冒険者登録 その4

 応接室は、全体的に年季が入って埃っぽい協会の建物の中では随分と綺麗で落ち着いた部屋だった。おそらくは今回のように協会を訪れる貴賓を案内するためなのだろうが、今のノラにそんな事を考えている余力は無かった。


「まずは私から改めて今回の件について御礼を申し上げる。助かった、ノラ殿」


「はぁ……」


 深々と頭を下げるハウゼンに気の抜けた返事を返すノラ。

 普通貴族やそのお抱えの騎士にこんな態度を取れば大変なことになるが、ノラはその圧倒的な実力を見せつけた歴戦の冒険者である。こんな失礼な態度も確かな実力に裏打ちされ、ノラの逞しい身体と相乗効果を発揮した結果奇跡的に強者の風格のようなものに変わりハウゼン達を感心させていた。そんな事は本人は知る由もないが。


「それと、私からは改めて謝罪を。無礼な態度を取って済まなかった」


「うん……」


 続いて頭を下げるレティシア。

 しかしノラはまたも生返事を返しただけだった。

 戦場が恋しい。取り敢えず目の前に出てきたやつの首をへし折るだけで大抵の問題が解決するシンプルな世界が懐かしかった。

 だが、タマと「殺しのない人助け」をしようと話をしたばかりである。普段だったらあの後男を制圧しその場で残虐拷問ショーを執り行い背後関係から横のつながり、装備の仕入先まであらゆる情報を絞り尽くした後全身をバラバラに刻んで人相の分かるようきれいに整えた生首と共に関係者のところに配送していた。

 恨みを残すと面倒くさいからやるなら徹底的にやれ。これはノラの師の教えであった。今回が急ぎでなければ配送のついでに関係者を軒並み殺して回り、二度とこういった事が起きないよう手を出すとどうなるのかを路地に並べた死体の数で物語っていたかもしれない。それを強い自制心で男を半殺しにするに留め、貴族の前で残酷な拷問をすることもなく警備隊に引き渡した。


 これはものすごい進歩である。かつてのノラなら確実にやりすぎて、今目の前で感謝を述べる騎士たちから逆に剣を突きつけられていただろう。彼もまた成長し、一歩ずつ前に進んでいるのだ。

 悲しむべきはその原因が彼の追放の元となった貴族の護衛依頼であることと、彼自身今それどころではなくその成長に気づいていないことだろうか。


「あ、あの……」


 と、ここで二人の騎士に守られつつノラの正面に座っていたマリアンヌ嬢が口を開いた。


「よ、よく私を守ってくれましたわね! ほ、褒めて遣わしますわ!」


「うむ……?」


 マリアンヌ嬢は顔を赤くしてぎこちなくノラを褒めた。その濡れた瞳は誰の目にも明らかな恋する乙女のそれである。

 無論ノラはそれどころではないので全く気付いてもいないが、老騎士と女騎士は複雑な心中だった。

 ハウゼンはなんとか話題を変えようと口を開く。


「と、兎に角ノラ殿。今回の件について御礼を差し上げたいと思うのだが、どうかね? 君さえ良ければ当家お抱えの騎士として―――」


「断る」


 空気が凍りついた。

 つい先程まで心ここにあらずといったノラだったが、よりにもよって今一番聞きたくない貴族による引き抜きの話を受けて一変に意識が覚醒した。

 戦場になど立ったことのないカレンにすらはっきりと理解できるほどの殺気。その場にいるだけで喉を強く締め付けられているかのような圧迫感に襲われる。

 だが、歴戦の老騎士ハウゼンだけはこの殺気の意味に気付いていた。


「非礼を詫びる。どうやら、触れてほしくない場所に触れてしまったようだ」


「……気にしていない」


 ノラが殺気を収めるのと同時に、ハウゼンの全身にブワッと冷や汗が溢れる。

 目の前の人物、ノラと名乗る冒険者は、間違いなくこの街でもトップクラスの実力者。いや、もしかするとこの国でも指折りの強者かもしれない。

 その上で彼は、感情らしい感情の揺らぎを欠片も見せていなかった。暗殺者を制圧しその両手両足をへし折って無力化する際でさえ、まるで古びた本の埃を手で払うかのようになんてことのない仕草でやりおおせた。

 どんな達人でも事に及ぶ際必ず発してしまう殺気。それを全く表に出さずに躊躇いなく人を殺せる男なのだ。ノラという男は。

 そんな男が、素人にも分かるほどにはっきりと殺気を放った。これは警告だ。これ以上こちら側に踏み込んでくること無かれ、と。

 だから引いた。小動物ならそのまま殺してしまえそうなあの殺気は、この男がまだこちらを敵に回すことはしたくないという意志の現れなのだから。

 これ以上事を荒立てたくないという彼の意を汲んで、ハウゼンは引いたのだ。


「き、きき、貴様! 何のつもりだ!」


 だがそれを理解できていない若造がハウゼンの隣に立っていた。


「馬鹿者! こちらの無礼を見逃してもらったのが分からんのか!」


「いっだぁ!?」


 ハウゼンはすかさずレティシアの頭に拳骨を落とし、慌てたようにノラに頭を下げた。


「す、すまないノラ殿! こちらのレティシアはまだ若輩者で……」


「良い……気にしてない……」


 ノラは今のでかなり意識を取り戻していたが、思考がはっきりしたところで早く帰りたいという思いが強くなっただけだ。

 ノラは気怠げに肩を落とした。


「…………その、ノラ殿はもしかして疲れておられるのか?」


 ノラを刺激しないようにハウゼンが尋ねる。


「ああ、もう五日ほど働き詰めでな。ほとんど眠れていない。それにこの後も市場によらないといけないし……」


 そうだ、服を買って帰らないといけないんだった。

 まだまだやる事が多いことを思い出したノラは、右手の人差し指をこめかみにあてる。

 バチッと音を立ててノラの魔力がこめかみに走った。針で刺したような痛みと共に、ノラの意識がクリアになっていく。


「今のは?」


「眠気覚ましだ」


 ノラは短く答えるとぐっと伸びをした。

 今のはノラが開発した覚醒魔法である。特殊な波長に調整した緑の魔力をこめかみに撃ち込むことで一時的に意識をはっきりとさせ眠気を飛ばす事ができる。

 冒険者になる前、とある犯罪組織の拠点を潰す作戦に参加した際に一ヶ月間拠点を監視し続ける必要があり、その際に生み出した魔法だ。効果はバツグンだが使用後激しい虚脱感と頭痛に襲われるため、身体にはあまり良くない。タマの治療の際に使ったばかりだし、できる事なら使いたくはなかったがこれ以上ぼうっとしているわけにもいかなかった。


「そういうわけだから、今回の件について話があるなら後日で構わないか? 人を待たせている、早めに用事を済ませてしまいたい」


「ああ、そういう事なら仕方ない。いやすまなかった。こちらの都合で引き止めてしまったな。カレン殿、我々はこれで。あんなことがあったばかりだし、今回の用件はまた後日訪問させてもらうことにする」


「あ、はい。ご案内しますね」


 壁際に立って控えていたカレンは、扉を開けて三人を案内する。レティシアと名乗った女騎士はまだ訝しげにノラを見つめていたが、ノラは気にもかけていなかった。


「ではノラ殿。私たちはこれで。冒険者登録されるようだから、御礼の話はまた協会に言付けておきましょう」


「ああ、それで構わない」


「では」


 軽く会釈をして部屋を出るハウゼン。

 三人が部屋を出て一瞬の後、ひょこっとマリアンヌ嬢が扉の影から顔を覗かせた。


「あのっ、お屋敷にお招きしますから! ぜひいらしてくださいましね!」


「ああ」


 ノラが頷くのを見ると、マリアンヌ嬢はぱあっと表情を明るくして笑った。


「絶対にですわよ! それでは御機嫌よう!」


 とててて、と駆けていく音が聞こえる。

 まだ幼いからだろうが、随分と明るいお嬢様だな、と思った。

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