第七章:存在しない図書カード
朝、目を覚ましたとき、私は反射的に机の上に目をやった。
——やっぱり、日記帳はなかった。
昨日、確かに書いた。手触りも、インクのかすかな匂いも、まだ指先と鼻の奥に残っている。
それなのに——今日は、最初から“なかったこと”にされている。
「……また、消されたの?」
自分の声が、部屋の空気に静かに溶けていく。
私は諦めるように制服に袖を通した。
《10月26日(金)》
スマートフォンの表示は変わらず昨日と同じだった。
いや——「先週も同じ日付だった」気がする。
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午前中の授業は、ほとんど耳に入らなかった。
ノートも取らず、ただ窓の外を見ていた。
校庭の向こうを歩く生徒たちは、今日も昨日と同じように見える。
そして——その中に、昨日も見たはずの“背中”があった。
「……あの子……」
私は思わず立ち上がりかけて、隣のリサが小声でささやいた。
「どうしたの、沙耶?」
「……なんでもない」
リサの目が、ほんの一瞬、感情のない
その目は、私が考える前から“何か”を知っていたかのようだった。
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昼休み。私はもう一度、図書室へ向かった。
昨日も来た。
いや、来たはずだった。
扉を開けると、空調の静かな音と紙の匂いが迎えてくる。
自然科学の棚。
裏返しになっていた本のあった場所は——もう、ふさがっていた。
びっしりと詰め込まれた背表紙。
昨日は確かに、そこだけ空白だった。
けれど今日は、まるで“埋め戻された記憶”のように、きっちりと他の本が並んでいた。
私は貸出カウンターへ向かった。
奥では、同じ女性
「すみません……昨日、ここである本を見つけたんですけど……」
「タイトルは覚えていらっしゃいますか?」
「『空白に書かれたもの』です。灰色の
司書は画面を確認してから、首をかしげた。
「そのような書籍は、記録にありませんね」
「でも……見たんです。確かに、手に取って……」
「それは……私物か、他の誰かが仮置きしたものかもしれません。よくあることなんです」
“よくある”——その言葉は、私の中で何かを凍らせた。
誰にとって“よくある”のか、それとも……“そう言うように教えられている”だけなのか。
確かにそこにあったものを、誰も覚えていない。
記録も存在しない。
「……ありがとうございました」
私は頭を下げて、図書室を出た。
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廊下を歩きながら、手のひらの内側がじっとりと汗ばんでいた。
寒さでも、暑さでもない。
それは“確信”に近い緊張だった。
誰かが、何かを“隠している”。
記憶だけではない。
記録そのものが、操作されている。
私はポケットに手を差し込み、紙片を握りしめた。
《この時間、二度目だよね?》
その言葉は、今や“警告”のように思える。
私がどれだけ記録しようと、どれだけ思い出そうとしても——
またすべてが“なかったこと”にされる。
それでも私は、
誰が、何のために、私をここに閉じ込めているのか。
その理由を知るまでは——。
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階段を上がる途中、私はふと足を止めた。
背後で、かすかに誰かの足音がした気がした。
振り返ると、そこには誰もいなかった。
だが、その“気配”は確かに残っていた。
「……見られてる」
そう呟いたとき、自分の声が妙にリアルに響いた。
耳の奥で、もう一つの声がささやいた気がした。
「気づいてしまったのね」
——誰?
私は、もう一度周囲を見渡した。
けれど、その姿は、どこにもなかった。
姿も、声も——確かに、どこにもなかった。
けれど私は知っている。
記録されなかっただけで、“確かにそこに存在した”ということを。
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