことの方が多かったのに……まさか、ここまで追い詰められるなんてね」


「その、チェスモドキってやつは、まだよく分からないけど……でも、兵演なら、もうお父様から教わってるわ」


 エルリスは淡々と言った。


「アルム、あなたの作ったこれは、軍が戦略を話し合う時に使う道具に少し似てるの。だから、私はある程度の基礎はある」


「なるほど、そういうことか」


 さすがは天才少女と言うべきか。もう軍の兵棋演習に触れていたなんて。これじゃあ、慢心して焦って攻めた僕が押し込まれるのも無理はない。


「でもな、エルリス」


 僕はぎゅっと拳を握りしめ、掌の中のサイコロの温もりを感じた。


「ゲームに絶対なんてないってこと……今から見せてやるよ」


 勝利の鍵は、この手の中にある。


「はぁ。戦う前に、一応聞いておこうかしら」


 エルリスは青い瞳を細め、自信に満ちた鈴のような声で語りかけてくる。まるで、すでに勝利を確信しているかのように。


「降伏なさい、アルム。あなたに勝ち目はないわ。今なら、まだ体面を保ったまま終わらせられる」


「誰がっ!」


「そう……ならば、受けなさい。攻撃開始、我が騎士たち。まずは第一軍から」


 号令とともに、エルリスは六面体のサイコロをひとつ投げた。ころころと転がったサイコロが、やがて「2」の目で止まる。


 僕たちが決めた初期の簡易ルールでは、騎士は固定ダメージが2点、さらに追加でサイコロを振って変動ダメージを決める。


 次は僕の番だ。


 近衛の防御力は固定で1点、さらにサイコロを1個振る。そして僕たちのダメージ判定は簡潔で、攻撃力と防御力を比べ、防げなければその駒を失う、という仕組みだ。


 つまり、僕がエルリスの数値を上回らなければならない。合計で4点以上の防御力が必要になる。


 乾いた唇を舐めて、僕はサイコロを握り締め、振り下ろした。サイコロは卓上を転がり、やがて「5」の目で止まる。


「よし!」


 思わず、ガッツポーズを取った。でも僕のこの小さな勝利に対して、エルリスは特に表情を変えなかった。ただ静かに魔力で次の騎士を動かし、またサイコロを拾って投げる。


「第二軍」


「くっ」


 今度はエルリスが「1」、僕が「2」。攻防がちょうど同じ数値になり、事前に決めていたルールにより、防御成功。危なかった。


 僕たちは無言で、淡々とサイコロを交互に振り続けた。


 庭の一角には、サイコロが卓上を転がる音だけが響いていた。今にも刃を交えんとする緊張感が漂い、僕の心臓は高鳴っていた。


 そして、僕は最後の防御ダイスを振った。出目は「4」。対するエルリスの最後の騎士は、「1」。


「やった! 耐えきった!」


「うそ」


 エルリスが青い瞳を見開く。信じられないといった様子で、王城の前に立ち続ける近衛を見つめていた。


「僕のターン!攻撃フェイズ!ロール!見てろよ、エルリス――これが、僕の王国最後の近衛による、反撃の時だ!」


「っ」


 近衛の攻撃力は固定で「3」、騎士より少し高めに設定してある。そして追加でダイスを一つ。騎士の防御力は固定で「1」。単騎での戦いなら、近衛のほうが有利なはず。いくら囲まれているとはいえ――


「問題ない!敵を五連続で撃破するだけの、簡単な仕事だ!王の盾は、貴様らごときに突破されるほど柔ではない!」


 行け!近衛よ!その力を見せてやれ!


 まずは……目の前の敵、第一体だ!


 僕は全身の魔力をダイスに注ぎ込み、渾身の力で投げつけた。


 ダイスは卓上を跳ね、転がり、くるくると回って、やがて止まった。示された目は──


「1」。


 エルリスの防御ダイスと比べれば、どうあがいても足りない。


「はぁ」


 エルリスがため息をついた。


「さっきのは、やっぱりただの運だったのね」


「う、うぅ……」


「それじゃあ、今度は私の番。行きなさい、騎士たち。次の攻撃フェイズよ」


「く、くそぉぉぉ!やめろ!負けるな、近衛!」


 僕の近衛は次々と押し寄せる猛攻にさらされた。二度は防ぎきったものの、エルリスが六点の大ダメージを叩き出した三度目の攻撃で――ついに倒れた。


 最後の一駒が敗北を喫した瞬間、戦の結末は決した。


「……僕の負け」


「よろしい」


 エルリスの顔に、かすかにドヤっとした色が浮かんだ気がした。

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