第28話 剣聖のおっさん、冒険者ギルドで試される

 仰々しい剣聖の任命式を終え、魔物討伐の任を託された誠一は重い足取りでアルカディア王国の冒険者ギルドへと向かった。


 町の中心にそびえる石造りのギルドは、煤けた壁に年季を感じさせる。

 分厚い木製の扉の隙間からは、冒険者たちの喧騒と、微かな酒の匂いが漏れ出し、誠一の心をどぎまぎさせた。


「……場違いな感じだよなぁ。大丈夫か、俺?」


 薄汚れた普段着に身を包み、冒険者らしい装備を何一つ身に着けていない自分を客観視すると、彼は急速に怖気づく。


 誠一は小さくため息をつき、意を決して重い扉を開けた。


 ギルドの中は想像通りの活気に満ちている。

 埃っぽい空気の中、ごつい鎧の男たちが木製のテーブルを囲み、大声で笑いながらジョッキを乾いた音を立てて傾けていた。焼けた肉の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。壁に張り巡らされた依頼掲示板の前では、派手なローブをまとった魔法使いが腕を組み、耳慣れない言葉が飛び交っている。


 場違いな「普通のおっさん」である誠一は、なるべく目立たないように、壁際を伝うようにして受付カウンターへと向かった。


 カウンターに座っていたのは、明るい茶色の髪をゆるく巻いた、見るからに今どきのギャルだった。


 白シャツの胸元は少し開かれ、短いスカートから伸びる足には、きらびやかなネイルアートが施された指先が揺れる。


 彼女こそ、冒険者ギルドの受付嬢、ミリリィだ。

 他の受付が埋まっている中、空いていたのは彼女のカウンターだけだった。


「はいはーい、本日のご用件は? ちょー暇なんですけどぉ?」


 ミリリィは、一見ダルそうに、しかしきっちりと誠一に視線を向けた。

 甘い香水の匂いが、ふわりと誠一の鼻腔をくすぐる。


 その視線に、誠一は思わずたじろぐ。


(異世界にもギャルはいるのか……。しかも、妙に馴れ馴れしい口調だ)


「あ、あの、えっと、冒険者になりたくてですね。それで、その、登録を……」


 誠一はどもりながら用件を伝えた。

 ミリリィの顔には「マジ?」と大きく書かれているように見えた。


「えっと、兵士とか傭兵の経験がおありで? 見た感じ、そういうゴリゴリな感じじゃなさそうだけどぉ?」


 ミリリィは誠一の全身を上から下まで値踏みするように見た。

 その視線に、誠一は居心地の悪さを感じる。


「いえ、えっと、家で素振りをしていた程度ですけど……あ、でも、最近剣聖に……」


 言いかけて、誠一は口を噤んだ。「剣聖」などと、自分の口からはとても言えなかった。ミリリィはそんな誠一を見て、わずかに眉をひそめた。


 そして、まるで年下の弟に諭すように、親切に、しかし容赦のない言葉を放った。


「うーん、おじさん――あのね。その年から冒険者とかマジ無理っしょ。やめときなって。この世界、マジで命いくつあっても足りないからさぁ。死んだら終わりっしょ?」


 ギャル口調で、しかし現実の厳しさを丁寧に教えてくれるミリリィの言葉に、誠一は「確かにそうかも」と思った。誠一の心は折れた。彼の脳裏には、魔王討伐という途方もない任務がちらつく。


(無理だよなぁ……)


 しかし、アルカディア王城で待つアリア姫や王妃セレニア、そしてシルヴィアの期待に応えたい。彼らのキラキラした目が、誠一の背中を強く押していた。


(なんとか冒険者登録してもらわないと、格好がつかない!)


 誠一は意を決し、【スティール】を使うことにした。

 普通のおっさんである彼には、それ以外に打つ手がない。


 ミリリィが書類に目を落とした隙を狙い、誠一は身をかがめた。

 カウンターの下に何か落ちているフリをして、密かに狙いを定める。ミリリィのフリルがついたキュートなパンティーを盗み、それを拾ってあげたふりをして恩を売ろうという、完全なマッチポンプだ。


 外道の極みだが、口でギャルを説得できない以上、仕方がない。


「おっと、こんなところに何か落ちてますね……?」


 誠一が呟くと同時に、一瞬、周囲の空気がねじれるような奇妙な感覚が走った。 

 ミリリィの腰元から、不可視の線に引かれるように、ショーツが一瞬で消え去る。


「はっ? えっ? ちょ、ま……」


 パンツが消えたことに、ミリリィは明らかに狼狽し、小さく悲鳴を上げた。

 顔が真っ赤になり、彼女は慌ててスカートの裾をぎゅっと押さえる。


「ここに落とし物がありましたよ、受付のお姉さん」


 誠一は何食わぬ顔で、スティールしたパンティーをミリリィのカウンターにそっと置いた。まるで親切な落とし物係であるかのような、自然な動作だった。


 パンツを盗まれ、そして返却されたミリリィは、顔を赤らめながらも、なぜか誠一に対して好意の視線を向け始める。その戸惑いと、ほんの少しの照れが混じった表情は、先ほどまでの「ダルそう」な彼女とは別人だった。


「え、えっと、ハンカチかな? ……あ、ありがとうございます……あっ、登録? 冒険者登録するんだっけ?」


 ミリリィは少し混乱気味に、しかし確実に、誠一の要望通りに冒険者登録の書類を差し出した。


 誠一は、内心で「上手くいってよかった」と胸をなでおろしながら、その書類に必要事項を記入していく。



 冒険者になった誠一は、魔道具で冒険者カードを作るため、ギルドの奥へと案内された。そこには、台座にクリスタルが埋め込まれた奇妙な装置が鎮座している。

 冒険者の基礎ステータスを測定し、カードに刻み込む魔道具だ。


 誠一はドキドキしながら、その装置に手をかざした。


「これで俺も、立派な冒険者か……!」


 しばらくして、魔道具のクリスタルが淡く光り、内部から低い機械音が響いた。

 やがて、カチャリ、と乾いた音を立てて、一枚のカードがゆっくりと押し出された。誠一は手に取り、自分のステータスを確認する。


 小山内誠一


 体力: 普通


 魔力: 普通


 攻撃力: 普通


 防御力: 普通


 素早さ: 普通


 特技: スティール


 適正職業: 荷物持ち



 それを見て、誠一は密かに落ち込んだ。

 素振りもたくさんしているし、シルヴィアのしごきにも耐えてきた。とんでもない才能が隠されているかもしれないと期待していたのだ。


 しかし彼は、ごく普通の「おっさん」でしかなかった。


 唯一の特技「スティール」は、物を盗む能力であり、冒険者仲間の間で決して歓迎されるものではないだろう。大っぴらにアピールできるものでもない。


 そして、一番の衝撃は、適正職業が「荷物持ち」だったことだ。

 彼の「剣聖」という大層な肩書きは、王様が勝手に付けたものなので、この魔道具にはまるで反映されなかったようだ。


 誠一は、手にしたカードを見て、ぐったりと肩を落とした。


「ま、まあ、荷物持ちも冒険者には必要だしな……」


 冒険者登録を終えた誠一は、お城の地下牢へと戻った。

 そこには姫と王妃とシルヴィアが、待ちわびたように彼を迎えた。冒険者登録を済ませたことを告げると、三人は目を輝かせ、口々に褒め称えた。


「すごいです、誠一さま! これで魔王討伐も夢ではありませんわ!」

「まあ、頑張りましたね、誠一さん。これで一安心ですわ」

「これで誠一殿も、一人前の冒険者ですね。今後が楽しみです」


 皆に褒められ、誠一は少しだけやる気を回復させた。


 彼の長い冒険の旅は、こんな形で幕を開けたのだった。

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