第26話 おっさん、剣聖になる(強制)

 王様からの呼び出しを受け、誠一は腹の底に張り付くようなわずかな緊張を抱きつつ、玉座の間へと向かった。


 重厚なオーク材の扉が、軋む音もなく静かに内側へ開く。

 その瞬間、彼の視界には、まばゆいばかりの光が飛び込んできた。磨き上げられた大理石の床は、頭上の巨大なシャンデリアの光を反射して眩しく輝き、広大な空間を照らし出す。


 その中央、豪華な金色の装飾を施された玉座に、王様が堂々と腰を下ろしていた。


 傍らには、透き通るような肌のアリア姫、深紅のドレスに身を包んだセレニア王妃、そして鋭い眼光を持つ騎士、シルヴィアの姿がある。


 彼らの視線が、まるで強力な磁石に引き寄せられるかのように、一斉に誠一へと集中した。そのプレッシャーに、誠一は思わず喉をごくりと鳴らした。


「誠一よ、よくぞ参った」


 王様が、地の底から響くような深みのある声で誠一を労った。


 その声には、感謝だけでなく、どうにも避けがたい面倒事の予感が混じっている。誠一は、内心で「さては、何か厄介なお礼か?」と身構えた。


「そなたの働き、見事であった。魔王軍幹部ベリアルを退け、このアルカディア王国を危機から救った功績は、筆舌に尽くしがたい」


 王様は、ゆっくりと玉座から立ち上がった。


 その動きは、重厚な鎧を纏っているかのように堂々としている。

 一歩、また一歩と、大理石の床に微かな足音を響かせながら誠一の前まで進み出た。王様の手には、古びた羊皮紙の巻物が握られている。巻物には、金色の糸で複雑な紋様が丁寧に縫い取られ、神聖な雰囲気を醸し出していた。


「よって、我はここに、そなたを『剣聖』に任命する!」


「えっ……?」


 誠一は、理解が追いつかなかった。


 剣聖? 俺が? ただの、その辺にはびこる埃を払うための、はたきを振り回しただけのおっさんが?


 彼の頭の中は、「なぜ?」という巨大な疑問符で埋め尽くされた。まさか、そんな大層な称号が自分に与えられるとは、夢にも思っていなかったのだ。


「えっと、あの、俺はただのおっさんなんですけど……」


 誠一は、いつもの、自分を低く見積もる卑屈な口調で、慌てて否定しようとした。だが、王様は彼の言葉を遮るように、確固たる声で言い放った。


 その声には、微塵の迷いもない。


「謙遜することはない。その方の戦いは皆が見ておる。あのベリアルを、まるで手玉に取るかのような剣技、まさに剣聖のそれであった!」


 王様は、巻物を誠一の目の前で大きく広げた。


 そこには、煌びやかな金色の文字で「剣聖 誠一」と記されている。

 自分の名前が、そんなにも仰々しい称号と共に記されていることに、誠一は思わず目を大きく見開いた。任命は、有無を言わせぬ既成事実として、彼の目の前に突きつけられたのだ。


 

 ***


 剣聖の任命という、とんでもない余韻が冷めやらぬうちに、王様はさらに衝撃的な言葉を続けた。その一言が、誠一の平静を完全に打ち砕いた。


「よって、その方に魔王討伐の任を与える!」


「ええっ!! ちょ、ちょっと待ってください! 本当に俺はただのおっさんなんです! 魔王討伐とか無理ですよ! 絶対無理ですって!」


 誠一は、今度こそ本気でうろたえた。

 顔からは血の気が引いて青ざめ、額には冷たい汗がじっとりとにじむ。


 魔王討伐?


 冗談じゃない。

 昨日たまたまベリアルの剣術をスティールできたから何とか切り抜けられただけだ。普段の彼は、魔物一体倒すのもおぼつかない、どこにでもいる一般人なのだから。


 しかし、誠一の焦りとは裏腹に、周囲の女性陣は、彼の輝かしい未来を確信するかのように、キラキラとした瞳で彼を見つめていた。


 そのまなざしは、まるで希望の光を見るかのようだ。


「誠一さまなら大丈夫です! 魔王など、誠一さまにかかれば一ひねりですわ!」


 アリア姫が、無邪気な笑顔で誠一を励ます。

 その言葉には、一片の曇りもない純粋な信頼が込められていた。彼女の笑顔は、誠一にはいっそ眩しすぎた。


「頑張ってくださいね、誠一さん。この国の未来は、あなたにかかっていますわ」


 セレニア王妃も、優雅に微笑みながら、誠一に期待の言葉を投げかける。


 その視線は、彼がすでに魔王を打ち倒した英雄であるかのように、熱を帯びていた。その重圧に、誠一は胃が痛くなるのを感じた。


「流石は誠一殿……! 私も、誠一殿の背中を追って、さらに鍛錬に励みます!」


 シルヴィアは、真剣な表情で誠一を見つめていた。

 彼女の目には、誠一が、自分のはるか先を行く、尊敬すべき剣士として映っているようだった。彼女のまっすぐな視線に、誠一は逃げ場を失った。


 これ以上は断れない。


 三人の女性からの純粋すぎる期待の眼差しに、誠一は文字通り押し潰されそうになった。とんでもないことになったものだ。彼は、まさかの魔王討伐という、途方もない仕事に従事することになってしまったのだ。



 ***


 玉座の間を後にし、誠一はまるで鉛のように重い足取りで地下牢へと戻った。


 ひんやりとした石造りの壁が続く通路を抜け、見慣れた質素なベッドに体を投げ出す。ごわごわとした毛布の感触が、現実の重さを訴えかけてくるようだ。


 天井を仰ぎ、深く、深く、諦めにも似たため息をついた。


「だが、まずは何をすればいいんだ……?」


 王様からは、餞別として銅貨50枚を渡された。


 それだけだ。


 剣聖になったからといって、何か特別な能力が身につくわけでもない。

 牢獄暮らしのただのおっさんが剣聖になったところで、身体能力が飛躍的に向上するわけでもなければ、給料が出るわけでもない。部下が増えるわけでもなく、ただ「剣聖」だと自称してもいい、というだけのこと。


 そもそも誠一は、剣聖ではなくただのおっさんだ。


 魔王など倒せるはずもない。


 魔王ということは、魔族の頂点に立つ存在。

 あの恐ろしい魔剣士ベリアルですら、その配下にいるという。そんな相手をたった一人で倒すなど、想像することすらおぞましい。


「けど、まあ、……な」


 誠一はベッドから重い体を起こし、ゆっくりと立ち上がった。


 王様から剣聖に任命され、魔王討伐を拝命したのだ。

 何もせずにいるわけにはいかないだろう。彼の心には、わずかながらも、これまで感じたことのない責任感のようなものが芽生え始めていた。


 それは、諦めと義務感――

 そしてほんの少しの好奇心が混じり合った、奇妙な感覚だった。


「とりあえず、自分にできることから始めるか」


 誠一は、まずは仲間探しから始めることにした。


 彼は地下牢を出て、シルヴィアの元へと向かう。

 城の訓練場からは、ひゅっ、ひゅっ、と乾いた剣の素振り音が響いていた。その音の主はシルヴィアだ。彼女は黙々と素振りを繰り返している。


 その剣筋は、以前よりもどこか力強く、真剣さが増しているように見えた。

 汗が額に光り、その眼差しは一点の曇りもない。


「あの、シルヴィアさん、ちょっといいですか?」


 誠一は、声をかけた。

 シルヴィアは、ピタリと剣の動きを止め、振り返る。


 その動きには一切の無駄がない。


「はい、誠一殿。何か御用でしょうか?」


「いや、その……もしよかったら、一緒に魔王討伐の旅に出てくれませんか?」


 誠一は、少し照れながら、しかし真剣な眼差しでシルヴィアに尋ねた。

 彼の声は、わずかに上擦っていた。


 シルヴィアは一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに申し訳なさそうな顔で首を横に振った。


「すみません、誠一殿。自分には王城での仕事がありますし、何より未熟な私では、誠一殿の足を引っ張ってしまいます。あの魔剣士との戦いで、自分の未熟さを痛感しました。今は、鍛錬をやり直し、自分を見つめているところなのです」


 彼女の言葉には、偽りない決意が込められていた。


 誠一は、彼女の真摯な態度に、それ以上何も言えなかった。無理強いしても、彼女の決意を揺るがすことはできないと直感した。


(これ以上は、強要になる。それはできないな……)


 そう考えた誠一は、一人で旅立つことを決意した。



 ***


 彼は城を出て、騒がしい町へと足を踏み入れる。

 目指すは、冒険者ギルドだ。


「異世界と言えば、冒険者ギルドだよな!」


 誠一は、異世界の基本から始めることにした。


 彼の顔には、少しばかりの不安と、それ以上の、新しい冒険への期待が入り混じっていた。魔王討伐という途方もない目標を前に、ただのおっさんの、長く、そして奇妙な旅が、今、まさに始まろうとしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る