「人の心がない」と追放されたS級冒険者、人の心の優しさを知るためにボロボロの奴隷を拾いました
ぱわふるぼたもち
邂逅
どこまでも続く分厚い雲が、夜空の月と星々を遠く遠くへと押しやる暗い夜だった。
吹き荒ぶ風はあの黒く蠢く雲を吹き飛ばすには至らず、冷たく木々の肌を切り裂きながら木の葉を散らすばかりである。
獣たちすらその身を潜めるそんな闇の中で、風に紛れて深い森を征くそれは、握りしめた斧を小さく振るった。
「………!」
叫ぶことは出来ない。横薙ぎに素早く振り切られたそれは男の喉を大きく引き裂き、悲鳴を上げようとせり上げる彼の横隔膜はかすかにひゅーひゅーと口を開けた喉から空気を漏らしただけだった。
音を立てぬように襟元を掴まれ後ろの木へと押し付けられた男は、激痛に顔を歪ませる。
ガンッ、と。彼の首が太い鉄製の釘のようなもので木に打ち付けられる。慣れた手つきで懐を弄り、一束の鍵を奪うと一瞥もくれずにそれは歩き去る。
何故わざわざ木に打ち付けていったのか。掠れゆく意識の中男はぼんやりとそんな事を考えていた。
暗い森の中にぽつんと立つあの怪しい屋敷を守るため、男の側には篝火が焚かれていた。
火を消せば勘付かれるが、かと言って火のついたまま男を殺せば屋敷の中のものから怪しまれるかもしれない。
そうか、だからあれは自分を、屋敷の窓から見たら木に寄りかかっているだけに見えるように、引き裂いた喉に釘を打ち付け磔としたのだ。
時間にしてわずか数秒、驚くほどの手際の良さでその残虐な行為は行われたが、今まさに死の淵を乗り越えようとする男にとってその時間は永遠のようにも感じられた。
男は致命傷を負っている。後もう数秒もせずに彼は意識を永久に手放すだろう。
掠れゆく視界の中、無限に引き伸ばされた死の間際に、自分から盗み取った鍵を手に屋敷へと向かって歩いてゆく黒い影が見えた。
◆ ◆ ◆
「おい、例のガキはどうなってる」
怒気をはらんだ声で男は尋ねた。
「へぇ、あいつでしたら今日の分の実験が終わったんで檻に戻しましたがね」
資料をまとめていた小間使いの男が答える。
「所長さん、なんかありましたでしょうかい?」
「なんかありましたでしょうかじゃあない!」
所長さん、そう呼ばれた白衣の男は苛立たしげに声を荒げる。
「今ウチが作ろうとしてる新薬の精製にはあいつから抽出したマナが必要なんだぞ! 今回の数値を見てないのか!?」
「数値っつわれたって……おぃらは字の読み書きが出来たってんで連れてこられただけの山賊の下っ端ですぜ? 見たって意味なんかわかりゃしませんがな」
「〜〜〜〜〜っ!」
白衣の男はガリガリと頭をかきむしる。
「マナ溶液の黒マナの割合が下がってるだろうが! 絶望と苦痛! 負の感情が湧いてなけりゃ新薬に使う基準の黒マナを含んだ溶液が抽出出来ないって言っただろ!? 何をやってるんだお前らは! あんなガキ一人痛めつけることも満足にできないのか!?」
「……あれ、ガキだったんですかい?」
白衣の男の言葉に小間使いの男は眉をひそめた。
「いや、言っちゃあなんですがね、そもそもあれが人間なのかどうかすらおぃらたちにゃ分かりかねますぜ。最初見たときなんか肉と骨で作ったスライムでも見せられてるのかと思ったくらいでさ」
げんなりとした顔で男は続ける。
「酸をかけてみたり塩をすり込んでみたり色々やってやすがね……あれもう痛みとか感じなくなっちゃってんじゃないんですけ? 今以上の苦痛なんて……おぃらたちみたいなまっとうな山賊には検討もつきませんぜ」
「………………ふん、上の連中がよこした穴埋めの人員に期待したほうが馬鹿だったわ」
どっか、と椅子に腰掛ける。
男の態度は腹立たしいが、他の連中と比べればこんなのでもまだまともな方だ。酷い言葉遣いだが一応はこちらを立てようという気はある。
そもそも、この崇高な研究、開発、生産の業務にそこらで捕まえてきた無法者を使おうというのが間違っている。上の連中は一体何を考えているのか。
白衣の男は大きくため息をついて、書類の束を手に取る。そこに書かれていたのは本部からの伝令。無茶としか言いようのない生産ノルマだった。
「とにかく、ノルマをこなせるまで実験はある程度控えろ。その分を生産に回して質を数で補うしかない……」
「はぁ。ま、伝えておきますわ」
この薄汚れた男は事の重要性がまるで理解できていないのではないか? 白衣の男は顔をしかめる。
この施設が生産しているマナ溶液は本部で推し進めている計画に必要なものだ。これだけの質でこれだけの量を確保しろと言われてしまえば、現場の人間はそれに従う他ない。
人間をあんな姿にしてマナを搾り取るためのモノに変えてしまうような、そんな奴らを敵に回すような真似はするべきではないと分からないのだろうか? それとも、そういった都合の悪い事柄は考えないようにしたほうが良いと割り切っているのか?
こいつらは間違いなく馬鹿だが、愚者は得てしてある種悟りとも言うべき訓をも持つものだ。
……いや、これは少し考えすぎか。白衣の男は頭を振った。
「いいか? 任せたぞ? 分かっているんだろうな?」
「そんな念押しなんかしなくたって分かってやす……よ……」
「あ?」
書類の山とにらめっこをしていると、向こうで書類をまとめていた小間使いの男の声が途切れた。何事かと思い顔を上げると、先程までたしかにそこにいた男の姿が消えていた。
「おいどうした、ふざけているのか? 真面目に仕事をしろ」
山賊上がりの男に言うことでもないか、そう思いつつも声を掛けるが返事はない。燭台の上の小さな火がゆらゆらと室内をほのかに照らすだけだ。
「……おい?」
様子がおかしい。白衣の男は恐る恐る立ち上がり、薄暗い部屋の中を見渡す。乱雑にモノは散らかっているが、あの粗雑な男が隠れられるような場所など……。
「静かに」
「ヒッ!?」
ぴとり、と喉元に冷たい金属の感触。誰かが後ろにいる。
「だ、誰だ!?」
「静かにと言った」
「―――――っ!?!?」
ぺきり、嫌な音を立てて左手が妙な方向へとひん曲がる。容赦も躊躇いもない暴力。人の手をへし折るのに一切の感情のゆらぎのない冷たい声。プロだ。そこいらの野盗の類ではない。人の命を奪うことを生業とするものの気迫。
「わ、分かった、分かったから」
涙の流れるのをぐっとこらえ、声を潜めてそう告げると後ろに立つ何者かは腕に込める力を緩めた。
「はぁ……はぁ……っ」
白衣の男は短く息をして必死に頭を巡らせる。
自分たちが個々でやっていることは間違いなく非合法の行いであり、国家の秩序に背くもので人道に反する行為だ。この仕事をするうえで、商売敵となる同業者も多く葬ってきた。恨みを買う心当たりなど、多すぎて絞りきれないほどある。
「な、何が望みだ? ここの研究結果か? その成果か? それとも金か? お、俺はここの責任者だ。ある程度融通はきかせてやれるぞ」
出来るだけ刺激しないように交渉を持ちかける。
先程この男は静かに、とそう言った。つまり、まだこの館には他の者たちがいるということだ。叫んだのは一瞬だったが、少しでも時間を稼げば誰かが駆けつけてくるかもしれない。そうなれば、ここの者たち全員に仕込んでおいた「例の薬」を使って逃げ出せるかもしれない。
「望み、ね」
そんな打算を孕んだ彼の提案は、襲撃者の感情のない声でかき消された。
「聞くところによると、おれはどうやら人の心がないらしい」
「……………へ?」
突然何を? そう思ったが、生殺与奪の件は後ろに立つは不気味な襲撃者に握られている。下手なことは言えない。
「古い馴染み……と言うほどではないが、苦楽をともにした仲間にな、そう言われてしまった」
「は、はぁ……」
呆れにも似た声が出る。刺激しないように努めてはいるが、余りに突拍子もない話に困惑してしまっていた。
「何を考えているか分からない、優しさというものを知らない、だからこれ以上一緒にいられない、ということらしい」
流石に堪えた。そう言う襲撃者の声に、初めて感情らしい色が乗る。
「だからおれは、人の心を、優しさというものを、手に入れようと思ってな。ただ、何をすれば良いのか分からなかったから――――善い事をしようと思った」
「善い事っ、て……」
そこで男は気付いた。背後の襲撃者が発する、かすかな殺気に。意識しなければ気づくことも出来なかったであろうそれは、ゆらぎと言うにはあまりにも希薄で、なんでもないことのように白衣の男の命を奪い去った。
「が、ひゅ……」
喉を抉られ血を吹き出しながら崩れ落ちる白衣の男を、目深に被ったフードの奥からじっと見つめていた男は、さほど興味もなさそうに視線を上げた。
「おまえ達は悪いやつなんだろう。悪いやつを殺すのは……きっと善い事だ」
彼の目的は初めから、ここにいる者たちを皆殺しにすることだった。白衣の男が試みた交渉などに意味はなく、そもそも彼がここに来るまでに白衣の男以外は皆息の根を止めてあった。
「…………」
襲撃者は、テーブルの上に置かれた書類の束を拾い上げる。ここで行われた非道な実験、黒マナの生産、その材料の調達に関する資料。出来上がった製品の帳簿。
どれも彼からしてみれば何の価値もないもので、興味など無いものだ。しかし、これをもとに辿れば更に後ろに控えている「悪いやつ」を片付けられるだろう。
そうすれば、悪いやつらを皆殺しにして、善い事を、正しい事を積み重ねていけば、人の心が、優しさが理解できる日が来るかもしれない。
殺すことと奪うことしか知らない彼にとっては、こうすることだけが一縷の望みだったのだ。
「…………誰だ?」
しばらく部屋の中の資料を物色し、机の引き出しや隠し扉の中の文書を拾い集めていた彼は、何かが動く音に気づいて顔を上げた。
念入りに一部屋一部屋周り、間違いなく皆殺しにしたはずだが。そこでふと、彼は男たちの言葉を思い出した。
肉と骨で作ったスライム。
そう形容される状態の「材料」の子どもがいたはずだ。
裏のルートを使って非合法の奴隷商から買い付けた魔力の高い子ども。資料を見るに今ここで生きているのは一人だけだが、確かに生き残りがいる。
襲撃者は手早く荷物をまとめて担ぎ直すと、物音のした方へと向かった。あちこちの部屋から血が滲み出しぺちゃぺちゃと音のなる廊下を進み、鉄と肉の腐ったような匂いのする地下室へと進む。
「…………」
一瞥して、人らしきものは見えない。先程もこの部屋は見回ったのだ。だが、男たちの言うように人には見えないような姿なのだとしたら……。
「これか」
襲撃者はやけに小さな檻を見つけ、松明の火で照らす。
「…………」
これは本当に人間なのか? 彼の脳裏にそんな疑問がよぎる。
肉と骨で作ったスライム、なるほどたしかにそう見える。人を生きたまま槌で叩いて潰し、丸く寄せ集めたような姿。
あちこちから骨が飛び出し、ひくひくと蠢いている。とても生きているようには見えないが、確かに熱を持ち、拍動している。目を凝らしてみてみると、目や口に相当するのであろう器官も見られた。
「驚いたな、生きているのか」
しかし、襲撃者に感情らしい感情は湧き上がらなかった。こんなことをする奴らに対する怒りも、こんな事になってしまった子どもへの憐憫も、ありはしない。ただ、こんな状態でも生きているのか、という、僅かな驚きがあっただけだ。
「…………」
そのことに気づいて、彼は静かに目を伏せた。こんな事だから、人の心がないと言われてしまうのだ。一緒になどいられないと、そう言われてしまったのだ。
「……ひとおもいに、殺してやろう」
それは優しさから来た言葉ではなかった。けれど、きっと優しい者ならこんな姿のままここで飢えて死ぬよりも、すっぱりと楽にしてやるのではないかと、そう考えただけだった。
彼が静かにナイフを突き立てようとした時、その肉塊から伸びた指のようなものが彼の手に触れた。
それは、頼りない力で彼の手にしがみついていた。
「…………まさか、意識があるのか? おれの言葉が、分かるのか?」
ぎゅっ、と。ほんの僅かに力がこもる。
何ということだ。こんな姿になってなお、自我を保っているというのか。
「…………」
襲撃者は逡巡する。きっとこうすることが善い事なのだろうと、殺してやろうとしたが、目の前の肉塊に自我があり、こうして触れてきたということは、それを望んでいないのではないか。
そうして彼はしばらく考えを巡らせた後、もう一度肉塊に触れた。
「生きたいか?」
どくん、ひときわ強く拍動する。
これを肯定の意志と判断し、彼は続ける。
「もしかするとおまえをもとに戻してやれるかもしれない。……ここで死んでしまっていたほうが良かったと、そう思うほど辛いだろうし、失敗してそのまま苦しんで死ぬだけかもしれないが、どうする?」
ぐぐ、と、頷くように肉塊は揺れた。
「分かった。だが、条件がある」
襲撃者は優しく血と糞尿にまみれた悍ましい肉塊を抱き上げる。鳥肌が立つような気色の悪い触感と、鼻が曲がりそうな程の悪臭に眉をひそめることさえなく、彼は語りかけた。
「おれがおまえを助けてやる。だから代わりにこのおれに―――人の心を与えてくれ」
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