第三十六話 男磨き

 遊郭の街は、昼夜が逆転する。 


 夜の帳が下りる頃、廓の灯りがようやく眠りにつく。


 されど拙者は、そこから一人、庭の片隅で木刀を振るうておる。


「ええか、【静】と【動】、鬼の力はそれだけやあらへん。そこから生まれる力を忘れたらあかん」


 白嶺の指導を受けて、鬼の力を使うコツを学んでいく。


 朝に眠る遊郭にあって、誰もが寝静まるその刹那が、唯一、己と向き合える時。


 構え一つ、息一つに、かつての剣士としての矜持が宿る。


 拙者は禿であれど、武を忘れぬ御影守。


「……千十七、千十八、千十九……はあっ」


 小さく息を吐きながら、素振りを二千本。


 やり始めた当初は百が限界ではあったが、いつかは、毎日素振り万回するのを目標にしている。


 そのあとで井戸の水を汲み、冷たさに震えながら身を清め、皆が目覚める時間には平然と炊き出しへ向かう。


 こうして己の鍛錬と禿の務めを両立させる日々は、体への負担は大きくなるが、充実しているとも言える。


 女性と関わる機会も減ったことで、煩悩が減り。


 他者が、交わる姿に慣れ始めておった。




 そんなある日――。


「仁。ちょっとこっちに来なさい」


 龍騎殿に呼び出され、廓の裏庭にある座敷へと招かれた。


 そこには紅い屏風と香の煙がたなびき、夜会の準備でも始まるかのような艶めいた空間が広がっていた。


「……何事でござろうか?」

「ふふん。あんた、そろそろ男の磨き方を学ぶ時期や、だからウチが直々に教えたる」

「男の磨き方でござるか……?」


 遊郭において、男を磨くとはこれいかに?


 体を鍛えることは怠っておらぬ。一応は、禿として芸事である。三味線やお琴、笛などの稽古を受けて、拙者は笛を狙い始めた。


 大貴は三味線の才能があった。


 各々が磨きをかけているが、それでは足りぬのだろうか?


「今の仁は絶対に理解してないでしょ。いいかい? この遊郭では、いずれ禿も接待に立つ遊男ゆうだんことになるの。つまり、女客を迎える日が来るってわけさ」

「ま、待たれよ。拙者は!」


 御影守と言いそうになり、それが極秘事項であることを思い出す。


 このお茶屋が、御影守がバックについていると言っても、花魁たちが知っているわけじゃない。


 まして、龍騎殿に話したことで、身元がバレるわけにはいかぬ。


「この場所じゃ、男は誰もが、女を喜ばせる方法を知らねばならぬ。知らねば生き残れぬ。禿として成長してもらわないと困るのよ」


 にやりと笑う龍騎殿が、懐から取り出したのは扇子。


 しかも、金糸の龍が舞う高級品。


「まずは笑顔の練習から。女ってのはな、荒々しい男にもときめくけど、優しく微笑む男に弱いの」

「……このような顔で……?」


 拙者は無理に笑顔を作ってみようとした。真剣な顔は得意であるが笑顔は柚花に微笑む程度で……考えたこともない。


「こわっ! どこの女侍よ! 人を殺すような目やで。もうちょっとこう……柔らかく! 歯は見せすぎず、頬を少し上げて……そう、ああ、惜しい! 今のは死んだ魚の目!」

「ど、どうすれば……」


「笑おうじゃなくて、相手を思いやり、楽しませてあげようと思いなさい」

「なるほど」


 自分が笑うではなく、相手を思いやる。


「女の子ってのはね、自分が可愛いと思ってるから、それを肯定してあげれば自然に好かれるのよ」

「ふむ。では、可愛いと伝えればよいので?」

「伝え方ってもんがあるでしょ! なんでも直球に伝えればいいわけじゃないの! 言葉だけじゃなく、所作、視線、そして間が大事なの!」


 その後も続いた龍騎殿の女性接客指南講座は、まさに地獄のようでござった。


 拙者は扇子を持たされ、使い方の指導を受ける。


「はい、女侍が酒を注いだ! なんて言う?」

「ささ、もう一杯どうぞ」

「それじゃ居酒屋の店員! 『貴女の手が冷えてしまいますぞ、お注ぎいたします』くらい言えないと!」


 そう言って龍騎殿の手が拙者に重なり、温めるように包み込まれる。


 龍騎殿は男ではあるが、どこか柔らかで香の良い匂いがする。


「な、難儀でござるな……」

「もう一回! 女が褒めてきた! どうする?」

「拙者も、拙者も……お主のほうが、美し……ぶふっ」


 扇子で喉を突かれた!!! なんと素早い!!!


「噛むな! 惜しい! 惜しいけどダメ!」


 深夜まで続いた修練の末、拙者はようやく、ぎこちないながらも微笑を浮かべられるようになった。


 そして翌日。


「仁、今朝の顔、何か違うねぇ~? ……あれ、微笑んでる? 何それ、キモ可愛い!」


 大貴がからかってくるも、拙者は動じぬ。


(笑みとは、剣より難しき技よ……)


 だが、その日の帳場で、女侍に「お茶、美味しいわ」と言われ、思わず、


「その一言、拙者の心に灯をともしました」


 と返してしまったところ。


「……ふふ、面白い子ね」


 と、ほんのり笑みを浮かべてくれたではないか。


 それを見た龍騎殿は、遠くからニヤリと笑っていた。


「うんうん、可愛がられる禿ってのは、こういうのなのよねぇ」


 まるで修行僧のような日々の中で、拙者は剣も心も鍛え続けている。


 されど、女心を斬る技など、いまだ遠い。


 禿の修行はまだ、始まったばかりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る