第四章 第三幕 酒呑同志

――――――いつの間にか1時間が経過していた。


  テーブルの上に並べられた、刺身の数々、自分ですりおろす山葵。そして、憲弘が頼んだ生一本の浦霞。浦霞は以前、誠也の家で宅飲みした際に、丸まる一本三人で飲み切ったことがあった。当時は俺もかなり吞んでいた記憶がある。というか、吐いた記憶も。


「旅先でお前の彼女見つかるかもしれんな。」


 確かにその可能性は否定できない。目の前に旅行先で出会った人と付き合っている奴がいるのだから。けれど、


「偶然見つかるのはいいけど、自分から探しに行こうなんてことは絶対にしないよ。」


「別にいいんじゃない?旅先で彼女を探すのも。それも一つのお前の在り方だと思うよ。それで人助けができれば、なおよし。ぐらいの感覚でさ。」


 それでは本末転倒じゃないか。人助けが本来の目的だし…そもそも彼女ができるほど、いい人にはなれていない。


「流浪人のことなんか好きな女の子いると思うか?大抵は、ちゃんと地に足着けた真っ当な男性が好きだろう?」


「そうとも限らないぞ?」


 そういいながら誠也は自分のことを指さす。


「いや。お前はすでに大手出版社で働いていて、安定した収入があるからそういうことがあってもおかしくはないんだけど、俺に関しては、安定のかけらもないだろ。」


「ついでに言うと、メンタルもな。」


 憲弘が余計なことを言う。


「本当のことだから余計に傷つくわ。」


「豆腐メンタルは相変わらずだな。」


 政一先生までそれを言ってしまうか。公認ということか。


「絹みたいに繊細ですから。慎重に扱って欲しいですね。」


 豆腐返し。しかし、憲弘が痛いところを突いてくる。


「お前は繊細というよりもヘタレって言った方がいいかもな。」


「憲弘だけには言われたくないんだよなぁ。」


 自分がヘタレなのはわかっているが、憲弘は高校時代マジのインキャだった。文化祭の時は陽キャ感を出そうと必死に頑張っているインキャ感があって、正直居た堪れなかった。

ーーが、今となってはベーシスト…。


「ま、ベースでたくさん魅了しているから俺はヘタレでもないけどな。」


 綺麗に飾り切りされたスズキを食べながら、語る。こいつは本当にベースで大物になるつもりなのだろうか。


「ベースに魅了されてるわけじゃないだろ。」


 おそらく、メインはギターになることが多いから、そのことを誠也は言いたかったのだろうが、


「あ、もしかして俺に魅了されるって感じ?」


 やはりこいつは…そう捉えているか。


「そのスタンスでバンドやってるの?」


 このままではかなり痛いキャラとして定着している可能性がある。


「バンドじゃ”弱ウェイ系”でやってるよ。」


 知らない分類が来た。


「あんまり出しゃばらない受け身系やね。」


 浦霞を喉に流し込み、澄んだような声で言う。


 なるほど。つまり俺の認識する普通の日本人というわけか。しかし、憲弘は周りの人間に影響を受けやすいのはあまり変わっていないようだ。俺らと接するときに、受け身にならないのもそういう所の表れだろう。


「俺のキャラなんてバンドじゃ浮まくりだから流石に封印だろ。」


「浮きまくりで、もはや死海の上じゃん。」


「めっちゃ浮いてるやんけ。」


「そこは否定しろよ。」


 やっぱりこの流れが好きなんだよな。この話のテンポ感が明日からなくなると思うと、淋しさが込み上げてくる。


 旅で得られるものと引き換えに、何かを失わなければならない。

ーーしかも、旅で必ずしも何かが得られるとも限らない。

ーーそれどころか、旅で何かを失うことになるかもしれない。


「旅の途中で連絡とってもいい?」


 女々しい内容の問いかけに誠也は、


「自分で甘え作ってどうすんだよ。なんならスマホ売っちゃえ!」


 厳しい言葉。だが、それがきっと誠也の俺に対する最大限の優しさなんだと感じた。


「今どき公衆電話も撤去されまくってるから、マジで連絡取るのは2年後とかになりそうだな。」


 数年前までは緊急時の連絡手段として残されていた公衆電話も、今となっては管理費の問題で全廃された。


「お前らよりも仲良い友達できるかもな。」


 ワサビをすりおろしながら、少し嫌味っぽく言ってみる。


「それはそれでお前にとってはいいことじゃないか?」


「確かにな。」


 2人揃って、ますます寂しくなるような答えだ。


「だって、高校卒業してからお前、俺ら以外に…家族も除外して、関わった人おるか?あ、あと、先生と除いて。」


 誠也の言葉を深く吟味する。言われて気づく。目を背けていた事実に向き合わされる。


「だって大学ではそこまで友達いないし、遊びに行ったりもしなかったから…。」


「そこだって。お前、意図して距離置いてるだろ?」


 図星を突かれたというような顔をしたのだろうか。誠也が言葉を繋ぐ。


「それじゃいつまで経っても、俺らにくっついてるばかりで結局何もできないぞ。」


「そんなことわかってるよ。けど、必要以上に他人と関わりたくないんだ。俺のせいで不快になる人が増えるなら、そもそもこっちから関わらない方がお互いのためだって…」


「根本から間違ってる。」


 ずっと沈黙を貫いてきた政一先生が、淀みないはっきりとした口調で言う。そこには、世界の真理でも解き明かしたかのような自信と強さがある。


「お前は自信がある時は周りが見えなくなって、結果、大事なことを見落とすようになる。逆に今みたいに自己肯定感が極端に低いと、周りをよく見て自分を見るようになる。そのせいで、”見える”ようになった気になっている。」


 一拍置いて続ける。


「誰も、お前とかかわることで不快になるなんて思ってない。むしろ、話してみたら楽しいからもっと話しかけてほしい、って思う人が多い。お前は表面的な情報ばかりに目が行って、自分がダメな人間だから周りと関わらない方がいいって勝手に思い込んでる。自信を持てとは言わない。言えない。

―――だがな、誇りを持て。ダメだと思っている自分でも、楽しく過ごしてくれる友達がいる、先生がいる。今後恋人だってできるかもしれない。だから…失うこと、弱さばかりに目を向けるな。お前の…お前自身の強さを、たくさんの人に知ってもらうんだ。」


 政一先生はなぜ俺のことをここまで知っているのだろう。俺の弱さも、人間の弱さを信じている俺のことを…


 ―――誠也が固くなった雰囲気を元に戻す。


「政一先生のロング台詞えぐいですね~。久々に先生がしゃべったと思ったら、声優も驚きのロング台詞発動です!」


「先生、やっぱり声がいいんで、それっぽく聞こえますよね~。」


 憲弘もそれに乗っかるように茶化す。


 やっぱり、そうなのかな。先生が言ったように、話しかけにくいけど話してみると楽しい、と言われることは何度かあった。大学生の時のバイト先でも、後輩のJKに言われたことがあった。


「あんまりからかうんじゃないぞ。俺は本気で言ってるからな。」


「わかってるに決まってるじゃないですか!雰囲気を変えようと思って言っただけですから、そこまで気にしないでくださいよ~。」


 お酒が入っているからか、先生と二人のしょうもないやり取りに笑ってしまう。


「先生ってお酒飲むと冗談通じないタイプでしたっけ?」


「そんなわけないだろ?」


 天井から吊り下げられたシェードのような灯りが先生の困り笑いを照らす。


「逆にお前らは、酒飲むと冗談増える……いや普段から冗談多いな。」


「ま、これでもお酒には弱くはないんで、いくらでも冗談は出てきますよ。」


「冗談以外にも気遣いを出してほしいところなんだがな。」


 笑いながら先生は二人の冗談を受ける。


――やっぱりみんなで話すのは楽しいな。そんなことを考えながら、今この時の楽しさを噛みしめる。


―――それぞれが違うが、それぞれがお互いを知っている。そんな空間が。


――――――2024年6月4日19時24分34秒


「ここだね……久々だなぁ。」


 茶の映える髪が肩で揺れる。その姿は、上った三日月に淡く、弱く、映し出されている。

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