神に見放された地で
「ねえ、その怒りを消し去るの、私が協力してあげようか?」
リュカオンに囁いた黒い霧はやがて人の形となり女の姿となった。艶のある黒い髪に肉付きの良い身体。女はリュカオンの首に腕を巻き付け彼に囁いた。
「君は……誰?」
訝しげに女の顔を見た。女はリュカオンの表情を見やり嗤う。
「私はネメシア、あなたたち、人が祈りを捧げる神の一人」
「ネメシア……そんな神の名は聞いたことも無いぞ」
「それは当然よ。全知全能の神、テオグリオスは数多の人を創ったように神々も沢山創ったのだから」
「仮に君が神だったとして俺に何の用がある?」
リュカオンの頭の中で警鐘が鳴る。知らぬ名の神と名乗る女を前に。
「私はね、怒りと復讐の女神」
困惑の色を浮かべる彼を見てネメシアは鈴のような声が、耳の奥に残響として染み入る。
「愛する人を守れず、その仇も取れなかった」
「……やめろ」
静止の声を聞かずネメシアは言葉を続ける。
「でも、あなたの心の中には怒りの炎が燃え続けている」
「違う……!」
リュカオンは耳を塞ぎ蹲った。それでも耳の奥で何かが囁いていた。——見ろ、と。
「ねえ、その炎は何のために燃えているのか知りたくない?」
「嫌だ……! そんなの知らなくていい……!」
蹲るリュカオンの肩を抱きネメシアは囁く。
「この世界は『楽園』だけどそんなの張りぼての世界よ、見て」
目を塞いだはずの視界に情景が映る。
そこは荒れた大地が続いている。何も作物が育たないだろう乾いた大地、日は人の肌を焼くほど熱い。枯れた大地には人がいた。やせ細り地に横たわる大勢の人間。
「ここは天気の神も作物の神にも見放された土地」
人の口から飲み水を求める呻き声が漏れる。
「人は飢え死ぬのをゆっくりと待っているの」
別の光景がリュカオンの脳裏に映った。横たわる人が更に大勢いる。その皮膚は赤く爛れ、溶けだしている。
「ここは、疫病で多くの人が苦しんでいる、もちろん祈りを捧げても誰も構いやしない」
また、別の光景が見える。火だ。町が焼け男たちの怒号と親を探す子供の泣き声、そして、大地は血に濡れている。
「これは『戦争』よ、人々が自分の利をもたらすために争うの」
「……こんなの……見たくない」
悲惨な光景を目の当たりにしたリュカオンは頭を振り、ネメシアが見せる幻影から逃げようとした。
「ああ、あの男も似たようなものね」
あの男――。
リュカオンの息が止まった。
「フィロクレスもこの『戦争』も神は呆れて見捨てたのよ、そう、醜い人間をね」
リュカオンの脳裏にあの男の最期が過ぎる。そうか、あれは醜い人だったのだ。だから神はこちらに味方したのだ。リュカオンの口から乾いた笑いが零れる。ネメシアはそれを見逃がさなかった。
「でも、何故神はあの男の願いを聞き届けたのかしら?」
「願い? フィロクレスの?」
「あなたに言ったでしょう? 『願いを神に届ける術』の話――」
「願いを……神に届ける……」
ネメシアの言葉は続く。
「神は、全知全能の神、テオグリオスはあの男の願いを聞き遂げ、終焉へ導いた、多くの犠牲を払って」
いつしかリュカオンはそれに聞き入っていた。
「あなたは神の導きでここまで来れたと言うけれどそれならば、何故、こんな結末にしたのかしら」
その言葉は燃料だ。心に巣食う黒い炎の。
「ここまで言えば分かるでしょう?」
ネメシアの笑みは綺麗だった。
「ねえ、あなたの本当の敵は、誰?」
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