新月の花、血に染まる矢

 それは、夜の女神セレーネスが微笑んでそこに佇むような静かな夜だった。

 暗い夜道を小さな蝋燭の明かりを頼りにリュカオンとミリアは歩いていた。幾度も歩いた道だ。二人は他愛の無い話をしながら山の中の小道を歩いて行った。


「今年も、綺麗に咲いたね」

「ええ、本当に、綺麗」


 二人の眼前に広がるはニクティリスの花畑。白く輝く花弁の儚さは見る者に別れと苦しみを運ぶと言われ人々から忌み嫌われているが二人はそんな迷信を信じてはいなかった。この美しく咲く花をまた今年も共に見ることができたのだから——。

 リュカオンはそっと隣にいるミリアの横顔を見た。この美しい景色は夏の新月のこの日だけに見ることができる。ミリアの絹のような細い金糸の髪と薄く青い瞳がこの儚い光で淡く輝きを放つこの姿がどんな美しいと呼ばれる女神たちよりも一等、美しいと思っていた。


「ねえ、リュカオン」


 ふとミリアがリュカオンに振り向いた。リュカオンは彼女を見つめすぎたと慌てて彼女から目を逸らした。


「ごめん。また見つめすぎてしまったね」

「……違うの、違うのよ」


 ミリアを見つめすぎてリュカオンが彼女に怒られる。毎年のことだった。いつもなら仕方ないと呆れたようにミリアが許しの言葉を投げるのだが今年は違った。


「前に、フィロクレス様から求婚されている話をしたでしょう?」

「え、ああ、君は断り続けているって言っていたあの話だろう」


 二人がニクティリスの花を見に行く約束をして今日まで一月ほどが経った。その後ミリアの元に届いた恋文は血塗られていた話は村人たちの間では随分話の種として持ちきりであった。あの時のミリアは共に過ごしているリュカオンも心配するほど憔悴しきっていた。また、あの暴君から何かがあったのか。リュカオンは逸らしていた顔をミリアへ向き直った。


「あの後、また奴らは君の元へ?」

「いいえ、一度も……」


 ミリアは俯いて震えていた。そんな彼女をそっとリュカオンは抱きしめた。


「あの人の妃にはならないわ。だって——」


 ミリアは嗚咽交じりで震える声で言葉を紡いだ。リュカオンは彼女の背を撫でながら黙っていた。


「だって、リュカオン、貴方を愛しているから」


 リュカオンははっと息を飲んだ。村随一の美貌を持つミリアが自分に恋心を抱いていた事実に。甘栗色の瞳と癖のある髪の毛。どこにでもいる平凡な自分とは到底釣り合わない相手であった。同じ時に生まれ同じ時を過ごした。愛している——。いつかそうなればいいと夢描いたそれが今、現実となったのだ。

 その時だった。空から金色に光る一筋の矢が二人の元へ降ってきた。それは真っ直ぐにミリアの心臓を突き刺した。突き刺さった矢から枝が広がりミリアの身体を締め付ける。


「なに……これ……」

「ミリア?」


 瞬く間にミリアの身体は光の粒子に変わり溶けていった。そこに残されたのはリュカオンと一本の矢。


「やっと手に入れたぞ」


 ニクティリスの花畑の向こうから低く唸るような声がする。彼は白く輝く花を踏みつけリュカオンの前に立った。しかし、彼の視線はリュカオンではなく地面に落ちる矢に向いていた。燃えるような赤い髪、鋼鉄の鎧に身を包んだ彼には見覚えがあった。フィロクレスだ。フィロクレスは矢を拾い上げその場から立ち去ろうとした。


「ま、待って」


 リュカオンがフィロクレスの手にある矢に触れようとした。しかしそれに触れることは叶わなかった。即座に振り向いたフィロクレスがリュカオンを蹴り上げたのだ。それは一瞬の出来事だった。吹き飛ばされたリュカオンの意識はそこで途切れた——。


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