第20話 おっさんの下心と女神の気まぐれ

 アルカディア王国の地下深く、かつて冷たい石壁に囲まれた牢獄だった部屋は、今や広大なVIPルームへと変貌を遂げていた。


 薄暗い通路の奥、重厚な鉄扉の先には、暖かな魔導ランプの光が灯り、柔らかな上質の絨毯が敷かれている。


 小山内誠一は、王様との奇妙な誓約書のおかげで、この豪華な空間でお姫さまたちと暮らす権利を手に入れた。しかし、彼の生活は決して悠々自適とは言えなかった。その原因は、誠一付きの騎士に任命された女騎士、シルヴィアにある。



 彼女は、誠一を「立派な人物」に仕立て上げようと、以前にも増して訓練や食生活の管理に熱心になった。


 夜明け前、まだ外が鈍色の薄明かりに包まれる頃には、ベッドサイドに立つシルヴィアの凛とした視線に起こされる。ひんやりとした地下の空気は、寝ぼけた頭に一層の冷気を送り込んだ。


 昼間は、汗が床の石畳に染みを作るほどの基礎体力向上の筋力トレーニング。

 食事は、色とりどりの野菜と鶏肉が並ぶものの、味付けは極めてシンプルで、栄養バランスが完璧に計算された、どこか味気ないメニューが続いた。


 誠一は、「もう少し肉が食べたい」「ジャンクなものが恋しい」と内心で毒づきながらも、目の前の皿を大人しく平らげていた。



 アリア姫やセレニア王妃が、誠一を甘やかそうと甘いデザートを差し入れたり、夜更かしを許そうとしたりしても、シルヴィアは毅然とした態度で立ち塞がった。


「誠一殿の健康のためにもなりません!」


 その声には、一切の妥協がなかった。

 彼女は主人を最高の状態に保つことに、まさに燃えているかのようだった。


 まずは見た目から、とシルヴィアが厳しく指導した結果、誠一は食事管理と毎日の筋トレで、驚くほど見た目が向上した。


 以前の、どこか疲れ切った中年男性の面影は薄れ、シャツの下には引き締まった体つきが窺え、肌艶も健康的な輝きを帯びていた。


 鏡に映る自分を見て、誠一は「あれ? 意外とイケる?」とひそかに自惚れたりもしたが、外見は変わっても、中身は依然として彼のままだ。


 根本的なダメ人間精神は健在だった。


 

 ***


 ある日の午後、シルヴィアたちが会議で部屋を空けている隙を狙い、誠一は一人きりになったVIPルームで、ある計画を実行することにした。


 室内に静寂が満ち、魔導ランプの柔らかい光が誠一の顔を照らす。

 彼の顔には、普段の気弱さとは異なる、どこかニヤニヤとした、まさに悪巧みをするような下卑た笑みが浮かんでいた。


 誠一が能力【スティール】を起動する。


 意識を集中させると、遠い世界のどこかにいる女神アクア・ディアーナの存在を鮮明に捉えた。次の瞬間、純白の煌めきが空間に走り、ふわりと柔らかな感触が彼の掌に収まる。


 それは、シルクのような肌触りの、純白のレースがあしらわれた小さな布の塊。


 そして、そのパンツと共に、女神は召喚された。


 ブォン!


 鈍い、しかし重みのある音が室内に響き渡る。


 部屋の中央の空間が大きく歪み、清らかな光が噴き出すように満ちた。

 そのまばゆい輝きは、室内の調度品、壁に飾られたタペストリー、そして誠一自身の顔までをもぼんやりと輝かせた。


 輝きの中から現れたのは、光と水の女神アクア・ディアーナ。


 彼女は、いつもの銀色の長い髪を波のように揺らし、どこか呆れたような、それでいてどこか諦めにも似た、透き通るような瞳で誠一を見つめた。その視線は、まるで彼の魂胆を全て見透かしているかのようだった。


「誠一さん、今日は何の用事ですか? また私を召喚して……まったく、すっかり私に夢中なのですから、困りますわね」


 女神の声には、呆れの色が混じりながらも、どこか嬉しさが滲んでいるのが見て取れた。


「突然すみません、女神様。今日は絵のモデルになってもらおうと、お越しいただきました」


 誠一は悪びれる様子もなく、にこやかに答えた。


 彼の視線は、女神の完璧なプロポーションへと向けられ、獲物を見定めたかのような欲望の光を宿している。


 実は誠一、学生時代にデッサンに明け暮れていたこともあり、絵はそこそこ得意だった。プロ級ではないものの、学校の美術コンテストで入賞する程度には腕があった。


 その腕前が、今、不純な動機のために使われようとしている。


「絵のモデル、ですか……」


 女神は細い眉をひそめ、前例のない要求に警戒の色がその美しい顔に浮かんだ。

 彼女の周囲には、水のような清らかな空気が漂っている。


「はい、牢屋暮らしですので、たまには趣味の絵を描きたくなりまして。どうせ描くなら、モデルは美しい女神さまにお願いしようかと――」


 誠一は口八丁手八丁で女神を褒めそやす。


 その顔は、絵に対する真剣な眼差しを装いつつも、その奥では「早く脱がないかな」という邪な考えが渦巻いているのが明白だった。


「また、調子のいいことを言って」


 女神はそう言いながらも、顔を少しだけ赤らめた。


 誠一の口車に乗せられるのは本意ではないが、まんざらでもないらしい。結局、彼女は誠一の絵のモデルを引き受け、部屋の中央に立つ。その白く滑らかな肌が、室内の光を柔らかく反射し、まるで彫刻のように美しい。


 誠一はイーゼルを立て、新しい紙をセットする。


 削りたての鉛筆を握り、真剣な眼差しで女神を見つめながら筆を走らせる。鉛筆が紙を擦る「カサカサ」という乾いた音が、静かな部屋に響き渡った。


 女神は誠一に見つめられながら、どこか気恥ずかしそうに、しかし内心では誇らしげに立っていた。人の心を読むことなどたやすい彼女は、誠一のよこしまな狙いもちゃんと見抜いていた。



 数十分後、誠一は描いた絵を女神に見せた。


「どうでしょうか?」


 誠一が差し出したデッサンには、精緻な線で描かれた女神の姿があった。


 その表情、銀色の髪の毛の流れ、風になびく衣装の襞に至るまで、驚くほど丁寧に描写されている。背景には、部屋の調度品が薄く描き込まれ、空間の広がりを感じさせた。


「まあ、上手いじゃないですか。良く描けてますよ」


 女神は素直に感嘆の声を上げた。


 予想以上の出来栄えに、彼女自身も驚いているようだ。

 その透き通るような瞳が、デッサンの中で輝く。


 誠一は褒められて照れた。


 頬を赤らめ、頭を掻きながら――

 いよいよ本題、とばかりに下卑た笑みを浮かべる。


「そ、それほどでもありませんよ。ぐへへ、モデルが良いからですって、女神様は美しくプロポーションもいいですから。ただ、なんと言いますか、女神さまが身に着けていらっしゃる服が、女神さまの美しさの邪魔をしておりますね。ああ、服がなければ、もっと美しく描けるのですがね」


 誠一は露骨に、女神の服を脱がそうと誘導する。


 その瞳には、隠しきれない欲望の光がギラギラと宿っていた。「これで落ちない女はいない!」と内心で確信しているような顔つきだ。


 たとえ心が読めなくても、こんなバカげた誘導に乗る女性はいないだろう。

 普通の女性なら、ここで怒って帰ってしまうはずだ。


 しかし女神は誠一の露骨な誘いに、フッと笑みを浮かべた。


「では、脱いでみましょうか?」


 その表情は、まるで彼をからかうことを楽しんでいるかのようだ。

 誠一の魂胆など、最初からお見通しである。


「いいのですか! やったぞ、成功だ。これで、女神さまの双丘の果実や密やかな茂みをしっかりと描写できます!」


 誠一は興奮で上ずった声を上げ、顔を真っ赤に染める。


 今にも女神に飛びかからんばかりの勢いだ。

 彼の鼻息は荒く、理性のタガが外れかけている。


 その時だった。


 「ガチャリ」と、重厚な扉の取っ手の音が、静かな部屋に響き渡った。

 続いて「ギー……」と扉がゆっくりと開く鈍い音。


「誠一さん、お食事の準備が整いましたわ。あら?」


 ここぞ、というところで――

 王妃セレニアとアリア姫、そしてシルヴィアが部屋に戻ってきたのだ。


 女神はアリア姫たちが来ることを分かっていた。彼女の優雅なローブが、照明の光を受けてふわりと揺れた。


「まあ、絵を描いてらっしゃるの? よろしければわたくしも、絵のモデルになりますわ!」


 アリア姫が、目を輝かせながら言った。

 その声は、モデルになることへの純粋な興味に満ちている。


「では、その次はわたくしが!」


 王妃セレニアも続く。

 その瞳もまた、輝きに満ちていた。


「お、おっほん。誠一殿が、どうしても、というのであれば、モデルを引き受けてもいいのだが……」


 シルヴィアは顔を少し赤らめながら、しかし、しっかりと誠一を見つめて言った。


 彼女たちも誠一のモデルに名乗り出る。

 その視線は、誠一の行動を疑うような鋭さも帯びていた。


 誠一は、この状況で女神に裸になってもらうわけにもいかず、「またの機会に」と言いたくなるのを必死にこらえながら、しぶしぶと順番に姫たちの絵を描くことになった。


(くそう、もう少しで、女神さまの裸体を拝めたのに……!)


 誠一は、目の前の美女たちをモデルにできる喜びよりも、女神の裸体を描き損ねた後悔を抱えながら、鉛筆を握るのだった。



 ***


 三人全員の絵を描き終えた後、誠一はなぜか運動したくなった。

 文化的な活動の後だからか、適度に体を動かしたくなったのだ。そして、どうせならかっこいいところを見てもらおうという、新たな下心が頭をもたげる。


 誠一は再び能力【スティール】を発動させ、空間から煌めく聖剣デュランダルを召喚する。鞘から引き抜かれた銀色の刀身が、部屋の魔導ランプの光を反射してキラリと、冷たい輝きを放った。


 その刃紋は、見る者の目を奪うほどに美しい。


 彼は聖剣デュランダルを構え、その場で素振りを披露した。

 流れるような剣さばきは、素人に毛が生えたレベルだったが、聖剣の威光がそれを補う。まるで長年剣を扱ってきた熟練の戦士のように見えた。


 風を切る音が「ヒュッ、ヒュッ」と小さく響き、剣先が光の筋を残す。


「かっこいいですわ、誠一さま!」


 アリア姫が、目を輝かせながら拍手する。

 その小さな掌からは、パチパチと乾いた、愛らしい音が聞こえた。


「良くできましたわ。お上手ですね」


 王妃セレニアも優雅に微笑んだ。

 その表情には、満足げな色が浮かんでいる。


「ふん、まあまあだな」


 シルヴィアは腕を組み、口元はわずかに緩んでいたが、辛口の評価を下した。


 しかし、その瞳の奥には、かすかな感心の色が宿っているのが見て取れた。彼女の視線は、聖剣を扱う誠一の動きを、細かく追っていた。


 十分間、誠一は良い気分で素振りを行った。


 彼の顔には、充実感と、ほんの少しの得意げな笑みが浮かんでいた。

 今日のところは、女神の裸体は逃したが、それはまた別の機会に、と彼の心は密かに企んでいたのだった。


 彼は聖剣デュランダルを再び鞘に収め、満足げに一息ついた。

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