第24話 おっさんVS魔剣士 人類の未来をかけた戦い

 アルカディア王城の広々とした玉座の間。


 磨き上げられた大理石の床には、天井から差し込む柔らかな光が反射し、荘厳な雰囲気を醸し出していた。その奥、謁見の間に続く扉の前で、魔王軍の魔剣士ベリアルが、国王に不平等条約への署名を迫る、緊迫した瞬間だった。


 分厚い羊皮紙に走る国王の震えるペン先。


 まさにその寸前、物陰から一人の男が飛び出してきた。

 どこにでもいそうなおっさん、誠一だ。


 彼は王国の危機を救うため、魔剣士の前に立ちはだかった。



 ***


 ベリアルは手に持つ鉄の棒で、誠一に殴りかかる。


 鈍い金属光沢を放つ棒が、唸りを上げて誠一の顔めがけて迫ってきた。

 しかし、誠一は動じない。


 その体はまるで別人のように軽やかに動いた。先ほど【スティール】したばかりのベリアルの剣術が、彼の肉体に完璧にインストールされている。


 ベリアルの攻撃軌道を瞬時に読み取り、まるで舞うように軽く、重心を低くして横へ移動する。そして、手に持ったくたびれたはたきを、風を払うようにスッと横に流し、棒の側面を軽く弾いた。


 はたきの布が、棒の表面を滑るような、軽い擦過音を立てる。


「すごい迫力でしたけど、案外大したことないですね。もっと全力で来てもいいですよ?」


 誠一は、奪い取った剣術の実力を試したくて、思わず相手を煽るような言葉を口にしてしまった。


(やべぇ、調子に乗った。怒らせてしまったかな……?)


  内心では臆病さが渦巻く彼の声は、まるで超一流の剣士が発するような、自信に満ちた挑発として発せられる。


 だが、ベリアルは誠一の言葉をほとんど聞いていなかった。彼の脳内は、誠一の信じられない動きで埋め尽くされていたのだ。


「な、なんだと……この俺の全力を、あれほどまでにたやすく、素人の攻撃のように軽くさばくとは……」


 ベリアルは誠一の圧倒的な強さに、心底から戦慄していた。

 彼の目には、誠一がはたきをまるで生きているかのように操り、自身の攻撃をいなしているように見えていた。


「あの、もう攻撃してこないんですか?」


 誠一に攻撃を促され、ベリアルは戸惑いながらも、横一文字に鉄の棒を一閃させる。その軌道は先ほどよりも鋭く、「ヒュンッ!」と風を切る乾いた音が鳴り響いた。はたきの柄が鉄の棒に触れる。


 誠一は、その一撃をはたきで絡めとるように、最小限の動きで攻撃の軌道を変えた。まるで呼吸をするかのように自然な、滑らかな動きだった。


 勢いを明後日の方向へ向けられた鉄の棒は、ベリアルの手を離れ、宙を舞う。

 

 そして、冷たい石畳の床に「カラン!」と乾いた音を立てて落ちた。

 音は広々とした廊下に響き渡り、静寂を際立たせる。


「ああ、武器がなくなってしまいましたね。じゃあ、背中に背負っている大きな剣を抜いて、かかってきてください」


 誠一はまるで子供に遊び方を教えているかのように、淡々と告げた。


 その無邪気な声が、ベリアルのプライドを深く抉る。

 彼の顔に、屈辱と困惑の色が浮かんだ。


「ぐっ、ぐぬぬっ! ……ばかな」


 ベリアルは、背中に背負った愛用の大剣に手をやった。


 刃渡り二メートルはあろうかというその漆黒の大剣は、彼の魔力の象徴でもある。普段なら迷わず抜き放つが、目の前の相手から受ける屈辱感は、これまで味わったことのない種類のものだった。


 誠一が「はたき」ではなく剣を装備していれば、ベリアルは二度殺されていた。


 これ以上敵に情けをかけられることに、彼はひどく戸惑う。そして何より、戦っている相手の言いなりになるのは、誇り高き魔剣士にとって屈辱以外の何物でもない。


 

 しかし、このままでは勝ち目はない。

 それは明白――


 超一流の剣客と、素人が少し素振りをした程度の差が、今の誠一とベリアルの間には存在していたのだ。ベリアルの脳内では、誠一の姿が、剣聖のごとく神々しいオーラを放っているように見えていた。


 ベリアルはプライドを捨て、背中の大剣を装備した。


 柄に手をかけ、ゆっくりと引き抜く。「ズオォン……」と、重厚な金属音が廊下に響き、漆黒の刃が、わずかな光を吸い込むように現れた。その剣先を誠一に向け、彼は一歩踏み出す。


 床が微かに震えるほどの重みだ。


 大剣は重量があり、誠一の持つはたきでは到底受け止められない。

 誠一は攻撃が当たらないよう、ひたすら躱すしかないだろう。



 ベリアルが渾身の一撃を繰り出す。


 大剣が風を裂き、誠一めがけて猛然と振り下ろされる。

 誠一はその攻撃の軌道を読み、右へ左へ、そして後ろへと、まるで流れる水のように華麗にかわしていく。


 身体を僅かに傾け、足の指先で床を滑るように動く。


 おっさんの体とは思えない、無駄のない動きだ。はたきを構える姿は、まるで一流の剣士が、子供と遊んでいるかのようにすら見える。


(俺、こんなに動けたのか……?!)


 誠一自身も、自分の身体の動きに驚いていた。


 そしてベリアルのわずかなスキを見ては、誠一は装備したはたきで、「ぱし、ぱし」と軽く叩く。


 それは、まるで戯れのように見える攻撃だ。


 漆黒の鎧を着ているベリアルには、痛くもかゆくもない。

 しかし、その軽快な音と、圧倒的な力量の差を見せつけられる屈辱は、彼の中で雪だるま式に増していく。


(こいつがもし、剣を装備していれば、俺はいったい何度死んでいるんだ……?)


「ぐっ、ぐぐぐ……!」


 ベリアルの低い呻き声が漏れた。

 鎧の隙間から彼の額に脂汗が滲み出るのが見える。


 そんな攻防が、しばし繰り返された。


 ベリアルの連続攻撃を誠一は、はたきを巧みに操って反撃しながら、すべてを躱す。彼の視界には、ベリアルの動きがゆっくりと見えていた。まるでスローモーションのようだった。


「お、おかしい……これほどまでに動きが鈍るとは……この達人を前にすると、体が思い通りに動かない……!」


 今のベリアルは剣術の素人同然だ。

 彼の焦りが、その表情にありありと浮かび上がる。


 だが、焦っているのは誠一も同じだった。


(まずいな、この人、いつまでも帰らないぞ。このままでは十分経ってしまう。そうしたら【スティール】した剣術の効果が切れる。勝ち目はない……! くそう、勇者はまだか? 早く来てくれぇぇぇ!)


 誠一は戦い慣れておらず、会話のできる人型の生物を攻撃することには抵抗があった。はたきで殴りつけることはできるが、それ以上は彼の倫理観に反していた。


 この誠一のその甘さに、ベリアルも気づき始める。


「なぜ本気を出さない。この私を侮っているのか? いや、これだけの技量の差があるのだから、それも当然か。だが、貴殿の本気を見てみたくなった」


 ベリアルは息を切らしながら言った。

 その声には、疲労と同時に、奇妙な期待が混じっていた。


「本気、とは?」


 誠一には何のことだかさっぱりわからなかった。


 本気とは一体何を指しているのか?

 このはたきで全力で叩くことか?


(本気で叩いたら、このはたき、壊れるんじゃないか……?)


「貴殿から本気を引き出すために、そうだな……あそこにいる姫を殺してみようか? そうすれば貴殿も――」


 ベリアルは最後まで言えなかった。


 その言葉が誠一の逆鱗に触れたのだ。

 彼の表情から一瞬にして戸惑いが消え失せる。


 誠一はベリアルがアリア姫に危害を加えると聞いた途端、国王から怒りの感情を【スティール】した。


 彼の胸の中で、静かに燃えていた怒りの炎が、一気に大きく燃え上がる。

 その感情は、誠一の甘さを消し去り、彼の目つきを一変させた。はたきを握る手が、微かに震えるほどの殺気だった。


 一流の剣士の殺気――

 それが、はたきを構える誠一の全身から、凄まじい圧力となって放たれる。


 その重圧を浴びたベリアルは、恐怖で全身の身をすくめた。

 彼の脳内に、「死」という文字が、鮮明に、そして巨大に浮かび上がる。まるで幻覚のように、冷たい鎌が首筋に触れる感触さえ覚える。


 手から大剣を取り落とし、「カラン!」と乾いた音を立てて床に落ちる。

 その音さえも、今のベリアルには遠く聞こえた。彼は誠一に対し、自ら膝をつき、恭しく頭を垂れた。


「まいりました。あなたの弟子にしてください」


 ベリアルが敗北を認め、弟子入りを志願する。


 その声は震え、表情には恐怖と、しかしそれ以上の純粋な畏敬の念が浮かんでいた。


「弟子、とは?」


 誠一は訳が分からずに聞き返した。

 彼の頭の中は「え? 弟子? どうして?」という疑問符でいっぱいだった。


「はい、あなたの弟子となり魔界に帰り、そこで修行を重ねます。そして、力をつけて、あなたに挑みにきます。勝てるまで挑戦し続けたいのです」


 誠一は理由を説明されても意味が分からなかった。


 なぜ、弟子?

 なぜ、修行?


 しかし、ベリアルが引き上げてくれるのであれば、それで万事解決だ。

 誠一は適当に頷いておく。


「ありがとうございます。ではこれより私は修行の旅に出ます。研鑽を重ね、あなたを超えたと確信したその時に、再び挑みにまいります」


「……うむ」


 誠一はベリアルが引き上げてくれるのであればなんでもいいやと思い、彼の提案を了承した。


 彼の表情は、ホッとした安堵の色に満ちていた。

 肩の力が抜けるのを感じる。


 こうして魔剣士ベリアルは去り、アルカディア王国の危機は、誠一のまさかの奮闘(と、誤解)によって回避されたのだった。

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