第三十一話 戸惑い

《一人称:刃》


 御影守として、お館様の屋敷に身を置くようになって、幾日が過ぎた。


 朝は道場で志鶴殿の鬼のような鍛錬に耐え、昼は文官の貴咲殿の書簡整理を手伝い、夕刻には真白殿と並んで給仕を手伝う。


 誰も口にはせぬが、拙者が男であることは、明らかに屋敷の空気を微妙に揺らしている。


 女尊男卑の考えが、この屋敷内でもあるのかと思っていたが、どうやら違うようにも思う。


 女性ばかりの中に男が一人。


 ならば、せめて足を引っ張らぬよう、影に徹して生きねばならぬ。


「刃、今日は稽古の手を抜いていただろう?」


 志鶴殿に言われたその日、拙者は自室にて正座をして反省していた。


 そのときだ。


「やっと見つけたわ。刃」


 障子が音もなく開く。


 そこに立っていたのは、小夜。


 彼女は猫のように軽やかな足取りで中に入ってくると、すっと正座して、こちらを見据えた。


「ねぇ、最近の刃、なんだか私と距離を置いてない? 避けてるでしょ?」

「そ、そんなつもりは…ござらんよ…環境の変化に馴染もうとしていただけで」

「でも、こっちから見れば、そう見えるのよ。わたしたちは仲間でしょ? 刃が元気じゃないと、こっちも気が滅入るの」


 その瞳には、兄妹のような優しさと、どこか突き放さない温かさがあった。


 小夜は最初の頃から何かと気にかけてくれているように思う。


 女尊男卑を感じはしたが、今はそんな態度は微塵もない。


 言葉に詰まる拙者の手を、小夜はそっと握ってきた。


「無理してない? ……一人で全部背負おうとしすぎだよ。ご家族と離れて色々と考えると思うけど、なんでも相談してほしい!」


 小夜は本当にいい奴だ。


 ただ、拙者も男であって、女性からそのような優しい目で見られるのは……勘違いしてしまう。


 今のは反則だと思うが……。


「拙者は……母上が遺してくださった場所で、恥じぬよう務めたいだけで……」

「そうね。でも、強がってる姿って、妙に可愛いんだよね。……刃くんって、ずるいわ」


 小夜はふっと微笑み、手を離す。


 その余韻だけで、部屋の温度が妙に上がった気がした。


 


 翌日。



 今度は九重殿が、拙者の稽古終わりを狙って近づいてきた。


「刃君、あの……包帯、巻き替えさせていただけませんか?」


 彼女はおっとりした声音で、だがどこか強い意志を込めて、こちらを見上げてくる。


「自分で巻けるゆえ、心配には及びませぬよ」

「ですが、……私、学んできたんです。男性の肌に触れるのは、特別なことだって」


 な、なにゆえそんなことを……困惑する拙者を見て、九重殿は少し頬を染め、決死の表情で包帯に手を伸ばす。


「影組に刃君って男の子がいるんだから、もしもの時に手当ができるようにしておかないとね」

「わかったでござる」


 慎重に、だが確実に距離が縮まり。


 その手が拙者の肩に触れた瞬間。


「……とても、温かい」


 思わずこちらを見つめてくる彼女の瞳は、何かを確かめるようだった。


 それを拒む理由など、拙者にはなかった。


 ただ、心臓が痛いほど高鳴るのを止める術がなく、顔の熱を誤魔化すように息を吐いた。


 


 思えば。この屋敷に来てからというもの、女性陣と過ごす時間が増えている。


 拙者の体が思春期に入りつつあるのか、どうしても女性を意識せずにはいられない。


 男として困った状況である。


 家族ではない女性たち、しかも女性たちは美しく。


 鍛え抜かれた体は引き締まっているのに、女性らしい柔らかさまで持っている。


 皆が親切にしてくれるのは、きっと、母上の縁であり、お館様の厚意によるものなのに男の欲望とは誠、情けない。


 何よりも、和国の女性は無防備すぎる。


 あのような無垢な眼差しで、小夜や九重殿が見つめて来られると勘違いしてしまう。


「ふぅ、見惚れてしまうではないか。拙者はただ……ああっ、頭が熱いだけで……」


 修行の道はまだまだ遠い。


 このような葛藤とも戦わなければならぬとは……。


「……ほんと、可愛いんだから」


 小夜が、ふいに距離を詰め、耳元で囁いた言葉が思い出される。


「でも、覚悟しておいて。ここの女性たちは、好きになったらとことんよ。刃くんがどれだけ無自覚でも……いずれ、自分の気持ちに気づくわ」


 それは、からかいにも似て、けれども何かを予言するような声だった。


 


 その日の夜、布団に入りながら、拙者は小さく嘆息した。


 これが女ばかりの世界に一人だけ放り込まれた男の運命というものか。

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