第39話 剣聖、またも迷子になる

 誠一は三つの依頼書を広げ、その中から「忘れ去られた古道の調査と魔物駆除」を選んだ。


 奇妙な幻覚を見せる魔物の目撃情報が脳裏をよぎるが、街道沿いならば危険は少ないだろう。それに、付近の魔物情報をギルドに報告するだけでも成果は認められるはずだ。


「この三つなら、『忘れ去られた古道の調査と魔物駆除』が良いと思います。比較的安全ですし、確実に成果が出せますから」


 誠一が自信満々に提案すると、シルフィーネは満足げに頷いた。

 彼女の長い金髪が、揺れるたびに光を反射する。


「さすがはわたくしの下僕、わかっていますわね。このわたくしの知性と美貌にふさわしい依頼ですわ!」


 お嬢様から褒められ、誠一はふっと安堵の息を漏らす。


「おじさんがそう言うなら、それにしよっか!」


 リムムメイルが屈託のない笑顔で同意した。

 彼女の緑の髪が、陽光を受けてきらきらと輝く。


「……賛成。幽霊が出ない依頼が良い……」


 ルーナルもフードの奥から消え入りそうな声で呟いた。その声には、どこかホッとした安堵の色が滲んでいた。


 誠一は冒険者ギルドで水と携帯食料を銅貨45枚で購入した。

 これで彼の資産は小金貨10枚になる。ずしりと重い金貨が、彼の手の中で確かな存在感を放っている。


(まだ、資金には余裕があるぞ)


 誠一以外の三人は前回の冒険の報酬をほぼ使い切っており、無一文だったため、今回の食料と水は誠一の「持参金」から出すことになった。


「はぁ、みんな金欠ですか……」


 小金貨10枚を、5日で使い切るとは……。


(だが、考えてみれば、俺は家賃と食費が只だからな)


 誠一は深くため息をつきながらも、恵まれた環境の自分が、しっかりしなければと改めて心に誓った。



 ***


 誠一たちは冒険者ギルドを出て、古道の調査に向かった。

 町の門をくぐり、西へ続く街道を歩き出す。乾いた土の道は、彼らの足元で微かに砂埃を立てる。


 彼らの背後には、複数の冒険者グループが影のように後をつけていた。その瞳には、獲物を狙うかのような鋭い光が宿る。目的はただ一つ、謎に満ちた「地下牢の剣聖」を勧誘することだ。


「おい、あいつら、本当に古道に向かってるのか?」


「いや、どう見ても『迷いの森』の方角だろ。あそこは、あの四人じゃ無理だぞ」


「『迷いの森』ということは、迷いの森にある月影草が目当てだな。ちょうど依頼があったし、間違いない」


「すると森の中に、すでに地下牢の剣聖が入っているわけだ。どうりで、あんなポンコツパーティーがAランクの依頼を受けられるわけだ」


「よし、俺たちも後を追うぞ! 剣聖を引き抜くんだ!」


 彼らは、誠一たちが鬱蒼と茂る木々に覆われた「迷いの森」と呼ばれる危険なダンジョンに入ったのを確認すると、まるで獲物を追う猟犬のように、森へと足を踏み入れた。


 ひんやりとした森の空気が、彼らの顔を撫でる。

 彼らはまだ知らなかった。誠一が「地下牢の剣聖」その人であり、そして彼らが追っているパーティーが、とんでもない方向音痴であることを。


 

 ***


 誠一たちは、薄暗い森の奥へと足を踏み入れていた。先頭を行くリムムメイルが広げた地図を真剣な顔で確認しながら進むが、その足取りはどこか頼りない。


「あの、リムムメイルさん、この先に古道があるんでしょうか? なんだか、どんどん森が深くなっているような……」


 誠一は不安になって尋ねた。


 周囲の木々は、ますます鬱蒼と茂り、陽の光も届かず薄暗い。

 湿った土の匂いが鼻をつく。


「えっと、そのはずなんだけど……あれぇ?」


 リムムメイルは地図をひっくり返したり、逆さにしたりしながら首を傾げた。

 その顔には、隠しきれない困惑の色が浮かんでいる。


「……ひょっとして、道に迷った?」


 ルーナルがフードの奥から、消え入りそうな声で確認した。

 彼女の瞳は不安げに揺れ、まるで夜露に濡れた小動物のようだ。


「まあ、またですの? 仕方がないですわね。では、正しい道に案内なさい。下僕」


 シルフィーネが呆れながら肩をすくめ、誠一に命じた。

 ため息が、わずかに森の静寂に響く。


「じゃあ、来た道を戻りましょうか? まだ、そんなに奥まで来てないはずですし」


 誠一が建設的な提案をすると、三人は渋々といった様子で頷いた。

 彼らは踵を返し、森の中を引き返そうと歩き出した。


 しかし、どれだけ歩いても森の出口は見えてこない。

 木々のざわめきだけが、耳元で嘲笑うかのように響く。


「おっかしいな~~! もう、倍以上は歩いているはずなのに!」


 リムムメイルが汗をかきながら言った。

 その額には、しっとりと汗が滲んでいる。


「……森の外に、出れない……」


 ルーナルが力なく呟いた。

 彼女の足取りはすでに重く、まるで鉛でも入っているかのようだ。


「もう二時間以上、歩いていますわよ! このままでは、わたくしの高貴な体力も限界ですわ!」


 シルフィーネが息を切らしながら訴えた。

 彼女の顔は疲労で真っ赤になり、わずかに顔をしかめている。


 三人の言うとおり、森に入ってから歩いた倍以上、道を戻ったはずだが、全く外に出る気配がない。それどころか、木々はますます濃くなり、周囲は薄暗さを増していく。森の奥から、得体の知れない気配が迫るような錯覚に陥る。


「ひとまず、休憩しましょうか? 携帯食料も持ってますし」


 誠一の提案に、三人の少女たちはパッと顔を輝かせた。


「さんせーい! おじさん、ナイス!」


 リムムメイルが、元気いっぱいに叫んだ。


「……おじさん、気が利く……」


 ルーナルが、どこか信頼を込めた響きで、誠一を褒めるように呟いた。


「さすがは、わたくしの下僕ですわ! わたくしの疲労を気遣うとは、見どころがありますわね!」


 シルフィーネが高慢ちきな口調ながらも、どこか嬉しそうに言った。

 その表情には、ほんのりと笑みが浮かんでいる。


 冒険者は体が資本だ。

 食べられるときに、きっちりと食事をとらなければならない。


 誠一は、自分が用意した食料と水がみんなの役に立ったことに満足しながら、少し固めのパンをかじった。


 しかし、彼らはまだ気づいていなかった。

 彼らが道に迷い、足を踏み入れた森が、実は「忘れ去られた古道」とは全く違う方向にある、より危険な「迷いの森」であることに。


 そして、その森の奥深くには、彼らを追う冒険者たちが、さらに深みへと足を踏み入れていることに。

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