第33話 荷物持ちのおっさん、剣聖になる。
ゴブリンたちが一斉に襲いかかってきた。
腐った獣の毛皮と土の匂いが鼻を衝き、殺意のこもった真っ赤な瞳が誠一たちを射抜く。獲物を狙う獰猛な咆哮が、地面を這うように響いた。
誠一の後ろには、恐怖に顔を引きつらせたリムムメイル、ルーナル、シルフィーネの三人の少女が、小刻みに震えている。その背後には、苔むした岩肌が壁のようにそびえる切り立った崖。
逃げ場はどこにもない。
空気は鉛のように重く、生臭い血の予感が満ちていた。
だが、今の誠一はただのおっさん、ではない。
魔剣士ベリアルから「剣術」を、そして王様から「怒りの感情」をスティールした「剣聖」モードだ。
効果時間はたった10分。
その貴重な時間を無駄にはできない。
誠一は冷静に崖の上に敵の気配がないことを確認すると、眼前のゴブリンたちの迎撃に集中した。
彼の手に握られた、ゴブリンからスティールしたばかりの刀は、どこか怪しく光っている。鈍い銀色の刀身が、周囲の魔物を引き寄せるかのように、微かに輝きを増していた。何らかの魔力を帯びているのかもしれない。
誠一たちを包囲していたゴブリンの群れは、先ほどまでの警戒を捨て、完全に野生をむき出しにして襲いかかってくる。
牙を剥き出し、涎を垂らしながら、地面を蹴る音が迫った。
「もうだめだ~~~! 食べられちゃう~~~!」
リムムメイルが顔を真っ青にして叫んだ。
彼女の弓を持つ手は、まるで壊れた振り子のようにガタガタと震えている。
「……おじさん、その刀……」
ネクロマンサーのルーナルが、誠一の持つ刀に気づき、どこか驚いたような、それでいて不安げな声で呟いた。その小さな手が、ぎゅっとローブを握りしめているのが見て取れる。
「ひぃぃいいい! もうやだ、おうちに帰る!! こっちに来ないでくださいまし~~~!」
シルフィーネは完全にパニックに陥り、その場にうずくまって震えていた。もはや貴族のプライドもへったくれもない。瞳の奥には、恐怖の色が濃く滲む。
しかし、心配はいらない。
今の誠一は剣聖なのだから。
***
最初に飛び込んできたのは、誠一の腰の高さほどの小型ゴブリンだった。
その歪んだ顔には憎悪が浮かび、粗末な木製の棍棒を頭上でぐるぐると振り回しながら、誠一の足元に飛びかかってくる。
誠一は、その一撃を紙一重でかわすと、光る刀を横薙ぎに一閃した。
――ズバッ!
肉を断つ鈍い音が響き、ゴブリンの首が宙を舞う。
ごとりと地面に転がる生首から、鮮血が噴水のように舞い散り、周囲の枯れ草を赤く染めた。鉄錆のような血の匂いが、瞬く間にその場に充満する。
誠一は群がるゴブリンを、血の海に沈めていく。
敵の第一陣が途切れた。
次の瞬間、30匹を超えるゴブリンの投石部隊が一斉に、唸り声を上げながら攻撃を仕掛ける。彼らは、布で包み回転させ、遠心力で威力を増した石を、誠一めがけて投げつけてきた。
石が空を切るヒューという音。
誠一はそれらの石に刀を軽く押し当て、その軌道をわずかに変える。無数の石は誠一に当たることはなく、その背後の崖に「ドドドドッ!」と派手な音を立て、乾いた土煙を上げている。
常人には到底不可能な神業だ。
ゴブリンの投石部隊は、さらに石を投げつける。
しかし、結果は変わらなかった。
ダメージを与えられぬまま、石が尽き投石が止む。
「切りたいものを切り、切る必要がないものには傷一つ付けぬ。それが今の俺の、『剣』の領域――」
それは、ベリアルからパクった力なのだが――
誠一は気にせずに、無駄に格好良いことを言った。
誠一は素早く身を翻すと、体長2メートルを超えるような大型ゴブリンに狙いを定めた。筋骨隆々としたその体躯は、まるで小さな岩の塊のようだ。
ゴブリンは、鋼鉄製の鈍器のような巨大な斧を振り下ろしてくる。
その風圧が誠一の頬を撫でるが、誠一は最小限の動きでそれをいなし、斧は「ズシン!」と重い音を立てて地面を大きくえぐった。
誠一は滑り込むように敵の懐に潜り込むと、刀でゴブリンの胴を両断する。
――ザシュッ!
巨大な体が、呻き声を上げて崩れ落ちた。
地面に叩きつけられる衝撃が、微かに地を揺らす。誠一は刀を振り、こびりついた血を飛ばすと、冷静に次の標的へと視線を向けた。
***
森に潜んでいた数百というゴブリンの群れが、誠一に引き寄せられるように、次々と湧き出てくる。
彼らは様々な武器を持っている。
粗末なナイフ、木製の棍棒、石斧、そして中にはボウガンや投石器を構えている者もいる。
体の大きさもまちまちだ。
人間の子供サイズから、先ほどのような2メートルを超える大型のものまで。彼らの目からは、飢えた獣のような光がぎらついている。
誠一は、押し寄せる波のように迫るゴブリンの総攻撃を、見事にさばいていった。
彼の動きは、無駄がなく、流れるようだ。
剣聖の剣術が、その刀を通して完璧に発揮されている。
右から振り下ろされる斧をわずかにかわし、返す刀で敵の腕を切り離す。
左から突き出される槍を刀で受け流し、そのまま切っ先を突き立てて敵の胸を貫く。
刀が肉を切り裂く「ザンッ!」という音、そして血が噴き出す「ブシュっ!」という音が、静かな森に響き渡る。
誠一の周囲には、すでにゴブリンの死体が山と積み上がっていた。
その血の匂いは、次第に空気中に澱のように溜まっていく。
遠距離からの攻撃も、危なげなく対処していた。
頭上から飛来する弓矢は、刀の柄で「キンッ!」と弾き、投石器から放たれた石は、軌道を見極めて、刀で「パキン!」と音を立てて真っ二つに切り裂いた。
その姿は、まるで嵐の中で舞い踊る一葉の木の葉のようでありながら、決して揺らぐことのない岩のような堅牢さも持ち合わせていた。そしてその剣筋は、冷徹なまでの正確さを備えている。
そんな誠一の姿に、三人の少女たちの目は、釘付けになっていた。
「お、おじさん、すっご~~い! あのゴブリンたちを、一人で!」
リムムメイルが、恐怖を忘れ、目を輝かせながら叫んだ。
その声には、驚きと興奮が入り混じり、震えは消えていた。
「……うそ、かっこいい……。こんなに、強い人だったんだ……」
ルーナルが、フードの奥で、ぼそぼそとした声で呟いた。
その小さな拳は、ぎゅっと握りしめられている。彼女の不安げな瞳には、誠一の姿が、まるで光り輝く英雄のように映っていた。
「お~ほほっ! 流石はわたくしの下僕ですわ! さあ、そこですわ、やっておしまいなさい! お~ほほっ!」
シルフィーネも、いつの間にかうずくまるのをやめ、立ち上がっていた。
彼女は、どこから出したのか不明な扇子を広げ、優雅に笑いながら誠一を応援している。その顔には、勝利を確信したような傲慢な笑みが戻っていた。
誠一は、少女たちの黄色い声援を背に、ひたすらゴブリンを屠り続けた。
刀は血に濡れ、ゴブリンの返り血で誠一のローブも赤黒く染まる。それでも、彼の動きに衰えはない。その瞳には、一点の曇りもなく、ただ敵を仕留めることだけを追い求めていた。
***
10分間の激しい戦闘の後、ゴブリンの群れは全滅していた。
森は静まり返り、聞こえるのは風の音と、少女たちの安堵の息遣いだけ。
誠一の周囲には、無数のゴブリンの死体が累々と横たわり、血の臭いがむせ返るほどだ。地面は赤黒く染まり、そこかしこに武器や体の残骸が散らばっている。
誠一は、刀の血を払い、静かに息を整えた。
「ふぅ……なんとか、切り抜けたな」
誠一は、刀を鞘に収めると、背後の少女たちを振り返った。
彼らの顔には、安堵と――
そして誠一に対する深い尊敬の念が、はっきりと浮かんでいた。
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