第12話 牢獄生活を守り抜け、ずうずうしいヒモ男の願い

 ある日の午後。


 誠一は女騎士シルヴィアの指導の下、木刀を振り下ろしていた。全身から噴き出す汗が、王妃が用意した高級絨毯に無慈悲なシミを刻んでいく。


「ほら、腕が下がっている! 腰が入っていない! 何度言ったらわかるんだ、この木偶の坊がッ!」


 シルヴィアの容赦のない怒声が、快適なはずの牢屋に木霊する。


「も、もうちょっと優しく……オブ・ラ・ートに包んで教えてくれませんか、教官? 俺、こう見えて繊細なんです。……泣いてしまいますよ?」


 誠一が情けない声で懇願するも、即座に却下された。


「甘ったれるな!」


 ばしんっ!!


 シルヴィアは、手に持っていた木刀で、思い切り誠一の尻をはたいた。

 乾いた、良い音が牢屋に響き渡る。


「ありがとうございますッ!!」


 なぜか誠一は、反射的に直立不動でお礼を叫ぶ。


(くっ……変なノリでリアクションしちまったぜ)


 誠一は尻のヒリヒリとした痛みを我慢しながら素振りをし続けた。

 

 そろそろ休憩したかったが――

 シルヴィアが厳しく監視をしていてさぼれない。


 シルヴィアは誠一を甘やかさない。

 何と言われようと、素振りがすべての基本だからだ。



 ***


 そんな地獄の特訓風景を、部屋の隅では二人の女性が優雅に眺めている。

 この国の姫アリアと王妃セレニアだ。


 王妃セレニア・アストレアは、温かいお茶を、湯気と共に立ち上る優雅な香りを楽しみながら啜っている。


 ふかふかのベッドには、姫アリアが手縫いで作ってくれたらしい、誠一の顔がプリントされた(なぜかちょっとブサイクにデフォルメされている)クッションが置かれている。


「お母様、誠一様のために焼いたクッキーですの。お一ついかがです?」


 キラキラした瞳の姫が、可愛らしくラッピングされた箱を王妃に差し出す。


「あら、アリア。あなたが作ったのですか? 素晴らしいですわね」


 王妃セレニアは目を細めてクッキーを受け取ると、上品に一口齧った。


「えへへ。誠一様のために、心を込めて作りました!」


 姫は、誠一が美味しそうに食べてくれることを想像して、一生懸命頑張ったのだ。

 その顔には、達成感と期待が入り混じっている。


「まあ、おいしいですわ」


 王妃の感想に、姫の顔はパッと明るくなった。

 まるで花が咲いたようだ。


 女性たちは、誠一の世話を焼くことに、それぞれ異なる喜びを見出していた。


 王妃は、誠一に尽くすことで、日頃の王宮でのストレスを解消しているようだった。夫である国王の外泊問題や、国の財政問題など、頭を悩ませることは多い。誠一を甘やかし、ワガママを聞いてやる時間は、彼女にとっての最高の癒やしなのだ。


 女騎士シルヴィアは、誠一を鍛え上げることに、騎士としての使命感と、どこか歪んだ達成感を覚えていた。「このだらしない男を、私が一流の戦士に育て上げてやる!」という、一種の義務感と、時折見せる誠一の情けない顔に、なぜか快感を覚えている。


 そして、姫アリア。


 彼女は、誠一の世話を焼くうちに、彼への淡い恋心を自覚し始めていた。


(誠一様……わたくし、なぜこんなにも、あなたのことが気になるのでしょう……)



 その時だった。


「――甘ったれたことを言うな!」


 訓練を監督していたシルヴィアが、鋭く言い放った。


「菓子を食いたいだと? まずは素振り百回! ノルマをこなせ! それが終わるまで食事は抜きだ!」


「そ、そんな! 誠一さまが倒れてしまいますわ!」


「そうですよ、シルヴィア。――厳しくするばかりでは人は成長しませんわ。アメとムチのバランスが肝要よ」


 姫と王妃が優雅にお茶を啜りながら、静かに割って入る。


 姫と王妃の口添えで、女騎士も矛を収めた。


(――ふう、助かった。危うく干からびるところだったぜ)


 誠一は水がめから、柄杓で聖水を汲んで飲み干す。

 そして姫の作ったクッキーを食べ始めた。


 姫は、誠一がクッキーを美味しそうに食べる姿を、じっと見つめていた。

 彼の図々しさ、面倒くさがりな性格、そして時折見せる子供っぽい一面。それら全てが、姫の心を掴んで離さないのだ。


 彼女の心臓は、誠一がクッキーを一口食べるたびに、キュンと音を立てる。


 汗だくの誠一は、三人の美女――

 鬼教官、聖母のような姫と王妃に囲まれながら、人生最高の幸せと、適度な充実を感じていた。


 この幸せなヒモ生活。

 だが、それはあまりにも脆い砂上の楼閣だった。


 何しろ、この城の警備はザルだ。

 先日も、囚人であるはずの誠一が誰にも見とがめられずに城下町におでかけし、牢屋まで戻ってこれたのだ。


(あんな調子じゃ、強盗が侵入してきても門番は気づかないんじゃないか……? 犯罪者が出現すれば、俺の快適なニート生活は一瞬で崩壊してしまう!)


 その夜、誠一は眠れなかった。


 高級ベッドの上で悶え始める。


「うあああ! 不安でたまらない!」


 ゴロゴロと転げ回り、枕に顔を埋めて足をバタつかせる。

 その姿は、おもちゃを取り上げられた子供そのものだ。


 そして、さんざん悶えた挙句、彼は安易な結論に達した。

 

(そうだ、女神さまに何とかしてもらおう!)


「スティール!」


 ――この男は、それ以外に何もできない。


 彼の掌には、いつものように女神さまの清純な白いパンツが握られていた。


「光と水の女神、アクア・ディアーナ様。夜分に大変失礼とは存じますが、緊急の案件がありましてお越しいただきました」


 召喚された女神に対し、誠一は流れるような動作で片膝をつき、頭を垂れた。


「その前に、誠一さん。それを返しなさい」


 女神は心底呆れた顔で、手を差し出す。


「ははっ、これは失敬」


 誠一は恭しくパンツを献上する。

 女神は深いため息と共に上品なショーツを回収した。


「で? 今度は何の用です? またしょうもないことなら、神罰を下しますよ」


 女神のジト目に、誠一はかつてないほど真剣な顔でお願いを口にした。


「はい。実は強盗が来ないか心配で、夜も眠れないんです。侵入者を撃退する罠を設置しては貰えないでしょうか? このままでは――睡眠不足になっていしまいます」


 自分のヒモ生活を守るため、誠一は神の権能を持つ女神に対し――

 きわめて個人的な、おねだりをしたのだった。

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